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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第三章 源素と祭り

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第39話 思いを伝えるすべ

 明日はついにお祭りだ。もうずっとレイフォードさんと二人で話す機会なんてなかった。なんでもないことを話して笑い合いたいのに。

(レイフォードさんは忙しくて大変なのに、自分のことばかり考えて……私、ダメだな)


 身勝手な自分に自己嫌悪してしまう。彼に負担なく、応援する方法はないだろうか。マルガレーテさんは彼の側であんなに力になれるのに。

そういえば、マルガレーテさんはレイフォードさんに手紙をもらったと言っていた。私はいつも近くにいるから、手紙を貰う機会なんてないけれど。


――いいな、私もレイフォードさんから手紙を貰ってみたい。

(手紙、書いてみようかな)

自分がして欲しいことをするなんて、返事を期待しているみたいで不純な動機。

でも手紙くらいなら……きっと迷惑にはならないよね?

ヒューさんの忘れられた手紙のことが脳裏をよぎる。

(読むの、忘れちゃうかな)


――それでも、いいんだ。

私は久しぶりに弾んだ気持ちでペンを取った。なんて書こう。

『忙しそうで身体が心配です。お祭りが終わったらゆっくり休んでくださいね。

なにもできなくて、ごめんなさい。』

(これは駄目だ。彼に気を使わせてしまう)


『私もいつか役に立てるように勉強します。

レイフォードさんが大事にしているものを、私も分かち合いたい。』

(これはちょっと重いかな)


 何度も書き直して、やっと書き終えたときには夜がすっかり更けていた。明日はお祭りなのに。といっても、私に役目はないのだけど。


 私はふと思いついて、もう一通の手紙を書き始めた。それは別の人物に感謝の思いを伝える手紙だった。


 書き上げた二通の手紙を手に私は逡巡していた。

(どうしよう。レイフォードさんにはお祭りの前に読んで欲しいけど、朝に渡すのでは間に合わないよね)

こんな夜遅くレイフォードさんはまだ起きてるかな?

前回は徹夜だったらしいし。もし書斎の明かりがついていたら、そっと扉の下の隙間から入れよう。

私はそう決意すると、物音を立てないように部屋を出てそっと忍び足で書斎へ向かった。


 書斎の扉からは明かりが漏れていた。

よかった、まだ起きてるみたい。それと同時に心配になった。毎晩こんな遅くまで起きていたのかな? 今夜は徹夜なのかな?

扉は完全に閉まっていなくて、ほんのわずかに開いていた。

どうしよう。ノックする? うたた寝とかしてるかも? まさか、マルガレーテさんもいたり……?


 耳を澄ましてみる。会話は聞こえない。そのとき、少しだけ書類を触るようなカサッという音がして、小さなため息が聞こえた。

――レイフォードさんのため息だ。

瞬時に判別できてしまう自分が恐い。


 私は扉の前で、部屋の中に入っていいのかずっとためらっていた。

レイフォードさんは中にいる。それに起きている。

ここまで来たからには、絶対に手紙を渡したい。できれば直接。

ほんのちょっとで構わないから二人で会話したい。

「頑張ってください」と「おやすみなさい」を伝えるだけでいいから。

私は決意を固めて行動を起こすことにした。



 明日はやっと本番だ。

マルゴが来てくれたから何とかなりそうだが、危なかった。

レイフォードは去年の悪夢を思い出して眉根を寄せた。

(あれは、もう二度と経験したくない)


来年はもっと早くから準備しないといけない。

手順書を作って、外注できるものはどんどん自分以外に回して、どうしても避けられない作業だけに集中しよう。

素視も溜まってる。明日の祭りが終わっても当分忙しいだろう。


 小さなため息が漏れる。


 リリーに全然会えてない。

最近めっきり顔を見せに来ない。一度、東屋にいるのを見たがヒューと一緒だった。

(しかも、手を繋いでいた)

眉間の皺が深くなる。駄目だ。睡眠時間を削るとろくなことにならない。


(なぜ手を繋ぐんだ)

いや、そんなことは大した問題じゃない。別にリリーの自由だ。

なのに、なぜこんなに苛つくのか。


(あれは俺だけの特権なのに)

何を考えているんだ、俺は。明日の儀式の最終確認をして少しは寝ないと。眠気を払うように指先で目元を強く圧し、そのまま顔半分を撫で下ろした。寂しそうにしているリリーに伝えたいのに。今は忙しいけれど、これさえ片付けば、と。


(抱きしめて、安心させてやりたい)


……今、何を考えていた? 自分の思考が信じられない。


「……ィフォードさん……レイフォードさん……」

ついにはリリーの声の幻聴まで聞こえてきた。

(もう駄目だ。寝よう)


