7話 番(つがい)
こども園は臨時休園、保育実習は中止となった。
翌日のニュースでは、誰かが飼っていた大蛇が逃げ、こども園に迷い込んだのではないかと報道されていた。
大掛かりな大蛇探しの捜索隊が組まれ、こども園の周囲あちこちを捜しているそうだ。
「知ってる場所がニュースになるなんて、自分が関係なかったら盛り上がるんだろうな」
私はスマホでニュースサイトを見ながら、ため息を吐く。
私は目撃者として、警察の事情聴取を受けることになった。
フジグランの隣にある福山北警察署。その二階にある取調室に通された。ドラマで見るよりも、とても狭い部屋だ。
「よく覚えていません」
私はそう答える。
「どんなことでもいいんです」
若い刑事が食い下がる。
だけど、何も言えない。言えるはずがない。
「皆さんの言う蛇の大きさがバラバラなんです。二メートルくらいという先生もいれば、教室の天井に届く大きさだったという証言もある」
実はその大蛇は妖怪で、大きさが変わるんです。
そんなことを言っても信じてもらえる訳がない。
「それに、あれだけ大暴れしたのに、鱗一枚落ちていない。これは異常なんです。本当に蛇でしたか?」
「分かりません」
私は俯く。
刑事は、何とか私から情報を引き出して、大蛇捜索に役立てようとしている。
でも、大蛇はもう消えてしまったなんて、どう説明していいのか分からない。
「子どもたちの中には、鬼が入ってきて、蛇を倒したという子もいて……」
胸の奥がぎゅっとする。
姿を消していたはずの御領を見える子がいたんだ。きっとその子は霊力が高いんだろう。
鬼の姿を見て、怖かったに違いない。
私は涙が出てきた。止められなかった。
刑事は少し慌てた様子で、私を慰める。
「今日はこの辺にしましょう。ゆっくり休んでください。もし、何か思い出したら連絡くださいね」
家まで送ると言ってくれたが、丁重にお断りして、歩いて帰る。
本来なら、保育実習をしている時間。
信号待ちでユノにチャットしてみる。
既読にならない。
彼女はまだ面会謝絶。仕方ない。
途中で、御領と歩いた道を横切る。福山に買い物に行った時に、駅まで歩いた道。
帰る方向とは違うけれど、その道へと進む。
あの時は、御領が姿を消していたから、私一人で喋ってるように見えたんだっけ。
「ふふっ」
思い出し笑いがこぼれる。
御領に会いたい。
会って、もっと話したい。
私は、また泣いていた。
***
三日がたった。
ほとんど何もしないまま、過ぎてしまった。
ニュースを見た親から、心配する連絡が来たけれど、自分は関係なかったと伝えた。
嘘も方便だ。
それでも、蛇が見つかるまでは一人で外を出歩くなと念を押されてしまった。
ベッドに横たわって、ボーッとラジオを聴きながら、あの日、権現に言われたことを思い出す。
『よく、僕が鬼だと分かったね』
権現は鬼の姿を現した。青黒い肌に鋭い牙と角。そして山吹色の瞳。
そう言えば、御領が「日が暮れると、人の姿では居られなくなる」と言っていた。権現もそうなのだろう。
まさに鬼気迫る顔。
でも、不思議と怖くなかった。権現の優しい言動を知っているせいか、それとも御領の鬼の姿を見慣れていたせいかもしれない。
『この姿、怖くない?』
私は頷いた。
鬼は喜んで大きな口を開く。
『キミは本当に素晴らしい。鬼の番に相応しい』
『つが…い……?』
私の知らない言葉。
『ああ。鬼は運命で定められた女性を伴侶とします。それが番。キミは、鬼の番となる運命なんです』
番、伴侶。
それって、鬼と結婚するってこと?
