第29話 ステンドグラス、神の居る所
素導館に戻ってから、あっという間に十日が過ぎた。
帰りの馬車に乗る直前、レイフォードさんのお母さんは綺麗なビーズ刺繍の施された巾着袋を私に手渡した。じゃらりとした感触がして、中をのぞくと金銀に輝く硬貨が入っていた。
戸惑う私に彼女は言った。
「これはあなたへの正当な報酬よ。あなたはそれに見合うだけのことをしてくれた。カエリム家は借りを作らないの」
全く自分のお金を持ち合わせていない私には本当にありがたい心遣いだったが、あまりの額に躊躇しているとレイフォードさんが後押しするように言った。
「受け取ればいい。そのうち、望まずともタダ働きさせられることになる」
私は丁重にお礼を言って受け取った。
「またデザインを思いついたら送ってね。あなたの話していた乗馬服も試作品を作ってみるから」
そう言って彼女は新しいドレスの注文が殺到して忙しい中、私たちを乗せた馬車が出発するのを見送ってくれるのだった。
*
帰って数日が過ぎたある日、レイフォードさんは敷地内の聖堂に連れて行ってくれた。
こげ茶色のレンガ造りの建物は歴史を刻んだ端正な佇まいで、丹念に手入れされているのが見て取れた。アーチ状の入口をくぐって鉄製の錠が設えられた立派な木の扉を開けると、中はひんやりとして静寂に満たされていた。
両側にいくつも並ぶ長椅子の間を通って、長年磨き込まれて飴色になった寄木細工の床の上を進む。
外の晴天が嘘みたいな暗がりの中、十二源素を象った色鮮やかなステンドグラスの光彩が浮き上がっている。
その煌めきはまるで絶望という暗闇の中で静かに、けれど凛として周囲を照らす希望のよう。
なんて荘厳な美しさなんだろう。
ここは人々の祈りの場なんだ。
何十年、数百年と願いを重ねてきた神聖な場。
――神様がいるのかも。
十二源素のことは分からなくても、人々が込めた想いは分かる。
本当に命が吹き込まれて輝いているみたいだ。
神様を心から信じているわけじゃない。
でももしかしたら神様はこんなにも美しい祈りの場所ならば、本当に願ったとき、絶望に打ちひしがれたとき、存在をかすかに感じさせてその姿の片鱗を見せてくれるのかもしれない。
強烈に照らす光ではなく、暗闇に差す希望の光。
――レイフォードさんそのものだ。
胸に熱い塊が詰まったようで私は一言も発することができなかった。言葉にしたらこの美しさが汚れてしまいそうだった。
彼はそんな私に何も声をかけずに、ただ黙って側にいてくれた。
*
それから私は何度も聖堂を訪れるようになっていた。
一度、聖堂でレイフォードさんが素視を行う姿を偶然見かけた。若い夫婦が抱っこした赤ちゃんの額にレイフォードさんがそっとコンフェを添えていた。
――あの光。
赤ちゃんを愛おしそうに大切そうに見つめる夫婦。その家族を加護するかのようなレイフォードさんの神々しい姿。
私はそこに入れない。どんなに望んでも決して手の届かないものが、そこにあった。
旧都から戻って以降、レイフォードさんは私を視ることがなくなった。
――もう私には研究する価値がないの?
あんなに何度も繰り返していたのに。今は何物にも代えがたいほど貴重な瞬間に思えて、あの時に戻れたらいいのにと痛いほど願う。
重ねられた手の中で光るコンフェ。
伏せられた彼の睫毛、透き通った声。
詠唱するレイフォードさんを見つめているのが本当に好きだった。
ずっと見ていても飽きないほどに。
――あの劇場の夜は一夜の幻だったのかもしれない。
気づいていないふりをしているけれど、たまにレイフォードさんの視線を感じる。これまでは、珍しい生き物を保護してどういう風に育てたらいいのか分からなくて観察しているような感じだった。
今は私が傷ついていないか、まるで心の内を探ろうとしているみたい。
(なんだか腫れ物扱いだ)
――このままでいいのかな。
私を保護してくれたとき、彼が村長に告げた言葉を思い出す。
『調査の後、私から然るべき場所へ引き渡そう』
私はここには期限付きの滞在のはず。心が凍るような寒気に襲われているのに、背中にはじっとりと嫌な汗が伝う。怖くて彼に聞けない。
「そうだったな。じゃあ、違う所へ君の身を移そう」
もし彼にそう言われたら。
私はどうしたらいいんだろう。




