第36話 マルガレーテ・ハルマン
翌日、マルガレーテさんが海辺にある聖堂院というところからカエリム家の馬車に乗って館へやって来た。
旧都からこの素導館よりさらに離れた地へ、わざわざ送迎の馬車を差し向ける。その手間を惜しまぬ対応に、カエリム家が彼女に注ぐ愛情の深さと彼女の重要性が透けて見えた。
馬車の轍の音を聞きつけて、いそいそとヒルダとトッドが外へ駆けつける。それより早く、すでに待ち受けていたレイフォードさんがマルガレーテさんに手を貸して彼女が馬車から降りるのを手伝っていた。
(レイフォードさん、いつの間に)
誰よりも早く出迎える熱量と、彼女に差し出された手のひら。
自分には与えられなかったものと、自分だけのものだと思っていたもの。
その二つの現実が私の胸を棘のように突いた。
でもその痛みが鈍くなるほど上回った感情は、彼女の容姿への驚きだった。
ヒューさんに『レイフォードさんのようだ』と称された彼女は、彼とまるで似ていなかった。
ただ一つ、人の目を一瞬で奪うような美しい容姿をしているという点を除いて。
艶のある長い赤銅色の髪は幾重にも重なって柔らかく波打っていた。
彼女がやってきたという海辺のさざなみのようだ。
可憐なすみれを彷彿とさせる深い紫色の瞳は、言葉こそ同じ紫なのに、レイフォードさんとは全く違う印象を与えた。
彼女の華奢な耳を飾る小さなアメジストの耳飾りがその美しい瞳を引き立てるように輝いていた。
とても大人びているのに少女なのは見間違えることはない、鮮烈な美少女だった。
「レイ、顔に疲れが出てるわ。もう大丈夫よ、強力な助っ人が参上したんですもの」
鈴を転がしたような透き通った甘い響きの声。
(声まで可愛いだなんて、反則じゃない?)
神は彼女に特別愛着を抱き、数え切れないほどの特典を与えたに違いない。信じてもいない神を恨めしく思う。
彼女はトッドとヒルダに愛らしい微笑みを向けた。
「マルガレーテ様、お疲れでしょう。さ、まずは中でお茶でも召し上がってください」
「お部屋はそのままにしてありますからね。お荷物も全てお運びして荷解きしておきますから」
下にも置かぬもてなしぶりだ。そもそも、ここは彼女の実家同然なのだから当たり前なのだけれど。
「ヒューバート様、一年ぶりにお目にかかりますわね」
彼女は私の背後のヒューさんに声をかけ、そこで初めて私の存在に気がついたようだった。
驚いたようにその綺麗な瞳を見開く。
「あら、お客様?」
私が自己紹介をする前に、彼女の荷物を御者から受け取ったレイフォードさんが答えた。
「リリーだ。前に手紙に書いただろう」
彼女はゆっくりとレイフォードさんの方を振り返った。
「……春のころの手紙? あれからずっと、ということ?」
「そうだ」
「そう……それは知らなかったわ」
「そうだったか? まあ、いいだろう。一息ついたら打ち合わせをするから、なるべく早く書斎に来てくれ」
無頓着に彼は言った。
急いでいるからだと思いたかったが、私のことはどうでもいいみたいに聞こえて、胸の奥がつきりと痛んだ。
レイフォードさんは自ら彼女の荷物を運びながら皆と一緒に中へ入っていった。後には私とヒューさんが残された。
「リリーちゃん、中に入らないの?」ヒューさんが小さく頭を傾けて、促すように館の入口を示した。
「あ、今、行きます」
私は元気を取り繕って言った。皆の無関心も辛かったが、せめてヒューさんにだけは惨めで可哀想な子だなんて思われたくなかった。




