小話(2):チョコレート
拍手に載せていた小話の採録です。0章-3に出てくるエピソードの裏側。
途中で視点が切り替わります。
(リオコ視点)
目の前のボウルに入っているのは焦げ茶色の粉末。
香ばしい、体の芯をくすぐる芳香を放つそれを前に、わたしはしばし考えた。
「なにやってるの?」
最近ぐんと女度のあがった真紀がやってくる。くん、と匂いを嗅いでその正体を悟ったらしい。
「これカフェオ?」
「の、元になるカフォの種の粉末」
「いい香りだね。ほんとにチョコっぽい」
「でしょ。こっちでは香辛料としてしか使われていないらしくて、お菓子にできないか試そうと思ってもらってきたんだけど」
「いいんじゃない? なんか匂い的にはできそう」
「そうなんだよね……砂糖もミルクもあるんだけど」
「あるんだけど?」
「冷蔵庫がないの」
地下に穴を掘った貯蔵庫や氷を入れて置く氷室はあるんだけど、チョコを冷やし固めるには、ちょっと威力が心許ない。
隣でわたしと同じように腕を組んだ真紀が、しばらくして「あ」と声をあげた。
「――あるじゃん、冷蔵庫」
高々と頭上に挙げられた右腕に、わたしは即決した。
「じゃあ、よろしくー」
《……なんで僕》
空中を漂う光の美少年が柳眉をひそめる。
《こっちの世界は魔法があるんだから、魔法士に頼みなさい》
「お菓子作りに魔法を使うのは気が引けるんだよ」
《神さまをこき使うのは気が引けないわけ?》
「[まほら]の維持に比べたら、たいした労力じゃないでしょ。いいじゃん冷蔵機能くらい」
真紀が発動させた右腕の鍵を使い、わたしたちは古代遺跡[まほら]内部にやってきた。
向こうの世界から帰ってくる直前、偶然使えるようになったらしい。
同じものがわたしの左手にもあるのだけど、レインと心話で意思疎通はできるようになったものの、残念ながら完全に使いこなせるには至っていない。
とりあえず、目の前の作業に集中する。
[まほら]に残されたデータから漁ったレシピに従い、粉状のカフォ豆をすり鉢とすりこぎで丁寧に潰していくのだ。わりに油が出る。
これにさらに植物油と砂糖と脱脂粉乳を加えて仕上げるのだから、そのカロリーたるや恐るべしという感じだ。
でも、そんなことをいちいち気にしては、美味しいものは食べられない。
配合を試行錯誤すること、一週間。
周りに呆れられながらも二人で[まほら]に通いつめ、なんとか舌触りのとろけるチョコレートが完成した。
「わあ、チョコって作れるもんなんだー」
「最初からなんて、わたしも初めて作ったよぉ」
二人で達成感と感動と甘い香りに包まれたけど、味見のし過ぎでそろそろちょっと辛い。
裁縫はだめだけど工作の上手い真紀が、色紙で箱と袋を作ったので、それでラッピングすれば他人にあげても問題ない見栄えになる。
「なんか、バレンタインって感じだねー」
「ちょうどそうなんじゃない? だって、向こうとこっちの時差1.23倍なんでしょ?」
元いた世界とマフォーランドでは時間の進み具合が違うというのは、真紀が一度帰ったことで発見した事実だ。
実際に時間の流れかたが違うのか、母星の自転速度が違うのかは不明。どっちも〝一日〟の基準は〝自転一回〟に設定されているから。
ともかくレインの計算だと、向こう時間の約1.23倍の速度でこちらの時間が進んでいるようだ。
地球時間の12月31日に真紀が発ってから、今日で58日。向こうは7割強しか時間が進まないから、ちょうどバレンタインの頃合だろう。
グラフを書いて納得した真紀は、途端に生き生きと残りのチョコをバレンタイン仕様にしはじめる。
砂糖と卵白で作ったアイシングで、板チョコに〝ハッピーバレンタイン〟とぐにゃぐにゃの文字を書いた。