『キミの高い霊力は、そのために与えられたものです』
鬼の番となるための力。
だから、私には姿を消した御領や呪いが見えたのか。
どうして最近になって見えるようになったんだろう。
『御領は、今までキミの霊力と記憶を封じていた。十年経って、やっとそれが綻んでくれたんです』
『え?……どういうこと?』
十年前。私が小学三年生。神隠しにあった頃だ。
前に権現は、御領が私の神隠しに関わっていたと言っていた。
ユノも、御領が私と昔会ったことがあるみたいと言っていた。
私の神隠し。その時、きっと御領が私に何かをしたんだ。
私は思い出せない記憶の中に、何か重大な事がある。私の腕を引く大きな手の感触。
これは確信だった。鬼は嘘をつかない。間違いなく権現はそれを知っている。
『教えてください。神隠しで私に何があったかを』
『そんなことより……』
権現は、私の問いに答えない。御領と同じ「そんなことより」という言葉に引っかかる。
『豊田麻姫さん。僕の番になってくれないか』
突然のセリフに、私は目が点になった。
え……それってプロポーズ?
私は、どう答えて良いか分からず、あわあわとしていた。
『答えは今じゃなくていい。何十年でも待つから』
頭が真っ白になって、何も考えられない。
『僕は、ちゃんと君の側にいるよ……』
私が驚いて瞬きをした一瞬で、彼はもう居なくなっていた。
そんなことを思い出して、私は枕に顔を埋める。
恥ずかしいとかじゃなくて、本気で悩んでいるからだ。
権現は優しいし、人の姿の時はイケメン。得体のしれないところがあるけれど、それは不思議な魅力とも言えなくない。
「鬼の番……」
権現に告げられた、私の運命。
でも、鬼と結婚だなんて考えられないよ。
気を紛らわせるために、私はスマホを手に取る。
まだユノのチャットは既読がついていない。退院したらすぐに連絡してくれるはずだけど。とても心配だ。
ユノのお兄さんにもチャットしてみたけれど、既読スルー。いろいろと忙しいのかもしれない。
鬼にプロポーズされたって言っても、信じてくれないよなぁ。
一人で引き籠って悩んでいても、堂々巡りになるだけ。外に出なきゃ。
「そうだ。課題提出してこないと……」
ユノと一緒に作った民俗学の課題。地元福山の鬼の伝説を調べて、紙芝居にまとめた。
二人の鬼が出てくる塗り絵の紙芝居だ。
コピーしておいた画用紙を丸め、大学へと出掛ける支度をする。
三日ぶりの外出。太陽がまぶしい。
大蛇の警戒が続いているのか、街は誰も歩いておらず、静かで不気味だった。
大学も、いつもより学生が少なく、活気がない。陰鬱な雰囲気に包まれていた。
他の学生がチラチラと私を見ている気がする。
いや、気のせいじゃない。こそこそと小さな声で私の名前を呼んで話しているのも聞こえる。
「もう……一体、何なのよ」
視線が気になりながらも、先生の研究室まで行く。
「民俗学の課題を持ってきました」
「ご苦労さま。早かったね」
「締め切り今日ですから」
「いや。蛇の事件があっただろ。だから締め切りを来週に延期したんだ。聞いてないかい?」
聞いてないよ。
実習中にも関わらず、ユノとあんなに頑張ったのに、延期ですって?
三日間もあったのに、何で誰も教えてくれないのよ。
私は、ユノが入院したことと、今提出した課題がユノと共同のレポートであることを先生に伝える。
先生の「お大事に」という言葉を聞いて、研究室を後にした。
相変わらず、周囲からの視線を感じる。
贔屓の呪いの時とは違う、責めるような視線。
私は、小走りで建物の裏へと隠れる。
「マキ」
そこで私の名を呼ぶ遠慮のない声。すぐ分かる。この声は御領だ。
今日は影がある。独り言にはならなさそう。
「イガグリくん……」
気まずい。
あれだけ一方的に怒ってしまったんだ。何をどう言ったら良いだろう。
言い過ぎたって謝る?
