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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第一章 出会いと保護

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第3話『好奇心は猫をも殺す』

――昨夜はなんだったのだろう。


 見慣れぬ部屋の窓から差し込む、明るい日差しに目をしばたかせながら、私は思い起こしていた。

よく分からない儀式のようなことをされて、生まれて初めて馬車に乗ってここへやってきた。あの後、この屋敷の執事と家政婦が食事や着替えの世話を焼いてくれたのだった。


(ああ、そうだ)

――月光のような銀糸の髪。あの藤色の瞳と伏せた睫毛。よく通る涼やかな声。


 執事があの人の名前を呼んでいた気がするけれど、思い出せない。

ベッドから上体を起こしてぼんやりしていると、部屋をノックする音が聞こえた。

「さぁさ、お疲れでしょう。朝食はこちらにお持ちしましたよ」

ヒルデという名の中年の家政婦が、お茶や食事の乗った盆を運んでくれた。

「……ありがとうございます」

「お召し物はこちらに用意しましたよ。上等なものでなくて申し訳ないですが」

ゆったりとしたシャツ、その上に羽織るベスト、無地のスカートを持ってきてくれた。

「いえ、あるだけありがたいです」

私が昨日来ていた服は、ボロボロとまではいかないけれど、少しくたびれた質素なワンピースだった。


「ご気分がよければ、レイフォード様がお話を聞きたいそうですよ」

「レイフォード様?」

「あなたをお連れになった方ですよ。この素導館(そどうかん)の主です」

「そどうかん……」


(そういえば、あの人は『そどうしさま』と呼ばれていた)

私のオウム返しの返答を疲れのせいだと解釈したのか、家政婦が気遣うように言った。

「無理をなさらなくても構いませんよ」

あの人に会うのも、よく分からないことをされるのも、嫌だ。

「ちょっと、疲れていて……」

「そうでしょうとも。レイフォード様には体力が戻るまでお待ちくださいとお伝えしましょう」

「ありがとうございます」


 とりあえず、今日のところは逃れることができた。

(でも、いつまで、こうして逃げていられるだろう)

同じ館にいて衣食住の世話になっている以上、遅かれ早かれ、あの変な儀式は免れないだろう。彼はその権利を得るために、私を保護するような口ぶりだった。当然、その権利を主張するだろう。


 家政婦が部屋を出ていくと、私は顔を洗って用意してもらった服に着替えた。ふと銀製の手鏡が置いてあることに気が付き、覗き見る。


 胸元まで流れる癖のない焦げ茶色の髪。まだ幼さを感じさせる、丸みを帯びた薄茶の瞳。


 少女ではないけれど、女性でもない。子どもではないけれど、大人でもない。

そんな境界の姿。

(私ってこんな顔だったっけ)

 映り込んだ像は、見覚えがあるようでもあり、ないようでもあった。まるで、名前を思い出せない古い友人を見ているような不思議な感覚を抱いた。


分からないことだらけだ。

なぜ私は昨日あんな村にいたのだろう。

かといって、どこが私のいるべき場所なのか、それも分からない。


――なぜこんなに分からないことばかりなんだろう。



 翌々日の昼食後、私はそうっと部屋を出てみた。

疲労を理由に食事を毎回運んでもらっていたが、ずっとベッドに休んでいるのも限界だったのだ。

(暇すぎて……)


 人目を避けて廊下をこっそりと歩いている途中で、偶然見つけた外へ通じる勝手口から私は庭に出た。私の複雑な心中とは対照的に、庭には色々な種類の花が咲き乱れていた。花の茎を登るてんとう虫を屈んで眺める。

――悩みがなさそうでいいな。

それが突然、空に飛んでいったので立ち上がって目で追ったとき、書斎で机に向かう()が窓越しに見えた。

と思う間もなく、思いっきり目が合ってしまった。


 固まる私。

(嘘でしょ……)


 まさか、自分の好奇心で自滅するなんて。おとなしく部屋にいれば、彼と出くわすこともなかったのに。

疲労で会えないと言っている者が、なぜ彼の庭を勝手にうろついているのか。きっと問い詰められる。あの変な儀式みたいなことをされる。透明な塊を、今度は足の裏か腹にでも当てられるかもしれない。

どうせ彼は私のことを気に入らないに決まってる。そんな確信が、胸の中を駆け巡った。


 書斎から庭へ出るガラス戸を開けて、彼が近づいてくる。

今日の彼は、あの浮世離れした正装姿ではなかった。シンプルなシャツの襟元を少し開けた、どこか無造作な着こなし。そんな飾り気のない装いであっても、彼はまるで命を吹き込まれた彫刻のようだった。

私はうつむいて、自分の足元の花をじっと見つめていた。こんなに心細い思いも、気まずい思いも関係なく、呑気に咲いている花が恨めしい気分だった。


「……体調はどうだ?」

ためらいがちに掛けられた言葉は、思いのほか優しい響きを含んでいた。

「もう元気……です」

「それは何より……良かったら、中で何か飲まないか?」


 急にまっとうな人間扱いをされて、驚いた私が顔を上げると、彼は少し困惑したような表情をした。私がちゃんと付いて来ているか確認するかのように、彼はこちらを振り返りながらゆっくりと書斎に戻っていく。

その紳士的な態度に意表を突かれ、私は気がついていなかった。彼の瞳の奥に、強い好奇心がきらめいていることを。

次話は2026.5.16投稿予定です。

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