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3話 碧天の異物

常闇の覚醒、あるいは微かな兆し(2)


 カサリ、と不自然に草むらが揺れた。

 現れたのは、ずんぐりとした醜悪な体躯を持つ低級の魔物だった。鋭い爪を剥き出しにし、濁った双眸でヒビキの喉元を睨みつけている。

 低級とはいえ、人を襲い命を奪うには十分な凶暴さを秘めた獣だ。魔物は、その飢えた本能のままに跳躍した。


 ヒビキは心臓を跳ね上がらせながらも、泥臭く地面を転がってその突進を避けた。

 直後、魔物の口から放たれた鋭い酸の塊が、つい先ほどまでヒビキの頭があった草地をドロドロに溶かす。心臓が早鐘を打ち、全身から嫌な汗が吹き出す。

 襲い来る牙、激しい体当たり。ヒビキはなりふり構わず、草まみれになりながらがむしゃらに避けた。奇妙なほどに、敵の動きの先が読める。紙一重で首筋を掠めていく鋭い爪を、必死の思いで躱し続けた。


 何度も攻撃を回避するうちに、荒れていた呼吸が不思議と静まっていく。

 頭が冷えていくのを感じながら、ヒビキは魔物の踏み込みが崩れる一瞬の隙を見逃さなかった。

 立ち上がり、すっと標的に向けて右手をかざす。


 彼が唯一使える初級魔法――ファイアショット。


 手のひらの先に、小さな、だが確かな魔力の揺らぎが生じる。

 ヒビキは落ち着き払った動作で、その引き金を引いた。

 放たれた火球は、かすかな熱風を帯びて魔物の肩に命中する。激痛に怯む魔物へ向け、ヒビキは淀みなく連続して手をかざし続けた。


 放たれるのは、豆鉄砲のような威力の弱いファイアショット。

 しかし、それは途切れることなく、まるで連射される矢のように次々と撃ち出された。二発、三発、五発――激しい音を立てて小さな炎の礫が魔物の全身を焼き、着実にその体力を削り落としていく。

 やがて、十数発にも及ぶ執拗な弾幕を浴びた魔物は、ついに力尽きたようにどっと地面に崩れ落ち、動かなくなった。


「ふう……。やっぱり、魔法は使えるんだよな。ただ、このファイアショット以外の魔法が、どうしても覚えられないんだよな。魔力量だけは、かなり膨大にあるって自信があるんだけどさ」


 誰もいない草原で、ヒビキは自らの手のひらを見つめてぼやいた。

 魔力をどれだけ使っても、体内の「器」が乾く兆しは微塵もない。これなら丸一日中、魔法の練習を続けることだって容易だった。


 しかし、辺境伯軍に所属する並の魔法使いであれば、魔法の実技訓練を丸一日も続ければ、間違いなく深刻な魔力切れを起こす。全身の倦怠感に耐えかねてその場に倒れ込み、数日間は寝込む羽目になるのが、この世界の常識であった。



碧天の異物


 深い森を抜け、再び柔らかな草の匂いが満ちる広大な平原へと戻ってきた。

 先ほどの戦闘の余韻でわずかに火照った体を冷ますように、ヒビキはごろんと仰向けになり、どこまでも高く広がる青空を見上げた。


 魔力量の常識外れな多さと、それに見合わない初級魔法しか使えないという奇妙な現実。

 そんな割り切れない思考の波に身を任せ、ぼんやりと流れゆく白い雲を目で追っていた、その時だった。


 パキン、と。

 乾いた硬質な音が、静かな平原に響き渡った。


 異変は突然だった。

 青く澄んだ虚空を切り裂くようにして、目の前に淡い光を放つ透明なスクリーンが浮かび上がったのだ。

 ガラスのように平らで、陽光を透かすその不思議な板には、これまでに見たこともない奇妙な形状の文字がびっしりと並んでいた。


 それは、この世界に存在するいかなる帝国の公用語でも、古代の魔法文字でもない。

 それなのに、なぜかヒビキの頭には、その文字の意味がごく自然に、濁流のように流れ込んで理解できた。


 中央に大きく表示された文字は「メニュー」。


 その下には、自身の詳細を示すであろう「ステータス」の項目。

 さらには「魔法」や、聞き覚えのない「召喚魔法」、そして「アイテム」といった、いくつかの項目が整然と並び、静かに主の選択を待つように瞬いていた。

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