「……レイフォードさん」

 今度は、はっきり聞こえた。

弾かれたように顔を上げる。どこからだ? 庭? いや、窓の外は一面の暗闇だ。

「……レイフォードさん……」


 声のする方に目を走らせると、わずかに開いた部屋の扉に視線が吸い寄せられた。

まさか。でも、確かに今リリーの声が聞こえた。

自分でも愚かだと思う。

ゆっくりと立ち上がって扉に向かい、そんな訳がないと自らの考えを否定しながら扉をそっと開けた。


 そこにはリリーがいた。


「レイフォ……あ……」

彼女は両手を口元に寄せ、まるでひそひそ話をするように声を部屋の中へ届けようとしていた。気まずそうな顔をしてこちらを見上げてくる。

なぜ小声で俺を呼ぶんだ。それになぜ、よりによってまた夜着姿なんだ。夜更けだからその方が自然なのだが。


「な、なんで君がここに」

自分でも噛むのが分かった。睡眠不足だし連日の疲労が溜まっている。その上、ちょうど思い浮かべていたリリーが深夜に目の前に突然現れれば、呂律も回らなくなる。目眩までしてきた。思わず片手で額を押さえる。


 その態度に彼女は傷ついたようだった。

「本当にすみません、忙しいのに邪魔しちゃって」

違う、謝らせたかったんじゃない。傷つけたいわけじゃないのに。


「あの、これ」

おずおずと彼女は封筒を差し出した。

今? こんな遅くに郵便が来たというのか?

反射的に受け取って封筒の表を見る。

そこには『レイフォードさんへ』と彼女の字で書かれていた。


「お祭り頑張ってください。もしできたら、それ読んでください。あ、でも忙しくて読めなかったら読まなくても……」

呆気に取られて彼女を見つめると、みるみる真っ赤になってうつむいてしまった。

「君が、俺に手紙を……?」

リリーはこくりと頷くと「そういう訳なので、おやすみなさい……!」と早口で言って踵を返した。


――ちょっと待て。


 言葉が出る前に、彼女の腕を掴んで引き寄せていた。

そのまま思い切り抱きしめる。

夜着越しの彼女の柔らかい肌の感触と体温が伝わってくる。

顔を彼女の頭に埋めて深く息をすると、髪の匂いがした。

これは夢なのだろうか。


――もうこのまま意識を失ってしまいそうだ。


仕方ないだろう、ずっとこうしたかったんだから。

そうしたら、突然目の前に現れるんだから。

しかも手紙を持って。


 彼女を掻き抱いたまま、ため息交じりにつぶやいた。

「……まいったな、本当に」

俺の胸に顔を押し付けられて彼女はくぐもった声で言った。

「あの……レイフォードさん? 大丈夫ですか?」

「全然、大丈夫じゃない」

「え、ど、どうしたら」

「もう少し、このままで」

「え?」

「頼むから」

「……はい」


どれくらいそうしていただろうか。

段々と正気に返ってきた。

これは、まずいのではないだろうか。

夜更けにリリーを抱きしめているのは。

リリーだって嫌かもしれないのに。

拒否はされていないから、いいのか?

いや、駄目だろう。どう考えても。

一体どんな顔をして、この腕を解けば良いんだ。


「……手紙、ありがとう」

ゆっくりと彼女の身体を離す。

「いえ、勝手に私が書いただけなので、お礼なんて」

彼女は耳や首筋まで真っ赤になっていた。うつむいて俺と目を合わせようとしない。

「すまない、急に」

「いえ、こんなことで良ければいつでも……」


(なら、また頼みたい)

そう思ったが、さすがに口には出せなかった。

「もう遅いから君も寝なさい」

自分で引き止めておいて何を言っているのか。

だが、もう仕方ない。崩れかけた理性をなんとか取り繕うしかない。

「はい、おやすみなさい……」

リリーは最後まで目を合わせないままパタパタと走り去っていった。


 後に残された俺は手にした封筒を呆然と見つめた。

部屋に戻り、肘掛け椅子に座って封を開け便箋を広げる。彼女らしい、几帳面に書かれているが、まだどこかぎこちない文字で綴られた文章を読む。先程の疲労によるものとは異なる種類のため息がこぼれた。


可愛すぎるだろう。こんな事をしてくるなんて。

彼女はいつだって、俺の想像を容易く飛び越えてくる。

明日の祭りのことが全部どこかへ行ってしまいそうだ。

儀式の途中で台詞が頭から飛んだら、リリーのせいだ。


 再びため息をついて椅子の背もたれに深く寄りかかった。

天井を仰ぎ見た後、俺は手紙をそっと胸元にしまい、ゆっくりと目を閉じた。

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