40話 降って湧いた面倒事と「省エネ」の葛藤
終焉の特異点、あるいは忠誠の足枷(2)
そんな彼の死に物狂いの指摘に対しても、ヒビキはただ退屈そうに肩をすくめ、他人事のようにそっけなく返した。
「そりゃ、それくらい俺が迷惑するってことだよ。だから、そうならないように大人しくしてろって言ってるんだ。ちゃんと理解してくれな」
これ以上ないほど冷酷な脅し。
先ほどまでブラックホールの恐るべき重圧に密かに背筋を凍らせていたシアだったが、隣で本気で怯えきっているアゼルの情けない様子を見て、形勢逆転とばかりに、その美しい唇の端をニヤリと吊り上げた。
「要は、お屋敷で大人しくお仕えしていればいいだけのことですわ。……もっとも、すぐに退屈して暴れ出してしまう子供のようなアゼルには、少々荷が重くて厳しい制限かもしれませんけれど?」
これみよがしなシアの挑発に、アゼルは青ざめていた顔を一瞬で赤く染め、気高きプライドを覗かせて反論した。
「ひ、人を聞き分けのない子供のように言わないでほしいな! 大人しく……していますよ! ええ、お側でただ静かに控えていれば、何一つ問題はないのでしょう!?」
アゼルは焦ったようにヒビキへ視線を送り、必死に従順さをアピールする。
その必死な二人のやり取りを背中で聞きながら、ヒビキは早くも前途多難な予感に頭痛を覚えつつ、傾きかけた夕陽に照らされる街への家路を歩き始めるのだった。
降って湧いた面倒事と「省エネ」の葛藤
ただ静かに平原でゴロゴロと寝転がり、流れる雲でも眺めながら健やかにサボりたい。
そんなささやかで、かつヒビキにとっては至高の人生目標は、またしても不条理な現実によって無残に打ち砕かれようとしていた。
少し前のことだ。実家の権力を盾に、あろうことかリサーナを襲おうとした愚か者――ザック。ヒビキが完膚なきまでにその鼻柱を叩きのめし、事態は収束したはずだった。
ザックは表向き「素行不良」を理由に伯爵家を勘当され、表舞台から追放された。だが、本当に厄介な問題は、その後に始まった。
ザックの父親である伯爵は、自尊心を徹底的に踏みにじられたと激怒していたのだ。
伯爵の頭の中では、「出来損ないの役立たずと噂されていた辺境伯のバカ息子に、我が自慢の優秀な息子が嵌められた」という、あまりにも身勝手な認知の歪みが完成していた。
逆恨みに燃える伯爵は、ヒビキの実家である辺境伯領に対し、執拗で陰湿な嫌がらせを開始した。領地へと繋がる主要な街道の流通を不自然に滞らせ、さらには小競り合いを誘発するかのように、国境付近へとあからさまに私兵の武装集団を配置し始めたのだ。
ヒビキの父親である辺境伯は、武門の誉れ高い領主として毅然とした態度で臨んでおり、毅然と対応策を講じてはいた。
しかし、張本人であるヒビキ本人は、自室の机に突っ伏しながら、これ以上ないほど深い、深いため息をこぼしていた。
「……なんであの狂犬一匹のせいで、領地の政治闘争にまで巻き込まれなきゃいけないんだ。おかしいだろ。俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに」
前世の知識と現代の合理的な思考力を駆使すれば、サボるための画期的なアイデアなどいくらでも湧いてくる。しかし、実家が不穏な空気に包まれ、周囲が慌ただしく騒ぎ立てている現状では、それどころではない。頭を悩ませる懸案事項が目の前にあること自体が、彼の「省エネ精神」にとって最大の障壁だった。
そんな主の嘆きを、すぐ隣で見つめる視線があった。
シアがすり足で背後に回り込むと、甲斐甲斐しく、そして驚くほど絶妙な力加減で、ヒビキの凝り固まった肩をそっと揉み始めた。
「ヒビキ様、お可哀想に……。あの醜悪な伯爵とやら、本当に目障り極まりない存在ですわね」
彼女はうっとりとするような甘い笑みを浮かべ、その美しい赤い瞳を細める。だが、その瞳の奥には、一切の慈悲を廃した漆黒の深淵が渦巻いていた。
「ヒビキ様をそこまで悩ませる不届き者など、生かしておく価値もありませんわ。……いかがでしょう? 私めが魔界の軍勢を率いて、今夜のうちにでも伯爵の領地ごと、一晩で綺麗に塵ひとつ残さず滅ぼしてまいりましょうか? うふふ、その方がヒビキ様も明日から、心おきなくお昼寝を楽しめますでしょう?」
物騒極まりない提案を、さも「庭の草むしりをしておきましょうか」と言わんばかりの気軽さで口にするシア。その目は完全に本気だった。主の平穏を害する害虫は、大陸ごと消し去っても構わないと本気で思っているのだ。
「……いや、絶対にやめてくれ。それ、余計に世界が騒がしくなるから。っていうか、確実に俺が容疑者筆頭になるからな……勘弁してくれ!」
ヒビキは首だけを後ろに回し、過保護がすぎる最強の従者に釘を刺す。
前途多難な面倒事と、いつでも物理的にすべてを解決しようとする過激な味方。ヒビキのサボりライフへの道は、想像以上に険しく、そして遥か遠いものであるようだった。




