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74話 親父の爆笑と、絶対的な盾

親父の爆笑と、絶対的な盾


 ヒビキは一度、肺の奥底まで深く息を吸い込み、冷え切った思考を強引に再起動させた。ここでわずかでも視線を泳がせれば、父親の鋭利な直感に命取りとなる隙を晒すことになる。彼はスッと背筋を正し、いかにも「男としての矜持に目覚めた若者」といった深みのある表情を完璧に装う。その内側で冷や汗を流しながらも、外見上は一点の曇りもない、高潔そのものの佇まいを演出してみせた。


「……父上。お言葉ではございますが、俺にはすでに、将来を固く誓い合ったリサーナという女性がおります。あいつを悲しませてまで、王女様との政略結婚に乗り出し、その裏で権力を貪るような不実な真似……。辺境伯家の男として、そんな薄汚れた打算に身を堕とすことなど、私のプライドが断じて許しませんでした」


 その言葉とともに、ヒビキは最近やたらと屋敷に入り浸り、自分の周囲をチョロチョロと離れない幼馴染、リサーナの名前を切り札として提示した。彼女であれば、家格も申し分なく、父親にとっても反論の余地がない相手だ。ヒビキなりの、計算し尽くされた防衛術であった。


 しかし、その切り札が落とされた瞬間、執務室の空気が奇妙に歪んだ。

 それまでヒビキを獲物のように射抜いていた父親の眼光が、ふっと霧散する。強面のその顔が、まるで子供がおもちゃを壊した時のような、あるいは見たこともない奇跡を目撃した時のような、間抜けなほど呆気にとられた表情に成り果てたのだ。


「…………は?」


 数秒間の沈黙。室内の古い柱時計が、やけに大きく時を刻む音が響く。何事かとヒビキが息を詰めて見守る中、沈黙を破ったのは――地響きのような爆笑だった。


「……ッ、ガッハハハハハハハ!!! そうか! リサーナだったか!!」


 父親は腹を抱えて革椅子から身を乗り出し、デスクをバンバンと大音量で叩き始めた。そのあまりの剣幕と豪快な笑い声に、執務室の窓ガラスがガタガタと震える。ヒビキは、何がどう転んでこうなったのか全く理解できず、ただ唖然と呆立ちするしかなかった。


「そうかそうか! いや、そういえば最近、お前たちがいつも屋敷のテラスで茶を飲んでいたり、城塞の回廊や中庭を、妙に仲良さそうにべったりと寄り添って歩いているのを、わしもよく見かけておったからな! なんだ、てっきり単なる幼馴染の戯れかと思っていたが、すでに若いお前たちの間で、ことは決まっておったというわけか!」


 父親は涙を拭いながら、なおも肩を揺らして笑い続けている。その目には、息子が政治的な打算を捨て、真実の愛を選び取ったという「父親としての歓喜」が溢れていた。


「ガッハハハ! いやはや、お前も男だな! 天下の王女を蹴ってまでリサーナを選ぶとは、その真っ直ぐで不器用な生き様……父親として惚れ直したぞ! あの一途な娘を泣かせないよう、責任を持って立派に囲ってやるんだぞ!」


 実際のところ、それはヒビキがただ「面倒だから」と追い払わずにいたのをいいことに、リサーナが一方的に好意(超デレ)を炸裂させ、勝手に寄り添って歩いていただけのことだ。だが、毎日その光景を目にしていた父親の脳内では、それが「熱愛中の恋人同士の蜜月」として完璧に翻訳され、すべての辻褄が心地よく合致してしまっていた。


 ヒビキは冷や汗を拭いながら、激しく安堵の溜め息をつく。政治的リスクを背負うことのない、極めて都合の良い言い訳が、父親の「親バカ的解釈」によって絶対的な盾となった瞬間だった。


(……ま、まあいい。親父がこれほど上機嫌に納得してくれたなら、これほど楽なことはない。……リサーナ、後で美味しい菓子でも奢ってやるから、この決定的な誤解を解くような真似は絶対にしないでくれよ……)


 最強の父親から「男の中の男」として、奇妙な角度からではあるが太鼓判を押され、ヒビキの「辺境での平穏なサボり人生」は、父の承認という強固な防壁を得て、さらに揺るぎないものとなったのであった。

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