58話 全開の脳内フェスと、静かなる楽園
だが――。
その氷のように理知的で静謐な表情の裏側、彼の中枢たる脳内では、全盛期の魔界軍勢を率いて神々の神殿を攻め落とし、世界を混沌で塗りつぶした時ですら決して生じ得なかった、天変地異レベルの狂喜乱舞の大爆発が巻き起こっていた。
(あぁ……! あぁぁ……ッ!! 我が至高にして唯一無二の主、偉大なるヒビキ様が、私めをご指名で、その温かき御言葉をもって褒めてくださった……!)
アゼルは脳内で、己の胸を焦がす熱い歓喜に身を震わせる。
(『お前が淹れる紅茶は美味い』! それだけではない、これ以上ない極上の安らぎを得たご様子で『お前のおかげでゆっくり寝ていられる』とおっしゃられたのだ! なんという至高の賛辞! なんという、魂が震え上がり、魔力が沸騰するほどの誉れか!!)
喜びのあまり、その精神の深淵に潜む悪魔の爪が歓喜に狂い、火花を散らす。
(私めが昨夜、我が君の神聖なる領土を不浄な足で這いずり回っていた、あの忌々しいドブネズミどもを塵一つ、記憶の一片すら残さず奈落の奥底へ叩き落としておいて、本当によかった……! すべては我が主のこの至福の一瞬のために!!)
心の中(脳内)のアゼルは、身に纏う衣服をすべて引きちぎって歓喜の舞を踊り狂い、魔界の喇叭を吹き鳴らしながら、何十万もの最上位悪魔や奈落の眷属たちを総動員して、一斉にヒビキへの賛美歌を大地が割れるほどの大音量で大合唱させているかのような、狂乱の大フェスティバルを開催していた。
それほどまでの、血管が破裂しかねない狂信的な大興奮の渦中にありながら、アゼルの表面的な肉体は、一ミリの眉のピクつきすらなく、ただ慈愛と静穏に満ちた完璧な微笑みを維持している。これこそが、魔界の深淵に君臨する最上位悪魔にして絶対の執事たる彼の実力の一端であった。
アゼルは、主がもたらしてくれたこの上ない幸福に報いるべく、さらにその忠誠心の刃を容赦なく研ぎ澄ます。すっと眼鏡のフレームを細く長い指先で優雅に押し上げ、その端正な顔立ちに酷薄で甘美な笑みを湛えながら、這いつくばるような平伏の気配をその美しい声音ににじませた。
「ヒビキ様。何か、日常でお困りの『雑音』などはございませんか?」
彼はすっと姿勢を正し、静かに首を傾げて主の様子を窺う。その真紅の瞳には、わずかな淀みも逃さないという恐るべき執念が宿っていた。
「例えば……、朝の静寂を乱す不快な羽虫。あるいは、散歩の景観を汚す目障りな光景、あるいは耳障りな噂を流す愚か者ども」
アゼルは胸元に片手をあて、まるでこれから始まる素晴らしい喜劇を思い描くかのように、その口元をいっそう艶やかに歪めてみせる。
「そのような些事でも、何か一つでもございましたら、何なりとお申し付けください。このアゼル、主の手を煩わせることなく、いつでも、瞬時に、この世から綺麗に片付けて(消し去って)まいりますので」
その声音はどこまでも穏やかだが、含まれている意味は「主が望むなら、いつでもこの国の半分を概念ごと消去する」と同義であった。
ベッドの上でまだ少し眠たげに、温かい紅茶をすすっていたヒビキは、そんなアゼルの言葉を文字通り受け取り、気怠げに頭を振った。
「いや、特にないよ。いつもこうして平和なのが一番だから。そのままでいい」
ただ、サボりたい。面倒な揉め事に巻き込まれず、ベッドの上でゴロゴロしていたい。その一心から出た、ヒビキの「平和がいい」という怠惰な本音。
しかし、その「平和がいい」という短い言葉を受け取った瞬間、アゼルの脳内で新たな神啓が眩いばかりに輝いた。
(了解いたしました、ヒビキ様。あなた様を囲むこの世界は、永遠に美しく、完璧な静寂で満たされていなければならない。ただひたすらに、主にとって都合の良い平穏だけが存在する庭。それが我が主の御意志。ならば、主の目に一瞬でも留まる前に、耳に届く前に、ありとあらゆる有象無象、不浄なる害虫どもはすべて、このアゼルが奈落の底へお送りいたしましょう――!)
主が平和を望まれる。ならば、その平和を脅かす可能性が万分の一でもあるものは、存在 of 格ごと抹消するのみ。
「かしこまりました。我が主の望む平穏が、わたくしのすべてを賭して、永遠の楽園を死守いたしましょう」
物静かに、エレガントに、アゼルは再び深く一礼する。
主のあずかり知らぬところで、アゼルの狂信的な忠誠心と、さらに過激さを増していく「裏のお掃除(徹底的な概念消滅)」への決意は、誰にも崩せないほど強固に結ばれるのだった。




