第23話 桜色のドレス
その後、私は再びレイフォードさんのお母さんに扇の使い方や最低限の劇場マナーを詰め込まれた。
夕刻、メイドに髪を櫛で梳かしてもらっている横で彼女は次々と指示を出し続ける。
「少量のローズオイルで艶を出して。巻いたりせずに、リリーのまっすぐな髪質を生かすのよ」
「化粧はちょっと異国情緒のある感じで、アイラインをほんの少し長めに引いてちょうだい」
「目元はこの色がいいわ。絶対に濃く作り込みすぎないで。リリーのピュアな若々しさをアピールするのよ。唇はこっちの口紅にして」
私はされるがままに大人しくしているのだった。
お針子たちが例のドレスを慎重に運んできたのが、鏡の端に映った。
「あなたが完成形を見るのは初めてだったわね。息を呑む素晴らしさでしょう?」
私は手伝ってもらいながら出来上がったばかりのドレスに腕を通した。
真珠の艶のような薄ピンク色の生地。
目を引くデザインのデコルテを飾るリボン。
裾にかけて、星屑を零したようにガラスビーズが一つ一つ丹念に縫い付けられている。
背中には小さなくるみボタンが一列に並んでいて、レイフォードさんのお母さん自らボタンを留めてくれた。
「とても似合っているわ。どう? 自分のデザインしたものが形になるのは」
(本当に、私のデザインって言っていいのかな)
目の前の鏡に映る姿が信じられなくて、私は戸惑いながら口を開いた。
「でも私は簡単なイメージを言っただけで……現実の形にするのは、お母……レイフォードさんのお母様やお針子さんたちの力です」
私の言葉に、無表情で裾を整えていたお針子たちは驚いたようにお互いの顔に視線を走らせた。レイフォードさんのお母さんは一瞬ボタンを留める手を止めた。彼女は鏡越しに私を見つめながら微笑んだ。
「本当に謙虚だこと。このドレスはあなたがいなかったら絶対に生まれなかったのだから、自信を持ってあなたの作品だと言っていいのよ」
そう言って彼女は私の耳にシンプルな一粒の綺麗な真珠の耳飾りを付けてくれた。
「アクセサリーは最小限に……首元はドレスのデザインを生かして何もつけないでおくわ。きらびやかな飾りじゃ無粋なほど、とても美しいもの」
素導館で初めて自分の姿を見たとき、名前を思い出せない古い友人のように感じた容姿は今やすっかり私のものとして馴染んでいた。
その時とは違う意味で、今の私は異国情緒の漂った化粧と髪型、そしてこのドレスのおかげでずっと大人びて別人のように見えた。
(いつもよりずっと……私、綺麗みたい)
そんな言葉を口にする勇気はなくて、代わりにドレスの生地をそっと指先で撫でながら言った。
「本当の桜みたいに綺麗な色」
ぽつりと呟いた私の言葉に、彼女は問いたげな眼差しを向けた。
「サクラ?」
「私の故郷で春に咲く花です。こういう綺麗な薄ピンク色の小さな花を沢山咲かせるんです。雲か霞みたいに。夜に見ても綺麗なんです」
「聞いたこともない名前だけれど、きっと美しい花なのでしょうね」
「はい、とても」
私の姿を満足気に見つめていた彼女がふいに思い出したように言った。
「そろそろレイも準備させなくちゃ」
「もうできてますよ」
声の主はドアの近くの壁にもたれて立っていた。
「レイ、いつの間に! レディの部屋に勝手に入るなんて、着替えている最中だったらどうするのよ」
髪を丁寧に後ろに撫でつけ、上着から下衣まで揃いで仕立てられた上品な濃紺の正装を隙なく着こなしたレイフォードさんは素導師姿とはまた別の迫力のある美しさを放っていた。
「何度もノックしましたよ。それでも気が付かないからドアの外で待っていたら使用人が出てきたので、着替え終わったことを確認してから入りました」
彼は自分の正当性を淡々と説明した。
「ああ、そうだったの。それで話はどこから聞いてたの?」
「サクラという花の辺りから」
「そういうことだから、上手くやってちょうだいね。劇場に集まった皆さんの記憶に焼き付くように鮮烈なお披露目をするのよ」
「最善は尽くしますよ」
毒気を抜かれたように天を仰いで彼は言った。
私は吸い込まれるように彼に見入っていた。
――なぜ、誰も彼の美しさに驚かないのだろう。
私はいつも目を奪われているのに。
母親だと生まれたときから見ているから慣れているのだろうか。私のことはあんなに褒めてくれたのに、こんなに美しい彼に誰も特別な反応を示さないのが不思議だった。
「レイ、どう思う? 今夜のリリーとっても綺麗でしょう?」
話を私に振るのは止めてほしい。彼が「綺麗ですね」なんて私に言うはずがないのに。「ドレスのことは専門外です」と突き放されるか、「そのドレスは誰が着ても美しいですよ」と皮肉られるのが関の山だ。それか老師の件があってから辛辣さを押さえている彼のことだから、妥協して「そうですね」と棒読みで返すかもしれない。いずれにせよ、言われる私が傷つくのだから彼に何も言わせないでくれたらいいのに。
せっかく芽生えかけた自信を台無しにされたくなくて、私はいたたまれない思いで彼から顔を逸らして目を伏せた。
「ええ、とても美しいですね」
澄んだ静かな声が聞こえた。
思いがけない言葉に驚いて顔を上げると、彼は何の表情も見せずに私をじっと見つめていた。
――どういう感情で言っているの?
困惑する私をよそに母親は嬉しそうに息子に言った。
「あら、めずらしく素直に褒めるのね。それも無理ないわ。本当に素敵だもの。きっと今夜は誰もが忘れられない夜になるわよ」




