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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第三章 源素と祭り

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第42話 神々しい儀式と農民のダンス

 儀式の行われる広場に人々が集まってきた。広場を埋め尽くす観衆のちょうど中ほど、その場所にヒューさんと私はいた。

「あ、レイいた」

背の高いヒューさんはレイフォードさんを見つけられたようだ。背伸びをして人々の頭の間から何とか彼の姿を覗き見ようとする私に彼は言った。

「今は端にいるけど、もう少しして儀式が始まったら中央に来るから見えるよ」


 レイフォードさんの姿を早く見たかったけれど、私は我慢するしかなかった。

かなりの時間が経って更に人々が押し寄せ、私の足が疲れ始めた頃、大勢の聴衆のざわめきが突然水を打ったように静まり返った。


 レイフォードさんが中央の祭壇の前に立ったのだった。


 人々の頭の間から見える祭壇の上のレイフォードさんは、はるか遠くの別の世界の人のように見えた。

彼は髪を後ろに撫でつけて金属の編み込まれた帯状の額飾りを戴いていた。

これまでで見た中で最上級の白の礼装だった。首元を隠す襟と長いローブ。肩に掛けられた飾り布と腰に巻かれた帯には、遠くからでも分かるほどびっしりと刺繍が埋め尽くされていた。ここに居るすべての人を超越しているかのようだった。


 舞台の上の彼の側で控えている人物、彼の人間離れした佇まいには及ばないけれど、とても美しいマルガレーテさんが両手にタッセルの付いた純白のクッションを持っていた。その上には彼のコンフェが載っていた。


――天使と神様みたい。

私は胸の前で手を組んで、祈るような気持ちで祭壇の前の二人を見つめていた。


 彼は祭壇の中央で微動だにせず前を見据えていた。

マルガレーテさんが彼の斜め後ろで片膝をつきクッションを高く捧げた。

レイフォードさんは掌全体で包み込むようにコンフェをすくい上げた。

大勢の観衆を正面に据えると、彼は静かに目を伏せた。迷いのない動作で手中のコンフェを自身の額へと掲げる。


 彼のよく通る涼やかな声が広場に響く。

祈りにも似た長い詠唱の後、彼の両手の上のコンフェが真昼の太陽さえ霞ませるほどの鮮烈な白い瞬きを放った。


「十二源素(げんそ)御心(みこころ)が汝らを導かんことを。加護の光あれ」


 人々の口から漏れたため息が、さざなみのように空気を震わせた。

遅れてやってきた興奮が広場を揺らした。土の源素がもたらす一年の豊穣を願って、人々が互いの肩を叩き歓声を上げて指笛を鳴らしていた。その熱狂の渦をレイフォードさんはただ見下ろしているのだった。


 昨夜、私は彼の腕の中にいたはずなのに、なんだか遠い出来事みたい。

あれは夢だったのかな。

彼は私がここにいることなんて、意識の片隅にもないだろう。

群衆に紛れた私は彼から一瞥すらされなかった。



 レイフォードさんとマルガレーテさんが退場して、広場では楽器を手にした者たちによる即興の演奏が始まっていた。心浮き立つようなリズムに踊っている人も沢山いた。それはワルツのような上品な形式ばったダンスではなく、自由で軽やかな素直な喜びに満ちたものだった。


 それを見て楽しそうに顎でリズムを取っていたヒューバートさんは「久々に披露しちゃおうかな」と言うと、荷物を私に「これ持ってて」とぽんと預け、するりとその輪に入り込んだ。

彼は違和感なく村の男性たちに混じって、足先で複雑なリズムを刻み始めた。迷いのない動きや楽しげな表情に次第に周囲の視線が惹きつけられていく。


 彼が愛嬌たっぷりに周囲の人に手拍子を促すと、老若男女問わず皆から笑顔がこぼれた。私も先程の滅入るような気持ちを忘れ、思わず笑顔で手を叩きながら彼に見入っていた。彼が大きく跳ねてダンスを締めくくると群衆からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。


「すっげー!」

子どもたちの無邪気な歓声に彼は悪戯っぽく片目をつぶって見せると、指先に落としたキスを子どもたちに向かってふっと息で飛ばしてみせた。まるで完成されたひとつのパフォーマンスのような、完璧で流れるような動作。周囲の若い女性たちが頬を赤らめはしゃいでいるのを彼は自然な振る舞いで受け流していた。