いや、でも、私はおかしなことを言ってたつもりはないし……
それだけじゃない。私の霊力と記憶を封じたっていうことも気になる。
権現からプロポーズされたこと、言うべきだろうか。
どう聞いていいのか、何から喋っていいのか。
回答に詰まっていると、御領が私の顔を覗き込む。
「また、何か困っているのか?」
あなたへの接し方に困っているんです。
……そうか、御領の最優先は私を守ること。私と喧嘩してたことなんて「そんなこと」なのかもしれない。
「平気なの? 私、あんなに怒ったのに」
御領は「いまいち怒られた理由は分かってはいないんだが」と前置きする。
「俺がマキを守ることと同じように、マキは子どもたちを守りたかったと言うことじゃないのか」
うん。まあ、及第点かな。
やっぱり御領は優しい。ちゃんと話せば、理解してくれる。
小学生の頃の神隠しについても、聞けば教えてくれるに違いない。
「豊田さんが……」
カップルが、そう言いかけながら通りがかった。同じクラスの人たちだ。私の噂をしていたらしい。
私たちを見てぎょっとすると、距離を取ってコソコソと離れていく。
私は嫌な気持ちになり、思わず顔に不快感を浮かべてしまう。
「あれに困っているのか」
御領がカップルを睨む。
「そういう訳じゃないけど……」
「呪いではなさそうだ。何を話しているか聞いてこよう」
そう言うが早いか、御領はカップルへと向かって走る。
「ちょっと待って!」
慌てて追いかけるが、御領は、あっという間にカップルの前に立ちはだかる。
「マキの何を話していた」
いきなり話しかける御領。前に先生の呪いを調べたときも、こんな風にしてたのだろうか。
突然現れた大男に二人はたじろぐ。しかし、カップルの男の方は、彼女を守ろうと前に出る。
「ちょっとした噂話だよ」
「なんだ?」
「先生の件にしても、豊田さんの周りでばかり変なことが起きてるから、今回の事件だってそうじゃないのかって噂だよ」
彼女の方も後ろから声を出す。
「そうよ、ユノが一番の被害者だわっ!」
ユノのことを言われると辛い。
「豊田さんに原因があるかもって話だ。おかしなことが続けばそうなるに決まってるだろ。みんな彼女を怖がってる」
あの大蛇が、私のせいだと思われてる?
私が怖い?
ショックで何も言い返せない。
御領は無言で二人を見下ろす。
そんなことしたら、余計に私が怖がられてしまう。
私は御領の腕を引っ張って、カップルから引き剥がす。
「ちょっと、もういいよ」
「しかし……」
御領は困り顔でついてくる。
「もう放っておいて!」
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
私は御領を置いたまま、走ってその場を去った。
部屋に戻ると、ベッドに潜って音楽を聞く。もう何も考えたくなかった。
***
その日の夕方、スマホに着信。ユノのお兄さんからだ。
「ユノ、退院したんですか?」
『まだだ』
「具合悪いんですか?」
『いや、かなり良くなった。少しふらつくみたいじゃけど』
良かった。私は胸を撫でおろす。
「じゃあ、今からお見舞いに行っても良いですか?」
『ごめん、今はちょっと』
「どうして?」
お兄さんが答えるまで、少し間があった。
『以前、ユノから聞いたんよ。ユノが転ぶのは、近くにマキちゃんがいる時だけじゃって』
あ。ホケカンに行った時に、ユノが言いかけたのは、これだったんだ。
『今回も、マキちゃんといる時にユノは襲われたじゃろ』
変なこと言わないで。嫌だ嫌だ嫌だ。
私の気持ちとは関係なく、お兄さんは一方的に話す。
『大学でも、マキちゃんが悪いんじゃないかって噂になっとるらしいけえ』
何で?
お兄さんまで、そんな噂を信じるの?
『マキちゃんと一緒にいると、ユノが危ない』
妹を心配するお兄さんの気持ちは分かる。でも、どうして私と一緒だと危ないだなんて結論につながるのよ。
『ユノも、今は会いたくないって言っとった』
「そんな、嘘よ!」
ユノがそんなこと言うはずがない!
私は電話を切った。
嘘よ!嘘よ!嘘よ!
私は部屋を出て、病院に向かう。
面会時間ギリギリ、今からじゃ間に合わない。でも、ユノと直接話がしたい。
私は誰もいない道を走る。
大蛇騒動のせいで、日が落ちてから出歩く人はいない。
「豊田麻姫さん」
私の名を呼ぶ優しい声。振り向くと、鬼の姿の権現が立っていた。
「急いでいるのかい?」
「ええ、病院まで」
「一緒に行こう」
そう言って、彼は私の腕をぐっと掴み、引っ張って走っていく。
私一人で走るよりも何倍も速く進む。それでいて、走る負担を感じない。まるで風にのったような感覚。
私の腕を掴む、鬼の手を見つめる。
大きな手。
この手の感覚……なんとなく覚えがある。子供の頃、こんな手に引かれて歩いた感覚と同じ。
私はあの時、こうやって鬼に手を引かれて、山の中を歩いたんだ。
権現に? それとも別の鬼に?
