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71話 勘違いの美談と、冷やし果実水

安堵の算盤と、すれ違う王宮(2)


(あの素晴らしい縁談を、鼻で笑うように蹴り飛ばすとは……。辺境伯の息子は、本当に中央の権威や名誉というものに、これっぽっちも興味がないのだな。あれほどの規格外の怪物を抱えておきながら、執着するのが『辺境でのささやかな生活』だとは。なんとスケールの小さい……いや、なんと本質を理解できない男なのだろうか)


 貴族たちは、半ばあきれ果てたような、しかしどこか見下すような溜め息を周囲に漏らす。彼らにとってヒビキは、理解不能で危険な「異物」でありながら、同時に王宮の既存秩序を脅かさないための「不可侵の境界線」を守ってくれる、極めて都合のいい怪物という存在に成り下がったのである。


 ヒビキが自身の平穏を守るために放った言葉が、結果として中央貴族たちの保身という名の「安心感」を醸成した。王宮の重鎮たちは、これで自分たちの地位が守られたという実感を噛み締めながら、ヒビキを穏やかに、しかしどこか冷めた目線で見つめ返している。


 唯一、玉座の上で国王だけが、複雑すぎる表情でその光景を眺めていた。自身の求婚が断られたという王家としての屈辱、一方で「辺境の怪物が王宮の権力構造に取り込まれなくて済んだ」という側近たちの安堵の気配を同時に肌で感じ、王家としての立場が、揺るぎない威厳を失い、静かに地盤沈下していくのを実感せざるを得なかったからである。


 ヒビキはその周囲の変化など、これっぽっちも知る由もない。

 ただ、この後の帰路に立ち寄る果実水屋の混雑具合を気にしながら、早くこの騒々しく乾燥した空間から消え去り、馴染みの領地の風に当たりたいという一念だけで、頭を垂れ続けていたのだった。



勘違いの美談と、冷やし果実水


 王の間を支配する静寂の中、ヒビキの拒絶という一撃は、政治的な打算を通り越し、一部の良識派や私欲を枯れ葉のように捨て去った高齢の老臣たちの胸に、深く、そして熱烈な「感銘」の火を灯していた。


 彼らの濁った瞳には、ヒビキの行動が、濁世において久しく見ることのなかった「究極の美徳」として映り込んでいたのである。


(なんと……なんと清廉なる若者よ。王女との婚姻というものは、ただの縁談ではない。地位、莫大な財産、そして王国の中枢に直結する権力のすべてが、一度の契約で一挙に手に入る。古今東西、あらゆる男が夢見、そして理性を失って飛びつく甘美な罠だというのに……それを、たかだか一人の『先約の女(婚約者)』を守るため、これほどの躊躇もなく一蹴するとは!)


 白髭を蓄えた最古参の老臣は、胸の奥で熱いものが込み上げてくるのを禁じ得なかった。彼はヒビキの姿に、かつてこの国を愛し、理想を追い求めた時代の騎士たちの面影を重ねていた。ヒビキの「とにかく面倒な手続きや監視は御免だ、さっさと帰って昼寝がしたい」という、極めて切実で利己的な逃避行動が、彼らの眼には「愛する者への一途な誓いを貫くため、権力の誘惑を断ち切る高潔な精神」という、最も崇高な叙事詩として変換されていたのである。


(強大な力を持ちながら、その力に微塵も驕ることなく、あまつさえ中央の泥沼のような権力争いには一切関わろうとしないその超然とした姿勢。ああ……あれほど若くして、すでに権勢や名誉といった俗世の欲から完全に解脱しておられるとは。なんと澄み渡った、神に近い心境か)


 別の老臣も、深く、深く、その白髪の頭を垂れる。彼らにとってヒビキという存在は、長年の宮廷生活で蓄積された自分たちの汚濁した欲望を洗い流してくれる、清らかな泉のようでもあった。彼らはヒビキを「権力に媚びない孤高の若き英雄」と定義することで、自分たちが失ってしまった「純粋な誇り」を、彼という鏡を通して見出していたのである。


(やはり、辺境伯家の血を引く者に相応しい。あの毅然とした態度、濁りに満ちたこの王の間において、唯一の清涼剤……! まさしく我が国の盾、辺境の守り手に相応しい気高き精神だ。権力という餌に群がる王宮の薄汚れた輩とは、魂の格が違うのだ……)


 周囲からの眼差しは、先ほどまでの「底知れぬ恐怖」や「警戒」から、いつしか慈愛と称賛に満ちた、温かな尊敬へと劇的に変貌していた。老臣たちは、まるで未来の守護者を慈しむような眼差しで、ヒビキという若者をひっそりと賛美し始めている。

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