第49話 すでに決まっている選択肢
「話があるから書斎に来てくれ」
珍しく私のところへ来たレイフォードさんに突然言われた。
絶対に良い話なわけがない。私は裁判所に引きずりだされる被告人の気分だった。しかも恐ろしいことには、その裁判では私が自身の弁護人をしなくてはならない上に、裁判官である彼はこの被告人は有罪に違いないと疑っている。
足取り重く私は書斎へ向かった。前回入ったのは、お祭りの翌日に眠りこけているヒューさんとレイフォードさんを見つけたときだった。あの時、私はレイフォードさんが可愛いと一人で勝手に浮かれていた。調子に乗って彼の世話を焼いたりして、馬鹿みたい。彼はそんなことを私に求めてなどいなかったのに。
今、書き物机を前に肘掛け椅子に座る彼は、可愛さなど微塵もない氷のような表情をしていた。
――眠れる森の美女じゃなくて、雪の女王だったのかも。
私は現実逃避するように、物語のことを考えていた。
どんな話だったっけ。男の子と女の子と恐い雪の女王が出てきた気がする。だが、どんなに冷酷な女王だったとしても、今のレイフォードさんほど恐くないだろうと思った。
彼の前に立ってただ床を見つめる私に、雪の女王然とした彼はそれに恥じぬ冷たい表情と声で言った。
「リリー、君はここで一年の半分以上を過ごしてきたわけだが、そろそろ他の選択肢を考慮するべきだと思う」
私の心臓はその瞬間、凍りついて鼓動を止めた。
――他の選択肢。
ついにタイムリミットがきた。もうここにはいられない。とうとう私は愛想を尽かされたらしい。
「ヒューに手紙で知らせた。旧都に行って源素庁の事務の仕事と、母の仕事の手伝いを見てくるといい。もちろん、観光もするといい」
観光だなんて。ここを放り出されるというのに、それどころじゃないでしょう? 皮肉な笑いが出そうになる。
「ヒューが面倒を見てくれる。旧都にいる間は、俺の実家に滞在すればいい。急で悪いが、明後日の朝発ってくれ」
選択肢と彼は言ったけど、私には何も選択の余地などないように思えた。出発日も内容もすでに彼によって決められている。それも、私へ一切の相談もなしに。決まっていないのは私が帰る日だけ。つまり次の私の居場所が決まるまで無期限、ということなのだろう。彼は極めて事務的に伝え終えると黙った。
どうやら私に伝える内容はそれだけらしい。
――まるでお払い箱だ。
泣いちゃ駄目だ。前は彼を困らせたくなかったからだったが、今は違う理由だった。たとえ今、私が泣いても彼は心を動かさないと私は確信していた。眉一つ動かさず私を旧都へ行かせるに違いない。
彼は決めたらやり遂げる人だ。意志が強いから、心の奥底で罪悪感がかすかに疼いたとしても顔には出さないだろう。だけど、もはや彼の心にわずかな罪悪感や憐憫の気持ちでさえも、私には引き起こす力がないように思われた。
私には『いつでも帰ってきていい、ここは君の帰る場所だよ』なんて言わない。『困ったことがあれば手紙を』とも言わない。
マルガレーテさんと比較したら、私は邪魔になった?
私は帰ってこなくていいし、困っていてもいいの?
目の奥がずきりとする。溜まりつつある涙を喉に流しこもうと無駄な努力をして、私は唾を飲み込んだ。頭がふらふらする。あまりのショックで倒れたら、さすがに心配してくれるかな。精神的には完全にノックアウトされているのに、私の上体は微かに揺れただけで倒れやしなかった。
分かりました、と言わなきゃ。お世話になりました、ありがとうございました、と。でも口を開いたら、きっと嗚咽が漏れて言葉にならない。
私はただ黙って頷くのが精一杯だった。
私は部屋に戻るとベッドに倒れ込んだ。堪えていた涙がとめどなく流れ出した。
本当に終わりなんだ。
この部屋も明後日には出ないと。
そして、もう二度と戻れない。
荷物は全部持っていくべきなのかな?
でも無理な気がする。
持てるだけ持っていって、他は後で送ってもらえばいい。
――ここがいいのに。
私はとっくに選んでるつもりだった。
「レイフォードさんは旧都に来ないんですか?」なんて聞けなかった。そんな考えは彼の中に一瞬でも思い浮かばない様子だった。
あの日、聖堂で自暴自棄になった私に彼は『どんな過去も受け入れる』と言ってくれた。
でも、私の未来については言ってなかった。
『君はどこにいても受け入れられて、愛される』そう言ってくれた。
でも、愛してるとは言ってなかった。
好きだ、とさえ言われたことはない。彼は嘘は言ってない。
あのとき、私を支えたい、何とかしてあげたい、と思ってくれた彼の気持ちに偽りはないのだろう。
あれが嘘だったなんて思いたくない。だって彼は元来、優しい人だから。
私でない誰に対しても、あの状況だったら同じような言葉を言ってくれたのだろう。
マルガレーテさんに向けられた優しさ。
祖父母へ報おうとする誠実さ。
それと同列なのかもしれない。
同列でいいじゃないか。
十分、ありがたいことじゃないか。
なんで私だけが彼の特別だなんて、自惚れられたんだろう。彼が必要とするのは私じゃないのに。
『これからどんな辛いことがあっても、私この世界であなたに恥じないように生きていきます』
聖堂でそう誓ったあの時、私はどこかでレイフォードさんが私の側にいてくれる未来を想像していた。
――どんなに辛いことがあっても。
それがレイフォードさんを失うことだなんて、考えもしていなかった。
これから私はどうやって生きていけばいいんだろう。
でも、頑張らなくちゃいけない。なんとか生きていかないと。たとえ彼が側にいてくれなくても。
私は彼に誓ったんだから。彼のためにも私は強くなって、彼なしでも生きていかなくては。
――でも、それはとても辛い。
私は体中の水分が涙となって流れるまで、泣き続けた。




