第57話 律儀な宣戦布告
リリーと劇場に行った翌日。朝早く俺の下宿の扉をノックする音がした。寝床で休日の惰眠を貪っていた俺は怪訝に思った。洗濯屋か?
「……誰ですか」
誰かと聞いたのに返事はなく、扉の金属製の鍵を開けるガチリという音と共にドアノブが動いた。鍵は俺か大家しか持っていないはずだ。簡素なこの下宿には応接間などないのだから、ベッドに寝ている無防備な俺は訪問者から丸見えになる。
「おい、勝手に開けるのかよ……!」
文句を言いながら慌てて身を起こすと、扉の影からレイが姿を現した。
安堵した俺はため息をついてそのまま寝床に再び身を横たえた。
「なんだ、レイか……びっくりするじゃん。どうやって鍵借りてきたんだよ」
レイの背後から申し訳なさそうな声がした。
「シュミットさん、すみませんね。この方が、緊急の用事だってあんまりおっしゃるものだから」
「あー、いいですよ、こいつは大丈夫です」
遠慮して扉の影から声を掛ける大家に俺はそう返した。
レイは後ろ手に扉を閉めて突っ立っていた。
「なんだよ、朝っぱらから急に。誰かと思った」
身を起こしてベッドの端に腰掛ける。結んでいない髪をかきあげながらぼやいた俺の言葉尻をレイが神経質に捉えた。
「……リリーが来たと思ったのか?」
「別にそういう意味じゃない。リリーはこの部屋に来たことなんてないよ」
レイの寄せられた眉根が元に戻る。
(勝手に疑っておいて、露骨にホッとしてんじゃねーよ)
「で、いつ来たんだよ、こっちに」
「昨夜だ」
「へー、なんか用事でもあったの?」
俺は分かりきっていることをあえて聞いた。
「リリーの面倒は俺に頼むんだろ? 昨日遅かったから眠いんだよね。俺は連日デートで忙しいよ。昨日は劇場に行ってきたんだ」
レイの無表情は変わらなかった。
「知っている」
「ふーん?」
「やはり俺にはリリーが必要なんだ」
意地悪く聞いてやる。
「それで? 今更どうするの?」
「彼女に選択してもらう……お前か、俺か」
俺は大きく伸びをしてそのまま腕を頭の後ろで組むと、とぼけたように視線を天井に向けて言った。
「へー、一度放り出したのに、お前は選択肢に入る資格があるのかな?」
「放り出したつもりはなかった……お前と旧都を見せて、選ばせるつもりだった」
俺は先を促すようにレイを見つめた。
「……意図した訳では無いが、リリーからすれば放り出されたも同然に見えたことは認める。……ヒュー、お前にもすまなかった」
(レイが俺に謝るなんて、調子を狂わされる)
「……それはリリーに伝えた方がいいんじゃないの?」
「昨夜、言った。……当然だが、許してはもらえなかった。彼女の許しを得られるかどうかは分からない」
「……珍しく弱気じゃん」
「相手がお前だからな」
レイの意外な言葉に俺は瞬きした。
「リリーが俺を選ぶかもしれないって思ってるの?」
「……そうなっても、甘んじて受け入れるつもりだった」
――『受け入れるつもりだった』、か。
「だが……今は考えたくもない。俺はただ、彼女が答えを出すのを待つだけだ。だがその前にお前の許可が欲しい」
「俺の?」
「そうだ」
レイは大真面目だった。
――そうだった、レイはこういう奴だった。
俺は大げさにため息をついて首を掻きながら言った。
「いいよ、別に。許可しなくても勝手に参戦するんだろ? でも遠慮はしないけど」
「しなくていい。本気で来い」
レイは目に強い意志を込めて言った。
「俺も本気だから」
俺はその眼差しを受けて言った。
「了解、お互いベストを尽くすってことで」
レイは小さく頷くと無言で部屋を出ていった。
(本当にそれだけを言いに来たのかよ)
俺は再びベッドに仰向けに倒れ込んで天井を見上げると一人呟いた。
「本気で、いくか」




