第34話 誰からも見えない透明人間
土の月になった。レイフォードさんの管轄している地域は、土の属性の人が多いらしい。
「源素って地域性があるんですね」
そう言った私に、レイフォードさんは答えた。
「若干多いといった程度なんだ。最近は移動する人も多いし、かつてほどではないんだが」
彼は困ったようにため息をついた。
「ただ、土の月の祭りは俺が担当するんだ。だからこれから忙しくなる」
その言葉の通り、彼は猛烈に忙しくなった。
どのくらい忙しいかというと、素視が全部後回しになってレイフォードさんの時間のすべてがお祭りの準備に費やされるほどだった。どうやら秋の収穫祭に盆踊りが加わったものみたいな、この地域では年に一回の盛大なお祭りらしい。
朝早くからなんだかんだと打ち合わせの訪問客がひっきりなしに来るし、お昼を抜くことも増えた。夜も遅くまで書斎の明かりがついている。
何か手伝いたいのに、何をしたらいいのか分からない。
疲弊した様子の彼に「できることがあったら」と声を掛けたものの、何も分からない私に内容や手順を説明してくれる間にも続々と彼に指示を乞う人が話しかけてくるので、せめて邪魔にならないように大人しくしているのが私にできる唯一のことだった。
仕事の合間に簡単に食べられるようなサンドイッチとお茶だけでもと思って用意したけれど、夕方になってもそのままになっていてレイフォードさんが謝ることもあった。
謝らないで。
助けたいのに私は余計なことばかりしてしまう。
源素のことは分からないけれど、分かりたい。
あなたがそれほど大事にしていることだから。
その気持ちを理解したい。
でも私は足手まといになってしまう。
――自分の不甲斐なさが情けない。
せめて聖堂の朝と夕方の戸締まりだけは絶対に不備のないようにしようとしたけれど、そこも何か取りに来る人や打ち合わせをしに来た人たちがしょっちゅう出入りするので、お祭りが終わるまでレイフォードさんが管理することになった。
――みんな忙しそうなのに、私には何もできることがない。
自己嫌悪に陥っているなんておくびにも出さないように、私は完全に気配を消していた。
*
そんなある日、突然ヒューさんが現れた。大荷物を担いで、しかも徒歩で。
皆の邪魔にならないように庭で過ごしていた私は、門から入ってきた彼に声を掛けられた。
「おー、みんな忙しそうだね。リリーちゃん、久しぶり。旧都で会って以来だから二月ぶりかな? 元気してた?」
忙しすぎて何かの拍子に殺気立つほどの緊迫した空気をものともせず、彼は朗らかに言った。私は相手をしてくれる人を見つけた喜びで半泣きになりながら彼を歓迎した。
「ヒューさん! こちらに来るなんて知りませんでした! お祭りを手伝いに来たんですか?」
「え、あいつに手紙出したはずなんだけど」
「レイフォードさんはここ最近ずっとお祭りの準備で忙殺されていて。多分読んでないか、読んでても忘れてるかのどっちかだと思います」
「マジ? 俺の部屋って用意されてるのかな」
「分かりません……ヒューさん、歩いてきたんですか?」
「乗合馬車で近くの村まで来て、そっから歩いてきた。なんだー、こんなことならリリーちゃんに手紙出せばよかったね」
「みんな大忙しなのに、足手まといになっちゃうから何も手伝えなくて。手紙をもらってたとしても、私に何かできていたとは思えません……」
「おーおー、それは辛いね」
彼は子どもをなだめるように、弱音を吐く私の頭にぽんぽんと手を置いた。深刻に心配するのではなく冗談めかして私の気持ちを受け入れてくれる。
その大きな手が温かくて、私は本当に泣き出しそうだった。
ヒューさんの姿を見た家政婦のヒルダは驚いて大きな声で言った。
「ヒューバート様! 今日、お越しでしたか!」
「うん、俺の部屋、ある?」
「今年もお越しになるだろうと思って用意はしてありますが、まだきちんと整っていなくて……」
「いいよ、いいよ。自分でやるから。飯だけ俺の分も出してくれれば十分」
「申し訳ありません、土の月のお祭りで手一杯で」
「むしろ忙しい時期にごめんねー」
彼が言うと、みんなホッとしたように素直に受け取る。
気を遣わせないのが本当に上手い。
(彼は私と違って、邪魔にならない)
同士を見つけたと思ったけど、全然違った。
彼はこの世界の人だし大人だし、なにより立派な素導師なのだから。
「あの、何かお手伝いしましょうか?」
「え、いいの? じゃあ、この荷物持ってくれる?」
彼は一番小さい荷物を私に手渡した。私は大事に荷物を両手で抱えると、一緒にヒューさんの部屋へ運んだ。
部屋の中はがらんとしていて、椅子の上にはシーツと布団が置かれていた。ヒューさんはベッドの準備がされていないことに文句も言わず、どさっと荷物を床に置くと「寝るとこあって、よかったー」と事もなげに言った。
二人で一緒にベッドの上にシーツを広げて整える。
彼は敷いたばかりの真っ白なシーツの上に、どさりと倒れ込んだ。
「あー、ケツ痛い。乗合馬車って座面最悪」
「分かります。馬車はお尻が死にますよね」
頷きながら全力で同意する私に、彼はふっと笑った。
「”ケツが死ぬ”ってすごい表現だね。リリーちゃんてさ、たまに面白いこと言うよね」
彼は可笑しそうに肩を揺らしながら身を起こすと、ベッドの端に腰掛けた。
そして荷物をがさごそと漁ると一冊の本を取り出した。
「はい、これ。手伝ってくれたお礼にあげる」
差し出された本を受け取って表紙を見ると、それは寓話集を集めた子ども向けの絵本だった。
「文字の勉強にいいかと思って」
思いがけないプレゼントに私は胸を打たれた。
(覚えていて、私のことを気にかけてくれたんだ)
この世界で私に特別な関心を示してくれるのはレイフォードさんだけだから、ヒューさんにとって気まぐれな優しさだったとしても私は本当に嬉しかった。
「あぁ……ありがとうございますぅ」
泣きながらお礼を言う私に、ヒューさんは優しく笑ってくれた。
「あはは、大げさだなー。そんなに喜んでもらえるなら持ってきた甲斐があったよ」
そして、本を抱えて涙を拭う私の頭に再び優しく手を置いてくれるのだった。