それ以上思い出そうとすると、頭にモヤが掛かったようになる。
モヤ……呪い?
神隠しの記憶があやふやなのは、御領が私に呪いをかけたのだろうか。
もしかして、ユノが会いたくないって言ったのも、呪いのせいだったりする?
分からない。ユノと直接話がしたい。
私は、漠然とした不安を感じて、権現の大きな手をぎゅっと掴んだ。
瞬間、心の底がざわつく。理由も分からないまま、走っていく。
間もなく病院に到着した。
「こんなこともできるんですね」
「ああ、キミを番にするためなら何でもするよ」
その真っ直ぐな瞳と言葉に、ドキッとする。
権現にお礼を言って、病院に入る。彼は姿を消したまま、私の後ろをついてくる。
「お兄さんだ」
ちょうど病室から、お兄さんが出てきた。面会時間が終わるので、帰るみたい。
私はトイレの影に隠れてやり過ごす。
今なら、お兄さんに邪魔されずにユノと話ができる。
私たちは音を立てないようにして、病室へと入った。
ベッドの上でユノは眠っていた。
穏やかな寝顔。
それを見た権現が、私にささやく。
「弱くて見えにくいけど、あれは呪いです」
権現の指差す先を見る。
窓の外から入ってくる光に照らされて、ユノのゆるふわな髪の奥の方が、薄く黒みがかっていた。
ユノにも呪いが掛けられている?
いつから?
いや。私は前から、この呪いが見えていた。ただ、今までこれが呪いだと気付かなかっただけ。
権現が、ユノを観察するように覗き込む。
「思いを歪ませる呪い……」
「それって、先生が私を贔屓した時の呪いと同じ?」
「そうだね」
権現はすぐに断言した。
つまり、ユノがいつも私の側にいてくれたのは、私を特別扱いする呪いが掛かっていたということ。
つまり、ユノが私を親友として接してくれたのも呪いのせい。
つまり、つまり、つまり。
「あの呪い、僕が祓おうか?」
権現が指を動かす。
「いいえ」
私は、胸ポケットからハンカチを取り出す。そこには、御領の髪の毛を挟んでいた。
「権現さん。この呪いって、前みたいに一つ消すと、強化される呪い?」
「いや、そんな高度な呪いじゃない」
「良かった」
「どうするんだい?」
私は、ユノの頭の黒みがかった場所に、髪の毛を突き立てた。
黒みはモヤのように消えていく。
本当に呪いだった。
鬼は嘘を吐かないから、権現の言うことを信じてなかったわけじゃない。
多分、信じたくなかったんだと思う。だから、私自身の手で呪いを消した。
「ん……?」
ユノが目を覚ました。
「お兄ちゃん?」
「ユノ。私よ、豊田麻姫!」
ユノは寝惚けたように目を擦る。
「……? 豊田さん?」
豊田さん……ユノにそう呼ばれたのはいつぶりだろう。
下の名前で呼び合っていたから、もう何年も名字を呼ばれていない。
「ええ、お見舞いに来てくれて、ありがとう」
「体の調子はどう?」
「まあまあです」
よそよそしい態度のユノに、私は絶望する。
ユノは、呪いのせいで、今まで私を親友だと思い込まされていただけだったんだ。
親の転勤で私が福山を離れている間、頻繁に連絡してくれたのもそうだったの?
同じ大学へ行こうと誘ってくれたのもそうだったの?
