第12話 馬車は見た目ほど良いものではない
乗馬を教えてもらった翌日にヒューさんが旧都へ帰って、すぐのこと。レイフォードさんから近いうちに私たちも旧都に行くと知らされた。源素の見えない私のことを、偉い人に視てもらうそうだ。その人ならなにか分かるかもしれない、と。
やることがなくて、ひたすら文字の勉強をするだけの私には特に反対する理由もなかった。
二、三週間ほど経ったある日、旧都にあるレイフォードさんの実家から迎えの馬車がやってきた。
出発の日、早めの朝食を済ませて旅支度の荷物を持った私は玄関ポーチでレイフォードさんを待っていた。出発の準備に追われる御者たちと出番を待つ大きな馬車をぼんやりと眺める。
(馬車がわざわざ迎えに来るなんて、レイフォードさんの実家って一体どんな家なの?)
品のいい深い緑色に塗られた車体と金色の縁取り。扉には家紋のような複雑な模様が描かれ、その下にはこう書いてあった。
「カ・エ・リ・ム」
覚えたての文字をなぞるように読む私の背後から不機嫌そうな声がした。
「悪趣味な馬車だ。まるで走る広告塔だな」
振り返った先には、案の定眉を寄せたレイフォードさんが立っていた。
「悪趣味なんですか? これはこれで綺麗だと思いますけど」
「自分の家名をわざわざ名乗りながら走る意味がない」
(たしかにレイフォードさんならそう思うかも)
「もっとシンプルだったら、どうですか? ベースを紺色にして小さく文字だけ銀色で入れるとか。小さい家紋だけワンポイントにするとか」
「それならマシかもな。そもそもあれは家紋じゃない。一介の商人に家紋なんてないさ。貴族の真似をしてモチーフを描いただけだ」
「レイフォードさんの家って商人なんですか?」
(こんなに愛想悪くて、大丈夫なのかな)
レイフォードさんは私の荷物を手にすると御者に預けながら言った。
「商売をしているのは親だ。家業は兄が継ぐし、俺はここで素導師をしているんだから関係ない」
「レイフォードさん、接客向いてなさそうですもんね」
「やりたくもない」
フンと軽く鼻を鳴らして言う。
(商品を売るために営業をするレイフォードさん……)
想像すると笑えてきた。レイフォードさんは偏屈で頑固で自分の世界を持っているような職業が似合ってる。気難しいけど一本気な職人みたい。
「というか、お兄さんがいるんですね」
弟という立場があまりにも似合わなくて驚く。しかも聞くと二人もいるらしい。
(三人兄弟の末っ子……?)
全然似合わない。いや、この尊大さと意思の強さは自由奔放に育った末っ子らしさと言えなくもないのか。
「行くぞ」
レイフォードさんは肘を私に差し出すと目で合図した。今回はため息をつかれることなく、彼の肘を借りて上手く乗ることができた。
中のシートには暗い朱色のベルベットが張られていて、刺繍の施されたクッションがいくつも置かれている。以前、私が初めて乗った馬車に引けをとらない豪華さだ。出発してしばらくの間、私はわくわくして外の様子を見てはレイフォードさんに嬉々として話しかけていた、のだが……。
「もう、お尻が限界かも……」
口元を引きつらせて私は訴えた。
「まだ半分も行ってないぞ」
向かい合わせに座ったレイフォードさんが呆れたように言った。
「さっきまではしゃいでいたくせに」
「だって……」
馬車は絶えず振動していて、硬めのシートに座っているとだんだんお尻が痛くなってくる。私は先程からずっと体の重心を右にしたり左にしたり、どうにか苦痛を和らげようと苦心していた。
「あとどのくらいかかるんですか?」
レイフォードさんは腰元につけた懐中時計のようなものを見ながら言った。
「あと一刻ほどで休憩地につく。そこで馬を休ませて昼食にする。その後また二刻の移動だ」
この世界の一刻はだいたい一時間だ。
「そんな……」
私はこの世の終わりのような悲痛な表情をした。
レイフォードさんは片眉を上げて、心外だと言わんばかりの様子だ。
「これでもかなり負担を考慮した道程なんだ。遅いと馬車に乗る時間が長くなるし、これ以上速めると揺れが激しくなって天井に頭を打つ羽目になるぞ」
そう言いながら自分のクッションを私に寄越してくれるのだった。
休憩地につく頃には私の顔はすっかり土気色になっていた。
先に外へ出たレイフォードさんが私が降りるのを手助けするため片手を差し出して待ってくれている。
(やっと地面に降りられる)
ふらつく足をやっとの思いで動かしてドアの縁を手で掴んで外に顔を出したとたん、耐え続けていた膝の力が抜けてしまった。とっさにレイフォードさんが受け止めてくれなかったら、私は地面へ顔面から倒れ込むところだった。
「大丈夫か?」
「ほんとに、すみません……」
彼の腕にしがみつくようにして休憩所へ運ばれながら、私はふと思った。
(この間もヒューさんと同じことがあったっけ)
用意された食事もろくに喉を通らず、長椅子に大量のクッションを用意してもらうとお尻をかばうように横向きにもたれかかった。
「また馬車に乗らなくちゃいけないんですよね」
「当たり前だろう」
平然とテーブルについて食事をしているレイフォードさんが恨めしい。
「この間の乗馬も、腰が不自然にねじれる姿勢だったから翌日の筋肉痛が酷くて」
呻くように私は不平を言い続ける。
「あんな乗り方、私にはできません。普通にまたいで乗るならまだしも」
「女性が馬をまたいで乗るなんて、服の構造上無理だろう。それに足が見えること自体がタブーだ」
乗馬を教わった時のヒューさんの姿を思い出す。
「男性みたいに乗馬ズボンを履けばいいじゃないですか」
「よほど田舎の農婦でもないとそんな格好はしない」
「可愛いスカートを上に履いてもダメですか? 乗馬ズボンの上に重ねるように。ギャザーをたくさんとって、フリルもレースもつけて。足が見えないくらい長い丈にして。地面に降りたときは内側で腰にたくし上げるようにすれば……」
くすりとレイフォードさんが笑う。
「やたらと具体的だな」
「あまりに姿勢が辛すぎて、ずっと考えてました」
「俺の家はオーダーの服も扱っているから相談してみたらどうだ?」
「いいんですか? そんなことしても」
「作れるかどうかは確約できないが、好きにすればいい」
彼は「とりあえずこれを飲め」と紅茶をカップに注いでくれた。よろよろと立ち上がって温かい紅茶を飲むと、じんわりと体のこわばりがほどけていくようだった。




