第43話 一通だけでなかった手紙
祭りの晩、皆の夕食が済んで自室に引き取った後レイフォードは一人館に戻っていた。玄関ポーチに続く小道を歩きながら額飾りを無造作に取ると、ひんやりとした気まぐれな夜風が彼の髪を弄ぶように揺らした。額飾りを片手に持ったまま彼は玄関ポーチへ上がった。
――やっと終わった。
もっと早く帰りたかったが、後片付けを他の者に任せて自分だけ引き上げることもできず最後まで残っていたのだ。村の者が馬車で送ると申し出たが、歩いて帰れる距離なのに気を遣われるのは本意でなかった。それに、祭りの陽気にエールが進んですっかり出来上がった御者の操る馬車に乗るのは躊躇われた。
早朝から着ている最上の衣装は去年、母が息子の素導師としての大役のために例のごとく”カエリム家の総力を挙げて”仕立てたもので、豪華すぎる刺繍のせいでずしりと重いのだった。
(今年は母が見に来ると言い出さなくてよかった)
一年前、彼にとって初めての大舞台でただでさえ混乱する中、母に茶々を入れられるのは苦痛の極みだった。今年、彼女が来なかったのは非常にビジネス的な理由であった。リリアナのデザインしたドレスの注文が舞い込んで忙しいからだ。
(間接的とは言え、リリーのおかげだな)
ため息をつくと彼は胸元に手を当てた。わずかに紙の感触。昨夜のリリーの手紙だ。
儀式中はリリーのことを考えないようにしていた。彼女のことをわずかでも思い出すのは危険だった。集中しないと、一年に一回の祭りという大仕事のためにさんざん準備に時間と労力を費やしたというのに、詠唱の呪文が途切れでもしたら目も当てられない。
それでもあの手紙だけは肌身離さず持っていたかった。
彼女に触れる代わりに、抱きしめる代わりに。
(だが本物のほうがいい)
疲れ切っていて、漏れる本音を抑える気力もなかった。
皆が寝静まって静かな廊下を歩いていると、無人のはずの書斎の中から明かりが差していた。
――まさかな。
リリーだったらいいが。いくらなんでも二晩連続はないか。そうだったら最高なんだが。こんなに疲弊しているのだから、源素の御心が褒美にリリーを書斎に遣わしてくれたのかもしれない。
期待しないようにしながら扉を開けると、部屋の主の代わりに肘掛け椅子に座っていたのは金髪の長身の男、ヒューバートだった。
レイフォードは面倒くさそうに視線を天井へ向けた。
「なんだ、お前か」
「お疲れ様、一足先に飲んでるよ」
そう言ってヒューバートは上質の赤ワインの入ったグラスを傾けた。
「俺は飲む気はない。即、寝る」
レイフォードは手にしていた額飾りをテーブルに投げ出す。
「村で飲んできたの?」
「一滴も飲んでない。そんな暇はない」
彼は重量感のある上着を脱ぐと長椅子の背にぞんざいに引っ掛けた。
「俺は、今日リリーと祭り見てきたよ」
「……そうか」
「レイは忙しいだろうから、俺が代わりにお役目を務めたよ」
「祭りの手伝いより、ずっといいだろ」
「そりゃそうだ」
ヒューバートは笑った。彼の手から赤ワインのグラスをひったくるとレイフォードは一気にそれを飲み干した。
「旧都で光の祭りのときは、お前が悲鳴を上げる番だ。いい気味だな」
「わー、怖い。まあ、それは冗談として、田舎は一人でやんなきゃいけないから大変だよね。旧都は見物客こそ多いけど、素導師も多少いるから」
薄手のシャツ姿のレイフォードは重圧から解放された身体を長椅子に横たえて、目を閉じた。
「お前の相手をしている暇はない。寝るから黙れ」
「自分の部屋で寝ないの?」
(お前がいたせいで明かりがついていたから、わざわざここに寄ったんだろうが)
もう自室に上がる気力もない。ぐったりと長椅子に寝そべったレイフォードは視界を拒むように腕で目を覆った。
少しの間の後、ヒューバートは独り言のようにぽつりと言った。
「リリーのこと、あんまり放っとくなよ」
――『リリー』?
(……いつから、こいつまでそう呼ぶようになったんだ?)
「お前の役に立ちたくて源素の証明書とか、色々考えてるんだってよ。健気だね」
朦朧とする意識の中でヒューバートの柔らかに鼻に抜ける声が微かに聞こえる。
(……黙れと言ったのに、なぜあいつは喋り続けるのか)
源素の証明書、と言ったか? 何のことか分からない。
リリーがヒューに話したのだろうか。あいつにだけ話したのか……。
いや、俺が忙しそうにしていたから言わなかっただけだろう。
だが確かにヒューは話しやすい相手なのだろう。自分より遥かに。
苛つく思考に眉根を寄せた。
(とにかく寝たい。もう何も考えられない)
「今日なんて手紙まで貰っちゃって。あれには心動かされちゃうよな」
――手紙?
リリーがヒューに手紙を……? いまも自分のシャツの胸元に入っているあの手紙は、ヒューにも手渡されたというのだろうか。
――あれは俺だけへの特別なものではなかったのか。
冷めた思いが心によぎる。彼女のことは自分が一番分かっていると思っていた。
だが、そうじゃなかった。なのに俺は彼女を抱きしめてしまった。とんだ道化だな。いや、リリーが悪い。あんな瞳で見つめるから。あれに抵抗できる男などいるのだろうか。もしあの眼差しがヒューに向けられたのだとしたら……。胃の辺りに針で突かれたような鋭い痛みを感じた。
――もう駄目だ。何も考えられない。
心地よい深い眠りに引き込まれるように、黒い靄が自身の胸に広がっていった。




