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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第三章 源素と祭り

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第35話 妹であり、従姉妹であり、婚約者?

 ヒューさんが到着して館の雰囲気が変わった。どこか余裕ができた感じだ。久しぶりに夕食の席が明るい空気に包まれた。


「レイ、本気で俺が来るの忘れてたの?」

「完全に忘れてたな、そんなことに構っていられないくらい忙しかった」

「ひどっ」 

ヒューさんがちぎったパンを口の中へ放り込んで言った。

「祭りまで、あと五日? 何とか間に合いそうなわけ?」

「明日になればマルゴが来るから何とかなるだろう」

「マルゴちゃんって今、聖堂院にいるんだっけ?」

「ああ」


 初めて聞く女性の名前に私はためらいがちに尋ねた。

「マルゴさん……は、素導師なんですか?」

疲労の色を隠せないレイフォードさんが、ああ、と今気づいたという風に私を見た。


「リリーにはまだ伝えていなかったか……マルゴは素導師じゃない、妹だ」

「妹さん!? お兄さん二人だけじゃなかったんですね」

「正確には、母が後見人をしている従姉妹だ」

「あ、そうなんだ? 妹だと思ってた」ヒューさんが口を挟んだ。

「妹同然だし、妹みたいなものだ。だから妹でいいだろう」

無造作にナフキンを机に投げ出しながらレイフォードさんが言った。


(マルゴさんって何歳くらいなんだろう。私より上かな、下かな。どんな人なんだろう)

レイフォードさんは食事もそこそこに書斎へ戻ってしまったので、それ以上マルゴさんについては聞けなかった。気になった私は代わりにヒューさんに質問した。

「マルゴさんって、どんな人なんですか?」

「俺も去年一度会ったきりなんだよね。……そうだなー、女版レイって感じ?」

レイフォードさんの女性版? 全く想像がつかない。

首をひねって考えている私を見て、ヒューさんはさらに説明してくれた。

「人形みたいに綺麗で、生真面目で責任感が強い」


(それなら想像しやすい)

マルゴさんも銀髪で藤色の瞳なのだろうか。もしそうなら、すごくいいな。

「私より年上ですか? 年下ですか?」

「マルゴちゃんの方が年下……じゃないかな? ていうか、リリーちゃんっていくつなの?」

「はっきり分からないんです。十七か、十八……十九かも?」


「マルガレーテ様は今年で十七歳をお迎えになります」

突然割って入った声は、家政婦のヒルダだった。意表を突かれた私たちは彼女を見た。ヒューさんに問いかけられれば親しみを込めて応じることはあっても、私たちだけの会話に彼女自ら加わるのはこれが初めてのことだった。


 隠しきれない深い愛情と敬意を込めて、彼女は続けた。

「マルガレーテ様はまだお小さいときにこちらの素導館にお越しになって、昨年聖堂院へいらっしゃるまでずっとここで過ごされていました。レイフォード様も幼少期にこちらへたまにいらっしゃって、それは本当のご兄妹のように仲がよろしくて。いずれはお二人がご結婚なさってこの素導館を引き継ぐ、というのが先代様の願いでした」


――二人が、結婚……?


 突然大量に頭の中になだれ込んだ情報の中で、私の胸に引っかかったのはその単語だった。

ヒューさんもまた同様だった。


「えー! あの堅物で無愛想で色恋沙汰に無縁のレイが!? マルゴちゃんが婚約者ってこと!?」

「あくまで先代様のご希望ですが」

「でも、レイはずっと妹って言ってたよ」

「マルガレーテ様もレイフォード様も心の内をあまりお出しになる方ではありませんから、私には分かりませんが……」

「えー? あ、婚約者がいたから学生時代に浮いた話の一つもなかったのか? ……でも、婚約なんて、そんな話聞いたこともないぞ」


 初めて聞く親友の噂に色めき立ったヒューさんは、様々な推測を口にしては一人で騒いでいた。


 柔らかな印象だけど常に使用人の枠をはみ出さなかったヒルダが、わざわざこんなことを言うなんて。

ヒューさんに主人のプライベートを勝手に伝える必要なんてないのに。

違和感に戸惑ったけど、急にその理由が腑に落ちた。


――私に言ったんだ。


 私を傷つけようとして言ったわけではないのだろう。けれど、敬愛するマルガレーテを無意識にかばうように語られた言葉は、何よりも強く私を牽制した。

「お二人の間にあなたの入る余地はありません」そう言われた気がした。


 動揺していることを絶対に誰にも悟られたくなかった。

なにか言わなきゃ。黙りこくっていたら、ショックを受けていると思われてしまう。


でも、どんな顔をして何を言ったらいいの。

「本当にびっくりですね」と、何の他意もなくただ驚いたように言う?

それか、「わあ、素敵」って夢見るように祝福してみせる?

――「それは本当なんですか」と、はっきり問いただす勇気があればいいのに。


だって、レイフォードさんが言ったのではない。

彼が認めたわけじゃない。

だからまだ信じ込むのは早い。そうかもしれないっていうだけ。

それなのに、私は思った以上に打撃を受けて何の言葉も発することができなかった。

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