線と線がくっついて〝ハ〟が〝ヘ〟に見えるが、そこはご愛嬌というものだろう。
「あたし、本命チョコって作るの初めてだよー」
「男の子にあげたことないの?」
「頼まれて渡したことはあるよ。でも友だちと家族がほとんど」
「そうなるよね」
「とーちゃんが甘いもの好きだからなー」
ハートや星の型枠に流し込んで固めたチョコの上に模様を描きながら、真紀が呟く。
真紀は結構、家族思いだ。やっと向こうに帰ったのに、一晩かけて家族を説得して戻ったというから、まだ心残りがあるのかもしれない。わたしも顔を見るだけでもと勧められたけど、会えば決心が揺らぐのは分かっていたから、あえて断っていた。
わたしのほうの扉が開かないという事情もあるけど、そのほうがかえって落ち着く。帰れる可能性を残しながらこっちを選ぶほうが、よっぽどつらいと思う。
隣に立ち、ボウルに残ったチョコに生クリームを加えてトリュフを作りつつ何気なく言葉を口にした。
「真紀ちゃん、向こうにチョコ送ってみたら?」
「だって、パラドックスがどうのってにーちゃんが」
「残らなければいいんでしょう? 捨てられる紙に包んでチョコだけ送ればいいじゃない。ね、レイン?」
《あまり賛成はしないけど。なくなる物だったら、まあいいよ》
さすがに保護者は甘い。
ね?と真紀を目顔で促せば、しぶしぶ、だけどほんの少し嬉しそうに頷いた。
いそいそと文字を書いたチョコを箱に入れ、淡い青の紙で包む。
真紀が帰ったときとは段違いの簡素さで、レインが黄金の光を舞わせれば、ふっと小箱が姿を消した。
◇ ◇ ◇
(マキ視点)
チョコは無事に家に届いたらしい。
レインが報せてくれたからそれは知ってるんだけど、その証拠は別の形でやってきた。
召喚の扉が開く先を操作できるようになったレインが、地球からの伝言を[まほら]に転送したことで、それは発覚した。
「な……」
チョコの入った小箱を包んでいた包装紙をわなわなと握りしめる。
「75点てどういうこと……っ?!」
理緒子はテーブルを叩いて爆笑してるし、レインも笑いすぎて点滅してるし。
「な、ナイスすぎるよ。おにーさん……」
「いや、ちっともよくないでしょうが。なにこの罵倒。しかも採点つき」
「75点ってリアルすぎる……」
《いや、兄妹っておもしろいねー》
「感心するとこ違うから!」
「じゃあ、真紀ちゃん。リベンジしようよ」
目尻に溜まった笑い涙を拭きつつ、理緒子が言う。
「リベンジ?」
「バレンタインといえば、次はホワイトデーでしょ?」
「……うん??」
ホワイトデーってリベンジする日だっけか?
「いいのいいの。ホワイトデーといえばマシュマロかクッキーか飴。さ、作るよ!」
《……またやるの? いい加減[まほら]内に糖分が充満してきてるんだけど》
呆れたようなレインの声もどこへやら、腕をまくって理緒子が気合を入れている。
それに引きずられるようにして、あたしは[まほら]の厨房に立った。
――なんかこれ、いたちごっこのような気がする……。
喧嘩を売ったのか売られたのかは分からない。
それでもほんの些細なイベントから始まったやりとりは、実にその後数十年にわたる交流のきっかけとなったのだ。人生って不思議だ。
帰ってきたタフィーの採点は79点。
しかも理緒子のではなく、あたしが作った分の包み紙だけに、でかでかと書いてあった。
――ぬううううぅ、兄めぇ。
次にあたしに何を作らせようかと、理緒子先生の目に炎が宿る。
あたしが名パティシエとなるのが先か、兄が生活習慣病にかかるのが先か。
あくなき争いは、試作品のおやつに飽和したルイスとタクからストップがかかるまで、しばらく続いた。
おしまい。
*タフィー→キャラメルに似た飴。トフィー。