「本当にすごかったですね!」

「俺の田舎はここの地方とは違うんだけど、やっぱ何となく似てるね。久々だったけど体が覚えてたな」

「あんな風に踊れたら楽しいでしょうね」

「まあねー、俺なんでもできるからさ。歌も上手いんだよ」とヒューさんは自慢げに言ってのけた。

彼ならなんでも上手くこなせるだろう。それも、軽やかに魅力的に。

「いつか、聞いてみたいです」

彼はとても自然にいつの間にか人の心に入り込む。


 すっかり人気者になった彼は、その後も通りで村の男性からにこやかに声を掛けられたり、親しげに肩を叩かれたりしていた。一方の女性たちはといえば、頬を赤らめて彼に隠しもしない称賛と熱望の眼差しを送り、傍らの私には羨ましげな視線を向けるのだった。誇らしいような、照れくさいような。私の手柄じゃないのに、彼の側にいるだけで私まで浮き立つような気持ちの恩恵を受けていた。


 お祭りの喧騒を避けて、私たちは空いている村外れのベンチに並んで腰掛けて屋台で買った軽食を食べることにした。彼が大きい一口で美味しそうに囓るのを、私は微笑ましげに見つめていた。こんなに人を引き付ける魅力があって、温かくて優しくてかっこいいのに、どこか可愛い。こんなお兄さんがいたら絶対自慢しちゃう。


 食べ終わると、私は巾着袋から手紙を取り出した。

「これ、いつもヒューさんには助けてもらっているから、お礼の気持ちです」

「え、なに? 俺に?」

「そう。手紙だけでごめんなさい。さっき何かプレゼントに渡せそうなものを探したんだけど、いいものが見つからなくて」


 彼は呆気にとられたように、手元の封筒を見ていた。

「今、読んでもいいの?」

「ちょっと恥ずかしいけど」私は少しはにかんで、手でどうぞと促した。

彼は封を開けると便箋に視線を落とした。

手紙が読まれている間、私は照れくさくて意味もなく巾着袋の紐を弄んでいた。


 沈黙に耐えられずに言い訳じみたことを言ってしまう。

「……字があまり綺麗じゃなくて」

彼は答えなかった。

(そんなに長い文章じゃないんだけど)

黙り込んだまま手紙を見つめる彼の顔を横から覗き込む。

彼もゆっくりと顔を上げた。

明るい空色の瞳と目が合って、私は言葉を失った。


 その瞳の中に浮かんだもの。それはなんと形容していいのか分からない、真摯な心を打つきらめきだった。

彼の顔からいつもの微笑みが跡形もなく消えていた。

予期せぬ反応に、私の心の中に違和感と焦りが芽生えた。


(何か変なこと書いたかな)


 ただ感謝の思いを綴っただけだったはず。

『あなたがいつも私に勇気をくれていることを知ってほしくて手紙を書きました。

いつも優しく気遣ってくれて、ありがとう。

独りぼっちの私の側にいてくれて、ありがとう』


――私、何か間違ったの?


「リリー、ありがとう」

私の頭を優しく撫でながら、いつもの軽い感じとは違った、どこか真剣なゆっくりとした口調で彼は言った。戸惑って彼を見つめ返すだけの私に、彼はふっと微笑みかけると荷物の中から髪飾りを取り出した。


――白く透き通る貝殻の花。

(私が迷っていたやつ……)


「君が一つ歳を重ねたから。おめでとう」

彼に差し出された髪飾りを私は呆然と受け取った。

さっき突然飲み物を買いに行った彼の姿が脳裏によぎる。

あの時だ、本当はこれを買いに行ってくれたんだ。

私は彼へのプレゼントを探して結局見つけられなかったのに。


彼から貰ってばかりだ。

お返しをしたかったのに。彼から受け取るものは大きくなるばかり。

このまま貰い続けていたら、その気持ちはどうなる?

そしたら、たぶん……。


 私は言うべき言葉を見失って、手の中の小さな白い花の飾りを見つめたまま身動きできずにいた。ぎこちない表情の私を見て、彼は気遣わしげに私の顔を見た。

「あれ、これじゃなかった?」

「いえ、驚いてしまって。……その、よく分かりましたね、私が迷ってたやつ……」

「君を見てれば分かるよ」

「気を遣わせちゃって、すみません」

「……嬉しくなかった?」

「嬉しいです、すごく。ただ、びっくりしちゃって、言葉が追いつかなくて」


 彼の真っ直ぐな優しさが眩しくて、私はいたたまれなさに手元の髪飾りの柄をぎゅっと握りしめた。

「ごめんなさい、いつも貰ってばかりで」

「謝らないでよ。ありがとうのほうが嬉しいな」

「本当にありがとうございます、大切にします」

私は笑顔を作って彼にお礼を言った。


やっと彼にいつもの微笑みが戻った。

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