28話 深淵の微熱、あるいは届かない指先
深淵の抱擁、甘い囁き(2)
必然的に、シアはヒビキの膝の上にちょこんと乗せられる形になる。ヒビキは彼女の背中を自身の胸にぴったりと引き寄せると、その細いお腹のあたりに腕を回して、後ろから包み込むように優しく抱きしめた。
「うぅぅ……でも、やっぱり心配ですわ……」
シアはなおも名残惜しそうに焚き火の方を振り返りながら呟いたが、そこでようやく、自分が置かれている状況を正しく認識した。
ヒビキの逞しい膝の上に座らされ、彼の温かい胸の中にすっぽりと収まり、その強い腕で腰のあたりをきゅっと抱きしめられている。
「はぅぅ……っ!? え、えっと……どうしましたの? これは……一体どういう状況ですの……っ?」
シアは急激に赤面し、小さくなって俯いた。あまりの気恥ずかしさに全身の血流が激しく巡り、白く滑らかなうなじまでが綺麗な桃色に染まっていく。ドレスの上からでも伝わってくるヒビキの体温と鼓動に、頭がどうにかなってしまいそうだった。
ヒビキはそんな彼女の愛らしい反応を至近距離で楽しみながら、シアの華奢な肩にそっと自分の顎を乗せ、彼女の小さな耳元で甘く囁いた。
「お前を放っておくと、すぐお肉に夢中になっちゃうだろ? せっかく二人っきりなんだから、俺の相手もしてくれって言っただろ」
「あ、相手だなんて、そんな……」
耳元に吹きかけられる温かい吐息に、シアは甘い悲鳴を噛み殺すように肩をすくめた。
ヒビキはふざけるように、回した腕でシアの柔らかいお腹を優しくなぞる。さらに、恥ずかしさで熱くなっている彼女のぷにっとした柔らかい頬に、自分の頬をピタッと隙間なく押し当てた。
すべすべとしたシアの肌の極上の感触が、ヒビキの頬に心地よく伝わる。シアはもう心臓が破裂しそうなほどドキドキしながらも、拒絶することなど微塵も考えられず、ただヒビキの腕の中で、蕩けたような吐息を漏らして身を委ねるしかなかった。
深淵の微熱、あるいは届かない指先
シアは、お腹に回されたヒビキの温かい手を自分の細い指先でそっと触れ、観念したように深く俯いた。
「わ、分かりましたわ……大人しくしています……」
(こんな姿、魔界の配下の者たちには絶対に、一生見せられないわね……。恥ずかしすぎますわ。こんなの、これじゃあまるで……ただの、普通の女の子じゃないの……)
内心でどれほど激しい嵐が吹き荒れていようとも、ヒビキの腕の中があまりにも心地よくて、シアは一切の抵抗を示さない。そんな素直すぎる彼女の様子に、ヒビキは少しだけ物足りなさを覚えていた。
ほんの少し、からかうだけの軽い悪戯心のつもりだった。ヒビキは彼女のお腹に添えていた手を、悪戯っぽく上へと滑らせ、黒いドレスの薄い生地越しにシアのふっくらとした胸へとそっと触れた。
指先から掌へと、彼女のまだ少女らしい柔らかさが直に伝わってくる。
「ひゃぁ……っ!?」
シアは未だかつて誰にも触れられたことのない自身の身体、それも最も敏感な場所に触れられ、心臓が爆発しそうなほど跳ね上がった。
初めて経験する、脳を優しく痺れさせるようなゾワッとした快感。予期せぬ甘い刺激に、自分でも驚くような愛らしい声を漏らしてしまう。
「やっ、そこは……ダメよ。ダメ……。変な感じに、頭がおかしくなっちゃうから……!」
涙目で懇願するシアの焦りようを見て、ヒビキはさすがに少しやりすぎてしまったと反省した。
「だよな。悪いな……調子に乗りすぎた」
ヒビキは腕の力を緩めると、シアの華奢な身体をそっと持ち上げ、すぐ隣に用意してあった別の石の上へと下ろした。
途端に、シアの全身からヒビキの力強い温もりが消え去る。
先ほどまで感じていた、世界で自分だけがヒビキを独り占めできているという特別な幸福感。それが一瞬にして霧散し、突然ひとりきりの冷たい空間に放り出されたかのような、胸を締め付ける寂しさと切なさが、シアの胸の奥からどっと込み上げてきた。
先ほどまでは、焚き火の上の肉があれほど気になって仕方がなかったはずなのに。今のシアにとって、そんなものはもうどうでもよかった。
隣に座るヒビキの存在が気になって気になって、胸の鼓動がちっとも収まらない。彼女は自分の膝の上でドレスの裾をきゅっと握りしめ、恨めしそうに、けれど物欲しそうにチラチラと隣のヒビキを盗み見てしまう。
(ヒビキ様が気になっちゃう……。それに、急に寒くて、すごく寂しい。……もう一度、ヒビキ様のあのお膝の上に座りたいわ。でも、自分からダメなんて拒否しておいて、今さらやっぱりお膝の上に座りたいだなんて、恥ずかしくて絶対に言えないわよね……)
言葉にできないもどかしさと、自分の素直になれない性格への苛立ちが混ざり合い、シアはたまらずに小さな胸を大きく上下させた。
「はあ……」
青空の下、誰にも届かない少女の甘い溜め息が、平原のそよ風にただ静かに溶けて消えていった。




