第25話 『売りつけるのではなく、手に入れたいと思わせる』
劇場には沢山の馬車が乗り付けていた。私たちがホールに入ると着飾った人々で埋め尽くされていて、怖気づいた私はエスコートしてくれているレイフォードさんの腕に思わず力を込めてしまった。
それに気づいた彼は、くすっと笑ってから私の手に自身の手をそっと重ねた。傍らの彼の顔を見上げると「大丈夫だ」と私にだけ聞こえるように囁いた。
その言葉に少しだけ緊張が解けて周りを見渡す余裕が生まれた。ふと顔を上げると、ロビーの天井に飾られた豪華なシャンデリアが目に入った。灯りがちらちらと揺れている。
「あれ、本物の火ですか?」
「もちろん」
子どものように尋ねる私に彼はさも当然とばかりに答えた。
「すごくきれいだけど、地震が起きたらと思うと怖いです」
「ジシン?」
「地面が揺れるやつです。グラグラって地面や建物が揺れるんです」
「そんなことが起きたら、世界の終わりだな」
レイフォードさんはふっと口角を上げた。
「ああ、たまに溶けた蝋が落ちてくるかもしれないな」
思い出したように、脅かすようなことを言ってくる。私はその言葉に思わず肩をすくめてこわごわと頭上を仰ぎ見た。
「ボックス席は庇があるから大丈夫だよ」
彼は堪えきれないといった風にくっくっと低く笑った。
慣れないドレスで素早く動けない私に合わせてゆっくりとした歩調で人混みを巧みに避けて進む彼に、中年の立派な軍服姿の紳士が近寄って声を掛けてきた。その紳士が腕を貸している若い女性は娘だろうか。
「レイフォード殿、兄上から素導館へ移ったと聞いていたがこのような場に姿を現すのは珍しいな」
レイフォードさんは完璧な角度で優雅にお辞儀をした。私も彼に合わせて軽く膝を折って挨拶する。
「少将閣下、お心に留めていただき光栄に存じます。変わらぬご健勝なお姿を拝見し何よりに存じます。兄も喜ぶことでしょう」
(よく分からないけど、レイフォードさんのどっちかのお兄さんの知り合いみたい)
私をそっと優しく前に促しながら彼は続けた。
「ご紹介申し上げます。今宵、私が供をする名誉に恵まれました、ユリ・リリアナ・セライフィ嬢です」
「……お初にお目にかかります。お会いできて光栄に存じます」
レイフォードさんのお母さんに特訓された挨拶文を必死で思い出して言う。
(噛まずに言えた、よかった。)
「ほう、セライフィ……聞き慣れぬ名だが」
「それも致し方のないことかと存じます。遥か遠方の地より、縁あってお迎えした大切な客人です」
レイフォードさんは顔色も変えずに言ってのけた。
隣に立っていた女性が私のドレスに見とれたように言う。
「なんて麗しい薄紅色なのかしら。バラでもなく、ダリアでもなく……見たこともないほど見事な意匠だわ。どちらのお仕立てなのですか?」
レイフォードさんは私を庇うように一歩前へ出ると、彼女に向けて優雅でどこか秘密めいた微笑を返した。
(聖職者なのに、そんなに犯罪級の色気を無自覚に振りまいていいの? 令嬢が卒倒しちゃう)
「お嬢様は真に美しいものを見分ける確かな目をお持ちですね。こちらは私共がリリアナ嬢の故郷の花『サクラ』から着想を得て、一夜しか咲かぬというその刹那の色を布地に写し取らせたものでございます。今宵、彼女の美しさに相応しい一着として、我がカエリム家が特に誂えさせた品なのです」
(ドレスと桜のこと、かなり盛ってる……レイフォードさんの『最善を尽くす』ってこういうことなんだ……)
「まあ、なんて幻想的な……ねえ、お父様、私も次の夜会ではサクラ色に染まって見事な一輪として咲き誇りたいわ」
厳格そうな軍人の父親は娘の無邪気な甘えに相好を崩した。
「レイフォード殿、娘がこう言ってきかなくてな。いずれこの美しき花を我らにも分けてもらえるかな?」
「過分なるお言葉にございます。万事整いました折には一番に閣下のお目にかけることをお約束いたしましょう。……さて、まもなく開演のベルが鳴るようです。リリアナ嬢、参りましょう」
私たちは再び礼をしてボックス席へと向かった。




