49話 不意打ちの「頭ぽんぽん」と限界突破デレ
不意打ちの「頭ぽんぽん」と限界突破デレ
嵐が去った後のように、異様なまでの静寂が支配する中庭。
白目を剥いて完全に沈黙した巨大魔獣の巨躯の傍らで、リサーナは未だに事態の急変についていけず、かすかに肩を小刻みに震わせていた。
ヒビキの圧倒的な力によってザック事件の悪夢は完全に払拭されたはずなのに、一度呼び起こされてしまった本能的な「死の恐怖」の余韻だけが、彼女の冷え切った指先を硬直させたままにしている。浅い呼吸を繰り返す彼女の胸元は、水色のドレスをかすかに揺らし、張り詰めた緊張を今なお物語っていた。
そんな弱々しい彼女の様子を、ヒビキは少し面倒くさそうに、しかしどうしても放っておけないといった、複雑に入り混じった眼差しで静かに見下ろした。
はぁ、と本日何度目かになる、深く、しかしどこか甘やかな温かさを含んだため息をそっと吐き出すと、彼はリサーナとの距離をぐっと縮める。
「大丈夫か? ほら、どこも怪我はないだろ」
ぶっきらぼうで、飾り気のない、けれど低く穏やかな声音。
それと同時に、ヒビキの大きくて節ばった掌が、リサーナの艶やかで柔らかな金髪の上へと無造作に置かれた。
クシャクシャ、と。
少し子供扱いするような、不器用で、けれどこの上なく温かい手つきで、彼はリサーナの頭を優しくぽんぽんと撫で回す。
普段は無駄な労働や他人への干渉を極限まで嫌い、指先一つ動かすことすら惜しむあの省エネな彼が、ただ自分を安心させるためだけに進んでその手を動かし、温もりを分け与えてくれているという、奇跡のような事実。
あまりにも不意打ちだった「頭ぽんぽん」の愛撫に、リサーナの思考は一瞬にして真っ白に染まった。
頭頂部からじわりと脳髄にまで広がっていくヒビキの手の圧倒的な熱量が、どんな高位の治癒魔法や甘い慰めの言葉よりも深く、深く、彼女の凍てついていた心へと染み渡っていく。
「う、うん……っ」
リサーナは、潤んだ琥珀色の瞳から今度こそぽろぽろと、堰を切ったように大粒の嬉し涙をこぼした。
胸を締め付けるほどの愛おしさと、耳の奥までドクドクと響く心臓の鼓動が、ついに彼女の理性の許容量を完全に突破する。
「ヒビキが……ヒビキが守ってくれたから、ぜんぜん……怖くなかったわ……っ!」
これまでの令嬢としての建前、誇り、恥じらい、その全てが頭から完全に吹き飛んでいた。
リサーナは磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、自らヒビキの広い胸元へと勢いよく顔をうずめ、その上着を、まるで濁流に流される者が細いロープにすがるかのような必死さで、小さな両手でぎゅっと強く握りしめた。
すう、と。
彼の胸元から漂う、どこか落ち着く素朴で飾らない男らしい香りを、肺腑の隅々にまで行き渡らせるように深く、深く吸い込む。
先ほど自分が丁寧にアイロンをかけ、意図せず移ってしまったはずの甘い薔薇の香水の香りと、ヒビキ自身のどこか陽だまりを思わせる体温が、複雑に混ざり合ったその独特な匂い。それはリサーナにとって、この世界で最も安全で、最も愛おしく、これ以上ないほど甘美な約束の場所の香りに他ならなかった。
彼のたくましい胸にぴったりと身を委ね、包み込まれるような極上の幸福感に浸りながら、リサーナはただただ恍惚とした表情で、涙に濡れた頬を彼の上着に擦り付け、その甘い熱に酔いしれていた。
一方、いきなり胸元に飛び込まれてがっしりとホールドされた形のヒビキは、両手をどうしていいか分からず不自然に空中に浮かせたまま、なんとも言えない表情で青空を仰いだ。
(いや、怪我がないならそれでいいんだけど……なんでこんなに全力で密着されてるんだ? これ、体温ですげえ暑いし、かと言って今さら引き剥がすのも余計なエネルギーを使うし……。はぁ、もう、これでいいか)
結局、いつもの極限省エネ精神で行き着いた「なすがまま」の甘受。
腕の中にすっぽりと収まる、驚くほど小さくて柔らかい幼馴染の温もりをじんわりと感じながら、ヒビキは「早く部屋に戻って全力で二度寝がしたい」と、それだけを静かに願いつつ、静かに腕の力を抜くのだった。




