第11話 二人の素導師の会話
その夜、書斎には二人の男の姿があった。レイフォードは書き物机に向かい手元の書類に何かを書きつけている。長椅子を独占するように横たわるヒューバートは後頭部で腕を組んでそれを枕にしていた。収まりきらない長い足が肘掛けを越えて外側へとはみ出している。
天井を見上げたままヒューバートが口を開いた。
「レイ、あの子だけどさ。今日乗馬を教えようとしたとき馬をまたいで乗ろうとしてたよ」
レイフォードはどこか焦った様子でヒューバートの方を振り向いた。
「お前、何も見てないだろうな?」
「いや、だって目をそらす間もなく躊躇なくまたごうとするんだもん。別にジロジロ見ちゃいないよ」
ヒューバートがため息をついた。
「話はそこじゃなくてさ、俺並みの田舎育ちなのか? だったら馬にも乗れるはずなんだけど。……あの子、一体どういう生活してたの?」
「俺にも分からない。本人にも分からないらしい」
「水の月の最終週に、辺境の地主に請われて国境の方に行ったんだ。その時たまたま近くの村で保護された記憶喪失のリリーを視てくれと頼まれた」
「……なんでレイがそんなこと頼まれるの? 源素しか視れないでしょ? 医者じゃあるまいし」
「それは俺が聞きたいくらいだ。田舎では素導師は不可能を可能にする魔法使いだとでも思ってるんだろう。無理難題を押し付けられたんだ。それで視ようとしたら……」
「視えなかったってわけね。それでここに連れてきて調べたってことか」
「しかし、記憶喪失ねぇ……でも物事はよく分かってるよね。頭は悪くない感じなのに、常識がすっぽり抜け落ちてるっていうか……不躾とか下品っていうわけじゃないんだけど」
考えこんだ様子でヒューバートが続けた。
「なんか訳ありっていうか、隔離されて育ったのか? どっかから脱走してきたとか?」
「身体的にも精神的にも虐げられてきた様子はない」
「身体的って、確認したの?」
ちらりと意味ありげな視線を向けながら先程の仕返しに指摘する。
「家政婦のヒルダによると、ということだ。当たり前だろ」
レイフォードはじろりと睨んで言い返した。
片手を天井にかざして眺めながら、ヒューバートは呟いた。
「手も綺麗だしね。農作業してたらもっと荒れるはずだから」
「お前こそ手でも繋いだのか?」
「あのね、乗馬教えろって言ったのお前でしょ。手を貸さずにどうやって馬に乗せんだよ。そもそも視るときにも手が触れるだろ。ったく、面倒見ろだの、触るなだの、どっちなんだよ」
「……触るなとは言ってない。確認しただけだ」
呆れたようにヒューバートはレイフォードを見やった。
「あっそ。……あの子さ、意外に鋭いんだよね。『私には源素があるんですか? ないんですか?』だっけ?」
「そんな間抜けみたいな言い方じゃない。『私には源素がないんですか? 視えないだけですか?』だろ」
「あー、それそれ。お前、どっちだと思う?」
「分からん」
「どうせお前のことだから色々試してみたんでしょ? 本当に何にも分からないの?」
「源素に関しては、何も」
「なんか……ビックリしたよね。ほんとに何にも視えないんだもん。俺、視えなくなっちゃったのかと思った」
「……初めて視た時、俺もそう思った」
「あ、やっぱり? 全然、全く、さっぱりだもんな。なんていうか『無』って感じ?」
「……」
レイフォードは黙って何か考え込んでいた。
「あの子、生きてるんだよね?」
「俺も一回疑って脈を確認してみた」
「マジ? 冗談で言ったのに」
レイフォードは椅子から立ち上がると長椅子の前の机に書類の綴りをバサリと置いた。
「これまでに調査した内容だ」
ヒューバートは身を起こして書類に素早く目を走らせながら言った。
「はー、相変わらず細かいね。何、これ源素庁にでも報告するの?」
レイフォードは一瞬身を固くした。瞳の奥に氷のように冷たい意思が覗く。
「いや……源素庁にはまだ知らせない」
「ああ、その方がいいかもね。手柄の取り合いとか、面倒くさいことになりそう。あの子も実験台にされかねないし」
納得したようにヒューバートが頷きながら書類をめくる。
「その前に老師に会わせる」
書類に向けられていたヒューバートの視線がピタリと止まり、レイフォードに向けられた。
「……本気? あの子を?」
「その価値はある。老師なら何かしら助言を下さるだろう」
「まあ、レイがそう言うならそうなんだろうけど……」
ややあってヒューバートが再び口を開く。
「本格的じゃん。どうするの、手続きとか必要でしょ」
「お前がやってくれ」
ヒューバートは顔をしかめた。
「ええー。俺、忙しいんだけど」
「旧都にいるんだから俺より断然老師に近いだろ、物理的に」
「精神的な距離があるんだよ! なんだよ、じゃあ最初っから旧都にあの子を連れてくればよかったのに」
二度手間じゃん、と不服そうに頭をかいて文句を言う。
空中の一点を見つめながらレイフォードは言った。
「念の為、確かめたかった」
「ああ、俺の意見を聞きたかったわけね。素直じゃないんだから、しょうがないな。やれやれ、帰ったら申請書三昧か」
ヒューバートは長椅子から立ち上がりながら言った。
「俺はもう寝るよ。誰かさんに呼びつけられたせいで長距離移動しなきゃいけないし。厄介な手続きも押しつけられたし。明日帰るから」
レイフォードは片方の口角をわずかに釣り上げ、不遜な笑みを浮かべた。
「苦労した甲斐はあっただろう」
おざなりに「はいはい」と言って、ヒューバートは書斎を後にした。




