51話 夕暮れのバルコニーと、本当の約束
辺境伯夫妻の「温かい勘違い」とからかい(2)
すぐ隣でそれを聞いていたリサーナは、あまりの嬉しさと羞恥心の限界突破により、その場にふにゃふにゃと溶け崩れてしまいそうなほど、とろけた、幸せ極まりない微笑みを浮かべてヒビキを見つめていた。
(ヒビキが……お父様に、私のことを『よろしく』って……。それって、もう、本当に、そういうことよね……っ!?)
完璧すぎる温かい勘違いの連鎖。
両親からの公認という強固な外堀を得て、リサーナの心はますますヒビキという底なしの沼へと深く、深く沈み込んでいく。
己が望む「平穏なサボりライフ」が、また一歩、愛すべき少女の限界突破したデレによって騒がしく塗り替えられていくのを、ヒビキはただ遠い目で受け入れるしかないのだった。
夕暮れのバルコニーと、本当の約束
長く、そしてあまりにも劇的だった一日が、静かに終わりを告げようとしていた。
空は燃え盛るような茜色から、次第に夜の帳を下ろすような深い群青色へと移り変わる、息を呑むほど美しいグラデーションを描き出している。国境線の要である辺境伯領の山々や、重厚な城塞の輪郭が、夕暮れの暖かな残光によって輪郭をぼやけさせ、柔らかな金色の光の中に溶けていく。
リサーナが己の待つ伯爵領へと帰るための馬車が、屋敷の正面玄関に用意されるまでの僅かな合間。二人は、城塞の最上階に突き出た、西日に照らされた静かなバルコニーに立っていた。
冷ややかで、どこか寂しげな夕風が吹き抜け、リサーナの艶やかな金髪を優しくなびかせ、水色のドレスの裾をかすかに揺らす。さらさらと鳴る衣擦れの音だけが、静寂の空間に心地よく響いていた。
先ほどまでの賑やかで、心温まるような勘違いの騒ぎが嘘のように、そこには二人だけの濃密な静寂が流れている。
ヒビキは石造りの手すりに気怠げに寄りかかり、沈みゆく夕日をただぼんやりと眺めていた。その隣で、リサーナはきゅっと自らの指先を胸の前で握りしめ、何かを強く決意したように、潤んだ琥珀色の瞳を小さく震わせている。
「ねえ、ヒビキ……」
静寂の糸を引くようにして発せられたのは、リサーナの、今にも風に消え入ってしまいそうなか細い声だった。
彼女は一歩、また一歩とゆっくり歩み寄り、ヒビキの少し横に並ぶと、夕日に赤く染まった床を見つめたまま、その美しい瞳にみるみるうちに大粒の涙を溜めていった。長い睫毛が、彼女の胸の内に渦巻く葛藤を映し出すように細かく震えている。
「わたし……どうしても、もう一度だけ、あなたに謝らなければいけないことがあるの」
彼女の脳裏に鮮明に去来していたのは、まだお互いの関係が最悪だった頃の、暗く、冷たい記憶。
傲慢で、周囲が見えていなくて、他者を傷つけることでしか己の家格やプライドを保てなかった、哀れで未熟な自分自身。
「わたし、以前、あなたに向かって……本当に、酷いことを言ったわ。『辺境伯家の息子なのに、魔法も使えない最弱だなんて、ご両親が可哀想』だなんて……。何も、あなたの本当の価値も、何も分かっていないのに……っ」
ポロポロと、堰を切ったように大粒の涙がリサーナの白くなめらかな頬を伝い、夕日の斜光を浴びて、まるで零れ落ちる宝石のようにキラキラと輝きながら床へと落ちていく。
鼻をすする、小さく切ない音がバルコニーに響いた。
「本当に、本当にごめんなさい……っ! わたし、あなたの本当の凄さも、あのとき命がけで助けてくれたその本物の優しさも、何一つ知ろうとせずに……っ。あなたを、深く傷つけてしまった……!」
リサーナは喉を詰まらせ、あふれる涙を拭おうともせず、声を震わせて泣きじゃくった。
あの時の己の言葉が、今の自分にとってどれほど身を焦がすような深い後悔となっているか。許されるはずがないと思いながらも、それでも彼に自分の口から謝罪を伝えたかった。その涙は、彼女の剥き出しの、偽りのない心そのものだった。
そんな彼女の、今にも壊れてしまいそうな泣き顔を、ヒビキは静かに、ただ穏やかな眼差しで見つめていた。




