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6話 奈落を満たす死の水没

理を覆す智慧(2)


 だが、ヒビキはただ静かに右手をかざした。

 生み出されたのは、前世の球技で使うボールほどの大きさの、無害そうな水の塊――ウォーターボールだ。

 それを放つと同時に、ヒビキは魔獣の突進を躱しつつ、その水の球を魔獣の口と鼻を完全に覆うように配置し、空間に固定した。


 突如として呼吸を奪われた魔獣は、狂ったように頭を振り、前足で顔を掻きむしった。しかし、いくら暴れ回っても、鼻腔と口腔を塞ぐ水の障壁は粘り強くその輪郭を維持し続ける。

 やがて、狂乱していた巨体から次第に力が抜け、ついには地面へとどうっと倒れ伏した。ピクピクと四肢を痙攣させた後、魔獣は静かに事切れた。窒息死だった。


 あまりにもあっけない幕切れに、ヒビキは拍子抜けしたように佇んでいた。

 森の静寂が戻る中、冷たくなった巨体を見下ろして、ぽつりと呟く。


「……今の魔獣って、中級クラスだよな? 剣でまともに戦闘になっていたら、とても勝てる相手じゃなかったかもな……」


 力任せではなく、理に適った知識の活用。それこそが、この世界における最大の武器になるかもしれない。ヒビキは自身の内に眠る可能性の大きさに、静かな高揚感を覚えるのだった。



奈落を満たす死の水没


 窒息という確実な戦果に気をよくしたヒビキは、わずかに油断を含んだ足取りで、さらに森の深部へと歩みを進めていた。


 徐々に、周囲を包む肌寒さが強くなっていく。木々の隙間を抜ける風の音が消え、肌にまとわりつく空気がじわりと重みを増していくのを五感が察知した。足元が泥に沈むような錯覚さえ覚えるほどの、圧倒的なプレッシャー。それでもなお進むと、どこからともなく地響きのような唸り声と、湿った獣の気配が風に乗って漂ってきた。


 ヒビキは道中で新たに取得していた探索スキルを発動させる。

 脳内のマップに、赤く染まったおびただしい数の光点が突如として浮かび上がった。大量の反応。しかし、いくら目を凝らして周囲の藪や木々の合間を覗き込んでも、魔物や魔獣の姿は影一つとして目視できない。改めて上空を見上げても、広がるのは鬱蒼とした梢ばかりだった。


 足元への注意を限界まで引き上げ、一歩ずつ慎重に進む。その時、微かな違和感に気づいた。

 手持ちの木剣の先端で、目の前の地面をぐっと押し込んでみる。

 カチリと硬質な音が響くと同時に、精巧に偽装されていた土の地面が跳ね上がるようにして開き、奈落のような闇が顔を覗かせた。剣を引き抜けば、再び何事もなかったかのように蓋が閉まり、元の獣道と同化する。魔物たちが自ら作り出したのか、あるいは狩りのためのものか、巧妙極まる落とし穴のトラップだった。


 もしも気づかずにこの足を踏み入れていたら。暗黒の底に落ちていく自身の姿を想像し、ヒビキの背筋に冷たい戦慄が走った。


 だが、冷や汗を拭った直後、前世のゲーマーとしての思考が急速に回転し始める。

 この罠を利用すれば、底に蠢く大量の魔物を安全に一網打尽にできるのではないか。


 ヒビキは周囲から太い木の枝を集め、罠の蓋が開いたままになるよう強引に固定した。そして、初級のライト魔法を放ち、光の球を奈落の底へと落とす。

 青白い光に照らし出されたのは、身の毛もよだつ光景だった。広大な地下空間の底で、数百体は下らないであろう魔物や魔獣が、逃げ場を失って互いを押し潰し合うようにひしめき合っていたのだ。


 先ほどの窒息作戦が頭をよぎる。結界と水魔法を組み合わせ、すべての魔物の頭部だけを水で覆うことはできないだろうか。

 しかし、すぐに思考を修正する。これほどの過密地帯だ。数百体もの異なる高さにある頭部へ、正確に水の球を維持し続けるほどの技量は今のヒビキにはない。ならばいっそ、この巨大な穴を水没させてしまえば確実だが、それも困難を極めた。底も壁も剥き出しの土なのだ。いくら上から水を注ぎ込んだところで、底なしの砂砂漠が雨水を吸い込むように、水はすべて土へと染み込んで消えてしまうだろう。


 絶好の稼ぎ場を前にして、ヒビキは暗闇の底を睨みつけながら、次なる一手のための知恵を絞り始めるのだった。

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