第45話 祭りの終わりと誤解のはじまり
私は素視のために馬で村へ向かうレイフォードさんを見送っていた。馬上の人となった彼を見上げて言う。
「レイフォードさん、気をつけて。馬に乗りながら寝ないでくださいね」
「昨夜は寝られたから、さすがにそこまではしないよ」
「なるべく早く帰ってきてくださいね。まだ疲れが取れてないんですから」
「ああ」
「……じゃあ、いってらっしゃい」
いってらっしゃいという言葉の照れくささを隠すように、私は少し首をかしげて彼を見上げた。彼はどこか少し切なそうな表情をしていたが、小さく頷くと手綱を操り馬を走らせた。
去り際の彼の表情が少し気になったけれど、考えても分からず私は一旦考えを放棄することにした。
先ほど出発前のレイフォードさんから預かった鍵を持って、私は聖堂へ向かった。もうお祭りの準備もないので片付けて掃除をしておいてくれと頼まれたのだった。
再びこの手に戻った仕事に私は精を出した。ひんやりとした静寂に包まれた聖堂で一人、お祭りの装飾の残骸を片付け書類を分類していく。必要なものは後日レイフォードさんに確認してもらおう、そう考えていた時、聖堂の扉が軋む音がした。レイフォードさんの帰りにしては早いと思って振り返ると、そこにいたのはマルガレーテさんだった。
「あ、お疲れ様です」
「あなた、ここで何をなさっているの?」
責める口調ではなく、ただただ意外という声音だった。
「片付けと掃除をしてました」
「それは……レイ兄様の指示で?」
「あ、はい。ここ最近はお祭りの準備でレイフォードさんがやってたんですけど、ちょっと前からお仕事として私が管理をさせてもらってて」
「あなたが聖堂を管理しているの?」
驚いた様子で彼女は言った。
「といっても、朝に鍵を開けて明かりをつけて、夕方に消して鍵を閉めるくらいなんですけど」
「……そう……」彼女はまだ合点がいかないようだった。
彼女と二人きりになるなんて初めてのことだった。
ひょっとしたら、今がチャンスなのかもしれない。これを逃したらもう聞けないかもしれない。私は勇気を振り絞って彼女に話しかけた。
「……あの、立ち入ったことをごめんなさい。マルガレーテさんは、レイフォードさんの許婚……なんですか?」
――こんなことを聞くなんて、レイフォードさんのことが気になっていると言っているようなものなのに。
彼女はその綺麗な瞳を見開き「誰から聞いたの?」と肯定も否定もせずに質問を返してきた。
「レイがそう言ったの? 自分で?」常に落ち着いている彼女が、やや興奮気味に私に質問を投げつける。瞳には燃えたぎる炎のような煌めきが見えた。その雰囲気に圧倒されて、私は答えた。
「あの、ヒルダです。彼女から聞きました」
彼女の瞳から一瞬にして炎が消え去り、普段の冷静な姿に戻った。
「ああ、ヒルダが言ったのね。婚約だなんて、ちゃんとした約束ではないの。ただの周囲の期待よ。もしそうなったらいいね、って。レイ兄様と私でこの地を守ることを期待しているのよ」
彼女は事もなげに言った。
「普段、私のことを妹と称しているのも、私が今、聖堂院にいるのもそのためよ。誤解されないように。若い二人を勝手に恋愛という色ガラス越しに見られないように。私たちの絆はそういった熱情などではないの。もっと地に足のついた……そうね、”慈愛”とでもいうのかしら」
――『地に足のついた慈愛』
確かに普段レイフォードさんが皆に見せる姿は、そういった愛情の方が似合いそうだった。でも私と二人きりのときに時折彼が見せる姿は、もっと熱を帯びた情熱がすんでのところで発火しそうな危うさを持っているように思われた。
私よりはるかに彼と長い付き合いであろうマルガレーテさんにそう指摘するのは、彼女のプライドを傷つけてしまいそうな気がして私は黙っていた。
彼女はさらに言い募った。
「私たちが選ぶの。レイ兄様が選んだ人なら、私は喜んで祝福するわ。もしレイ兄様が私を選べば、私は全身全霊で身も心も捧げて、共にこの地を守るわ」
その彼女の発言に違和感を抱いた私は先ほどのためらいを忘れて、質問せずにはいられなかった。
「レイフォードさん次第……なんですか? 『私たちが選ぶ』って……でも結局、彼が望めばそうするってことなんですか? マルガレーテさんはどうしたいんですか?」
(それは、神へ身を捧げる献身に近い気がする……)
意思の強そうなマルガレーテさんの瞳に初めて迷いがちらついた。
「……矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、レイ兄様の望むようにしたい、それが私の想いよ。レイ兄様の望みが私の望みなの」
彼女は私に落ち着いた余裕のある微笑みを向けて言った。
「だから、あなたは何も気にしないで。あなたがレイ兄様に新しい考えを与えてくださっているのは気がついています。それが愛情なのか私には分からないけれど、もしもそうならば喜ばしいことだと私は考えているのですから」
マルガレーテさんから見ても、私は彼にとって特別に映っている、ということは私の心の中にほのかな希望として灯った。ただ、手放しで喜ぶ気持ちにはなれなかった。
――あなたは何も気にしないで。もしもそれが愛情ならば喜ばしいことなのだから。
その言葉は言い換えると、「私はあなたのことを何も気にしていないわ」という風にも聞こえた。そして、「彼があなたを愛することなどあるものか」という逆説にも思われた。
結局、マルガレーテさんがレイフォードさんの許婚なのかよく分からないままだった。心のどこかで否定してもらえることを期待していた私は、心が晴れないまま聖堂を後にした。




