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16話 牙を剥く家紋、震える砂粒

牙を剥く家紋、震える砂粒


 屋敷のなかに留まっていれば、何処からともなく現れたリサーナが、まるで甘える飼い猫のようにぴったりと背後に付きまとってくる。その変化があまりに急激で、何より気まずさに耐えかねたヒビキは、軽い息抜きのつもりでこっそりと屋敷を抜け出すことにした。


 お忍びで訪れたのは、活気に満ちた領内の街だ。平民が着るような極めて地味で身すぼらしい綿の服に身を包み、食べ歩きを楽しんだり、露店に並ぶ小汚い武器屋を興味深げに見て回ったりしていた。


 しかし、それが仇となるのだった。


 みすぼらしい格好をした子供のくせに、財布から銅貨や銀貨を気前よく出して豪勢に買い食いをし、怪しげな店を物色して回る姿は、巡回中の衛兵たちの目に極めて不審に映ったのだ。あいつは小金を隠し持っている、あるいはどこかから盗んできたに違いない――。金を巻き上げられそうな格好のカモを見つけたと言わんばかりの、下卑た視線がヒビキの背中に突き刺さる。


「おい、そこのガキ。ちょっとつらを貸せや」


 背後から威圧的な声が響くや否や、屈強な衛兵の手がヒビキの細い肩を乱暴に掴んだ。

 弁明の余地など与えられぬまま、引きずられるような形で、近くの路地裏にある薄暗い木造の詰め所へと連行される。


 バタン、と重い扉が閉められると同時に、衛兵はヒビキの腕を力任せに捻り、冷たい床へと突き飛ばした。


「おいおい、大人しくしてりゃいいものを。懐に妙なものを隠し持ってやがったな」


 カラン、と石畳に虚しく乾いた音を立てて、ヒビキの懐から滑り落ちたシンプルな意匠の短剣が転がった。


「あ? なんだァ、この安っぽい短剣は。もしかして……これ、盗品か?」


 衛兵の男が鼻で笑いながらそれを拾い上げ、付着した泥を手のひらで無造作に拭った――その瞬間、男の指先がピキリと凍りついた。


 短剣の柄に刻まれていたのは、鈍い銀の光を放つ精緻な浮き彫り(レリーフ)。

 鋭い二振りの剣を交差させ、王国のどんな盾よりも堅牢な盾を背後に配し、それら全てを傲然と抱きかかえるドラゴンの紋様。


「……っ!?」


 衛兵の脳裏に、幼い頃から叩き込まれてきた法知識が強制的にフラッシュバックする。


 紋章における「剣」と「ドラゴン」の不敬なる使用は、それだけで弁明の余地なく即座に極刑。そして、その全てを同時に冠することを許された一族は、この王国においてただ一つしか存在しない。


 中央の王族すら機嫌を損ねぬよう平伏し、一日でも防衛を放棄すれば国が滅ぶとされる、あの絶対なるヴァルハイト辺境伯家の直系。


「あ、あ……あばばばばっ……!!」


 自分が今、その生息の腕を掴み、乱暴に地面へ突き飛ばしたという事実の重さに、衛兵の精神は一瞬で崩壊した。

 脳を直接焼かれたかのような凄まじい恐怖が全身を駆け巡り、歯の根が合わないほどのガタガタという激しい震えが男を支配する。立っていることすらできず、まるで糸の切れた人形のように、泥の浮いた石畳へと崩れ落ちた。


「ひ、ひぃぃ……っ!? こ、これは……っ、ヴァルハイト辺境伯家の、家紋……っ!?」


 拾い上げた短剣が、まるで呪いのアイテム、あるいは握れば命を吸われる魔道具であるかのように、その場に放り出される。


 冷たい石畳に額を何度も叩きつける、鈍く重い音が薄暗い詰め所に何度も響き渡った。


「お、お命だけは……っ! 知らなかったのです、ただの泥棒、不審者かと……っ! 辺境伯の、令息様ァァァ!!」


 額が割れ、赤い血が石畳の溝にじわりと広がっていくのも構わず、衛兵たちは狂ったように何度も頭を打ち付けた。涙と鼻水、そして恐怖の汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、地面に何度も頭を擦りつけ、這いつくばって命乞いを始めたのだった。


 辺境伯の令息とはいえその場で即時の身分剥奪と拘束、事後の処罰として家財没収と強制労働の処分を告げられる司法権を行使できた。

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