46話 嫉妬のラベンダー(恋敵シアの牽制)
嫉妬のラベンダー(恋敵シアの牽制)
あの日以来、辺境伯家のテラスを訪れるリサーナの頻度は、目に見えて跳ね上がっていた。
今日も今日とて、麗らかな陽気の中。
テラスの円卓には、上品な薔薇の絵柄が描かれた磁器のカップが二つと、リサーナが朝から張り切って用意してきた色とりどりの小ぶりな焼き菓子が並んでいる。
お気に入りのソファに浅く腰掛け、気怠げに紅茶をすするヒビキ。そのすぐ目の前で、リサーナは少しでも彼に良い印象を与えようと、緊張で背筋をピンと伸ばしながら、愛らしく微笑んでいた。
穏やかで、ほんのりと甘い空気が流れる、至福のお茶会。
――のはずだった。
ゴゴゴゴゴ……。
二人の背後、テラスへと続く大理石の回廊の影から、空間そのものを物理的に圧迫するような、おぞましい嫉妬のオーラが立ち上っていた。
「む、むぅぅぅぅぅぅ……っ」
そこに控えていたのは、ヒビキがかつて最大レベルの召喚魔法でこの世界に呼び出した、最上位悪魔にして魔界の王女――シアだった。
彼女は、その透き通るような美しい銀髪に、自らの魔力の象徴でもあるラベンダーカラーの豪奢なドレスを纏い、柱の陰からひょっこりと顔を覗かせている。
そのふくよかな両頬を、あからさまに「ぷくーっ」と限界まで膨らませ、不満の意を全身で表現していた。
(何ですの、あの人間界の女は……! ヒビキ様の隣は、将来のお妃様(魔王女)であるこのシアだけの特等席ですのに……っ!)
今すぐにでも間に割って入り、愛しい主の隣を強奪したい。だが、それをすれば大好きなヒビキに「お前、うるさい。魔界に帰れ」と冷たくあしらわれてしまうことを、シアは本能的に理解していた。
嫌われたくない一心で、健気に暴走を堪えるシア。だが、その代わりに湧き上がる嫉妬の矛先は、全て目の前の幼馴染の少女へと向けられる。
「キィィィィィ……っ!」
シアは、リサーナの後頭部に向けて、深淵の如きジト目をこれでもかと突き刺した。
冷気すら伴うその視線の鋭さに、リサーナの背筋にゾクッと冷たい悪寒が走る。
彼女が恐る恐る振り返ると、そこには美しくも恐ろしい魔界の王女が、暗黒のオーラを背負って自分を凝視していた。
「ひ……っ」
最上位悪魔が放つ、無意識の魔力圧。
本能的な死の恐怖がリサーナの全身を駆け巡り、彼女の華奢な膝はガタガタと目に見えて震え出す。あまりの恐怖に、今すぐ叫んで逃げ出したくなる衝動が脳裏をよぎる。
――だが。
リサーナの視線が、ふと、隣で眠たそうに紅茶を口に運ぶヒビキの横顔へと移った。
自分をあの地獄から救い出してくれた、世界でただ一人の少年。
彼と過ごすこの穏やかな時間を、いくら恐ろしい悪魔が相手だからといって、やすやすと明け渡すわけにはいかない。
(負けない……。ヒビキに、ヒビキに相応しいのは……ずっと昔から彼のことを見てきた、幼馴染の私なんだから……っ!)
リサーナはきゅっと奥歯を噛み締め、震える足に無理やり力を込めて床を踏み締めた。
そして、恐怖で涙目になりながらも、溢れんばかりの恋心を盾にして、シアのジト目を真っ正面から睨み返した。
バチバチバチ……!
二人の美少女の間で、目に見えない火花が激しく散り散りになる。
「ヒビキ様は私のものですわ!」と言わんばかりにジリジリと間合いを詰める最上位悪魔と、「絶対に渡さない!」と涙ぐみながらも一歩も引かない伯爵令嬢。
テラスの温度が急激に上昇していくかのような、無自覚かつ苛烈なキャットファイトがここに勃発した。
そんな命がけの女の闘いを背中で感じながら、ヒビキはただ、静かにカップをソーサーへと戻した。
(なんか、背中がやたら熱いんだけど……。気のせいか? うん、気のせいだな。サボるのに余計な思考を使うのは無駄だし、お代わりのクッキーでも食べよう)
隣で静かに「サボり」を極める少年と、彼を巡って火花を散らす二人の美少女。
ヒビキが望む「平穏な日常」は、彼女たちの熱い視線によって、じわじわと、しかし確実に賑やかな方向へと歪み始めていた。




