第47話 私は闇じゃない
マルガレーテさんが海辺の聖堂院へ帰る日が来た。レイフォードさんは彼女が到着したときのように、自ら荷物を運んで御者へ手渡すのだった。彼女は車内に乗り込むと、窓枠に手を置き、顔を少し外へ出してレイフォードさんを見下ろした。その手に彼は自身の片手を優しく重ねた。
「身体に気をつけて。困ったことがあれば、すぐに手紙に書くんだよ」
この期に及んでも、レイフォードさんの彼女への特別扱いに反応してしまう。
「ここはいつだって君の帰る場所なんだから。俺はこの地を次に引き継ぐために守っているだけにすぎない。この地の本来の正当な守護者は、君だ」
彼の言う言葉の意味を、私はすべて理解することはできなかった。
ただ『ここはいつだって君の帰る場所なんだから』という言葉が羨ましかった。彼が彼女に掛ける言葉の一つ一つが妬ましいほどだった。
それ以上聞いているのが辛くて、私はそっと離れて玄関に入った。失礼になるかもしれないけど、今の皆にとって私はいてもいなくても同じだろうと思った。
*
素導館から聖堂院へ戻る日。私は馬車の中からレイを見下ろした。
いつも優しいレイ。言葉数は多くないけど、彼の一言には他の人がどんなに言葉を尽くしても表せない思いが込められている。小さな頃から、ずっと頼もしい兄のように見守ってくれた。レイの兄である二人の従兄弟もいるけれど、彼らは歳も離れているし、素導館へ来る機会もほとんどなくて疎遠だった。私にとって、兄はレイだけ。
「ここはいつだって君の帰る場所なんだから。俺はこの地を次に引き継ぐために守っているだけにすぎない。この地の本来の正当な守護者は、君だ」
彼は温かい藤色の瞳で私を見つめて言った。
律儀な彼らしい。彼が素導館を奪うつもりはない、といつも言っている。もう彼が正当な後継者で、むしろ、それを私は誇りに思っているというのに。
私たちには、言葉にしなくても伝わる想いがある。この素導館と聖堂への想い。共有する数々の思い出。祖父母への愛情。
そこへ一人の異分子が入ってきた。
ちょっと不思議な若い女性。背は私よりほんの少し高いけれど、丸みを帯びた瞳が幼い印象を与えるので私と同い年くらいかと思った。
話し方も話す内容も変わっていて、レイやヒューバート様はそれを面白がっているようだった。知的な言葉遊びをしているつもりなのかしら。最初はそう思っていた。
――でも。
聖堂の管理を任せるなんて想像もしていなかった。あの場所は、レイと私だけが正当な管理者であるはず。レイがいつも目の端で彼女を追っていることも、彼女とヒューバート様との会話にじっと聞き入っていることも、私には分かってしまった。レイの抱いている感情が何なのか掴めないものの、彼女が特別なのだということは、嫌でも気づかされた。
源素が確認できない人だとは聞いていた。学術的興味なんだろう、そう思おうとした。でも私の中で何かがおかしいとざわめく。
――彼女がそっと館の中へ入っていく。
何かを静かに耐えているような表情が目に入って、思わず声が出かかった。
けれど、私は聖堂院へ戻らなくてはならないのに、彼女はまだここにいられる。
そう思うと、彼女に背を向けているレイに彼女の様子を伝えようとする気持ちは霧のように消えてなくなった。
馬車が動き出した。レイはいつもお互いが見えなくなるまで見送ってくれる。
私はレイに小さく手を振りながら、微笑んだ。
レイは私に弱みを見せたことがない。
いつだって強く守って導いてくれた。
――『レイが選んだ女性なら、喜んで祝福する』
それは、私の本心だろうか。
実際にそんな場面を目にしたら、心から微笑んでいられるの?
レイといるあの女性の姿を想像すると、もやりと、黒い霧のようなものが胸の奥に広がった。
――だめ。私は闇じゃない。
私はその感情を断ち切るように目を閉じた。




