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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第一章 出会いと保護

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第4話 視えない存在の私

 彼の後から、ガラス戸を抜けて書斎に入る。奥の壁面は本棚になっていて、立派な装丁の本が整然と並んでいた。入ってきたガラス戸側には重厚で大きな書き物机があって、書類が広がっていた。


 彼は部屋の中央にあるベルベットの長椅子を手のひらで示して、私に座るよう促した。大人しく腰掛けると座面が深く沈み込んで、優しく包まれる心地だった。艶のある深い緑色の生地を指先でなでると、とろけるように滑らかな触感がした。私が長椅子を撫で回している間に、彼は部屋の壁に下がっているタッセルのついた飾り紐を引っ張った。


 館のどこかでかすかに鈴の音がする。少しの間があってから、音もなく執事が現れた。

「トッド、紅茶を頼む。二人分だ」

トッドと呼ばれた執事は目の端で私の存在を確認すると、目礼をして去った。

「君にはいくつか教えてほしいことがある」

彼は書き物机の近くにあった革張りの椅子を引き寄せて腰を下ろすと、紙と金属ペンを手に取った。


(逆に、私が教えてほしい)

口にしなかったけれど、私の顔には不服そうな表情が出てしまったのだろう。彼は片眉を上げると、穏やかに付け加えた。

「もちろん無理強いするつもりはない」


(本当かな)

馬車の中で額に当てられた透明な塊の感触が蘇って、私は無意識に額に手を添えた。それを見た彼は顔をこわばらせて、気まずそうに目を逸らした。

「君の指摘通り、先日の私の振る舞いは失礼だった。謝罪する」

(『謝罪する』って、謝ったつもりなの?)


 その時、執事のトッドが盆に乗った紅茶のセットを運んできた。私の脇にある小さな丸テーブルに並べられた金縁の陶器のカップは、いかにも高価そうで触れるのも怖かった。執事が下がると彼は再び質問した。


「君は記憶がないとのことだが、いつから記憶がないんだ?」

「分かりません……気がついたときには、あの村でした」

「あの村に縁は?」

「分かりません。ないと思います」

 彼は何かを紙に書きつけながら質問を続ける。

「君の名前は?」


――名前。はっきりとしないものの、なんとなく馴染みがあるのは……。


「ユリ、という感じの名前だった気がします」

「ユ、リ?」

聞き慣れない名前らしく、彼は舌の上で慎重に転がすように発音した。その時、先ほどの庭で百合に似た花が咲いていたのを思い出した。その花を指さして私は説明した。

「あの、庭にある白い花、あれに似た花の名前なんです」

彼は私の指さす方向に顔を向けた。

「あれは、リリアナという花だ」

そう話す横顔の鼻の綺麗なラインと睫毛に思わず見とれる。


「では、君の仮の名前をリリアナとしてもよいか?」

「あ、はい……」

いえ、私の名前はユリです。と言えたらよかったけれど、自分でも確信が持てない。

(なんか、そんな感じの響きの名前だったような)


 小首を傾げて考えていると、彼は先に質問を進めるのだった。一通りの事情聴取が終わると、彼は細くため息をつきながら革張りの椅子にもたれ、考え込むように呟いた。

「つまり、どこから来たのかも、自分が誰かも、年齢も分からないのか」

「……すみません」

「謝ることではない」

(もう質問は終わったのかな。なら、私も聞きたいことがある)


 私は長椅子から心持ち身を前に乗り出すと、思い切って彼に聞いた。

「私も質問したいんですけど……『そどうし』って何ですか?」

彼は、はっとして私を見た。当然の前提条件が、私には通用しないことを思い出したようだった。そして、椅子に姿勢よく座り直すと、まるで先生が何も知らない子ども相手に講義するような口調で説明した。

素導師(そどうし)は、十二源素(じゅうにげんそ)の恩恵を人々に導く者だ」

「『じゅうにげんそ』ってなんですか?」


 私の言葉を聞いた彼は、その身を硬直させた。藤色の目だけが困惑したように揺れている。

「十二源素を……知らない?」

「なんですか、それ」

「光、霜、風、木、水、石、火、雷、土、晶、音、闇だ」

早口言葉のようにすらすらと(そら)んじてみせる。

「え? 光、風……闇? それは、単語ですよね?」

「いや、違う。この世を構成する源素(げんそ)だ」

「?」

「?」


 二人で顔を見合わせる。お互いに『?』が頭にいくつも浮かんでいるのが分かった。

彼はおもむろに何かを紙に書き込むと、それを私に見せた。

「これだ」


(え……これは……)


「……よ、読めません」

彼は自分の書いた字を見返して、「そんなに汚くないと思うんだが」と衝撃を受けたような面持ちで私を見た。

「あの、違います。字が汚いとかじゃなくて」

「?」

「字が綺麗なのか汚いのかさえ、分かりません。なんていうのかな……模様みたいで……この文字は全然読めません」


 ついに、彼は頭を抱えてしまった。

「素導師も知らない、文字も読めない、十二源素さえも知らない、しかも君の源素が私に()えないだなんて……!」

これまでの物事を超越した雰囲気をかなぐり捨てて、彼は人間味あふれる表情で言った。


「君は、一体どこから来たんだ……!?」

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