表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/22

17話 氷結する喧騒と、器の勘違い

氷結する喧騒と、器の勘違い


 その瞬間、木造の詰め所の開かれた扉の向こう、路地裏から大通りへと、まるで水面に落とした一滴のインクのように「静寂」が急速に広がっていった。


 つい先ほどまで、群衆や近くの商人たちは「また衛兵たちが横暴に一般の子供を捕まえている」と、冷ややかな視線を向けていただけだった。日常茶飯事の微温的な不条理。しかし、衛兵の悲鳴に近い絶叫と、地面に転がった短剣に刻まれた【剣と盾を携えたドラゴン】の紋様が衆目に晒された瞬間、その場の空気は一瞬にして凍りついた。


 この王国において、紋章に描かれる意匠は厳格に法制化されており、破れば即座に「反逆罪」となるほどの重みを持っていた。


 なかでも「剣」「盾」「ドラゴン」の三つは、国家の根幹に関わる【最上級の特権意匠】だ。独自の軍事力を許された証明である『剣』、領内における完全な司法権と自治権を示す絶対的な拒否権たる『盾』、そして王族の「獅子」を凌駕し、圧倒的な武力で国境を守護する最強の象徴『ドラゴン』。そのすべてを同時に冠することを許された紋章は、王国の滅亡を防ぎ続ける【絶対なるヴァルハイト辺境伯家】の証に他ならない。


 もしこの紋章に異議を唱える者がいれば、それは「明日からお前たちが代わりにドラゴンや隣国の軍勢と生身で戦ってみせろ」という無言の実績に押し潰されることを意味していた。


「ひっ……!?」


 近くで屋台を引いていた商人の男が、持っていた商品を地面に落とした。その顔はみるみるうちに土気色へと変わっていく。


(なんてことをしてくれたんだ、あの愚か者どもは! 領主様の逆鱗に触れて、この街ごと歴史から消されるぞ……!)


 ヴァルハイト辺境伯領に生きる人々は、その「絶対性」を誰よりも骨の髄まで知っている。巻き添えを恐れた群衆は、蜘蛛の子を散らすように逃げる暇さえ奪われ、一斉にその場へ、まるで重力に叩きつけられたかのように膝を折って跪いた。街の喧騒は完全に消失し、静まり返った石畳の上には、ただ衛兵たちが額を打ち付ける鈍い音だけが虚しく響く。


 そんな中、突き飛ばされて尻餅をついていた当のヒビキは、ただ一人、前世の記憶と極めて省エネな精神を稼働させていた。


(うわぁ……。めちゃくちゃ面倒なことになったな……)


 ヒビキは内心で深く頭を抱えた。ただの息抜きとお忍びの買い食いのつもりだったのに、これでは目立ちすぎて台無しだ。これ以上騒ぎが大きくなって、実家や付きまとってくるリサーナに居場所がバレるのだけは、何としても避けたかった。


 ヒビキは立ち上がると、お尻についた砂を軽く手で払い、ため息混じりに平然と言い放った。


「あー、もういいから。次から気をつけてな。あと、俺がここにいたことは内緒な! あんま、悪いことをするなよったく……」


 大袈裟な処罰の手続きなど考えるだけでも億劫だったヒビキは、ただ事態を穏便かつ速やかに収束させ、この場から立ち去りたい一心で、衛兵たちを適当に解放しようとした。


 だが、その投げやりな態度を見た衛兵たち、そして周囲で息を潜めて平伏していた群衆の脳裏には、全く異なる衝撃が走っていた。


(お、お命を奪うどころか……不問に処すというのか……!?)


 床に額を擦りつけていた衛兵は、涙と鼻水に塗れた顔を驚愕に歪めてヒビキを見上げた。

 ヴァルハイト辺境伯家に対する不敬は、本来ならば一族郎党もろとも極刑に処されてもおかしくない大罪だ。それを、その生息の身体に直接触れて乱暴に突き飛ばしたという、万死に値する無礼を働いた羽虫のような自分たちを――この若き令息は、たった一言の軽い注意だけで許したのだ。


(これほどの無礼を働いた者を、一言で許すとは……。なんという器の大きさ、そして慈悲深さだ……!)


(最弱と噂されていたが、とんでもない。この底知れない度量こそ、まさに次期ヴァルハイト辺境伯に相応しい風格ではないか……!)


 ヒビキの単なる「面倒くさがり」から出た省エネな対応は、周囲の人間たちの歪んだフィルターを通ることで、神聖なまでの【圧倒的な慈悲】として解釈され、彼の評価は天井知らずに爆上がりしていくのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