どこまでが本当のユノの気持ちだったのか、分からない。
ユノとの友情だと思っていたものが、私を贔屓する呪いだったなんて。
私の中で、何かが崩れ落ちた。
「民俗学のレポート提出しておいたから」
「え……レポート? あ、ありがとうございます」
「お大事に」
その言葉を残して、私たちは病室を後にする。
「さあ、行こうか」
権現が手を差し伸べる。
私はその手を掴む。
「どこへ?」
「静かな所。誰にも邪魔されずに、考えられる所」
私が今一番望んでいることだ。権現は、御領と違って人の気持ちが分かる鬼らしい。
「うん、お願い」
再び権現の手に引かれて、私は風に乗る。町の明かりがすごい速さで後ろに流れていく。
着いたのは、街灯に照らされた鳥居の前。
「ここは……豊姫神社?」
「そうです。よくわかったね」
「懐かしい。小さい頃よく遊んだわ」
豊姫神社は、山の北面に建立された古い神社。夜には人気もなく、わずかな明かりだけで、とても落ち着いた雰囲気になっている。
「ここなら、誰にも邪魔されない」
「ありがとう」
鳥居をくぐると、すぐ左手に池がある。その側のベンチに二人で腰掛ける。
「キミの話を聞くよ」
「ううん」
私は頭を振った。
「もう疲れちゃった」
「キミは何も悪くないのにね」
権現にそう言われて、自然と涙がこぼれた。
「私、全部失くしちゃった……」
「大丈夫。僕がいるよ」
恐ろしい鬼の姿だが、権現は声も心も優しさに溢れている。
私が泣き続けている間、何度も「大丈夫だよ」と励ましてくれた。
「ありがと……落ち着いてきた……」
私がそう言うと、彼はゆっくりと私を抱きしめる。そしていつものように囁く。
「話したいことはない? 聞いてあげるよ」
「うん、今はいい」
すると彼は立ち上がる。
「じゃあ、僕がお話をしてあげる。場所を変えよう」
彼の後ろについて、神社の奥へと進んでいく。
豊姫神社の本殿までは、急な階段を百段以上登らないといけない。階段の下には、本殿まで登れない人たちのために賽銭箱が備え付けられている。
私たちは階段を上っていく。その階段の途中で腰掛ける。ここからだと、夜の町がよく見える。
家の明かりが星々のように地上で煌めいていた。
「昔話と未来の話をしよう」
私は、権現の話を静かに聞く。
「この神社から艮の方角、北東の山の上に八丈岩があります。その山に、一人の鬼が住んでいました」
前に彼から紹介してもらったゴンとハチの物語だ。ユノと紙芝居を作って……楽しかったな。
「ユノ……」
私はまた泣きそうになる。
でも、権現は話を続けているので、少し我慢する。
「川を挟んだ反対側にある権現山にも鬼がいました。二つの山は、ほとんど同じ高さでした」
権現山の鬼……彼は自分のことを話しているんだ。ということは、鬼の伝説は本当にあったこと?
「ある時、偉い人が、高い方の山に国分寺を建てると言いました。寺のある山は霊力が高まるため、力の弱かった八丈岩の鬼は、自分の山の方が高いと言いだしました」
そして、鬼同士は喧嘩になる。
「非力な八丈岩の鬼は、権現山を目掛けて栗しか投げられませんでした。権現山の鬼は、力一杯に岩を投げ返しました」
私たちが調べた伝説と流れは同じ。けれども、彼が喋ると臨場感がある。
私はどんどんと話に引き込まれた。
「飛んできた大きな岩が積み上がり、八丈岩の山は高くなりました。その山の名は、御領山。国分寺は御領山に建てられることになったのです」
御領……。そうか、八丈岩の鬼って、御領のことだったんだ。
国分寺は堂々公園へ登る途中にある。公園をさらに上れば八丈岩だ。
「国分寺が建てられ、八丈岩の鬼は力が増していきました。このあたりの妖怪は、彼に付き従うようになりました」
ゴンとハチのお話と違う。お話では、二人の鬼は仲良くなったけど……
「権現山の鬼に従っていた妖怪たちも、掌を返したように八丈岩の鬼の所へと下りました。権現山の鬼は一人になったのです」
権現はここで話を区切り、私を見つめる。
「千と数百年が過ぎました。彼は運命の番に出会いました。彼女はとても困っていたので、権現山の鬼はとても気にかけていました」
私のことだ。
「で、ここからは未来の話です」
急に軽い口調になる。
「彼女と一緒になった鬼は、力を取り戻して、ずっと幸せに暮らしました……とさ」
それが権現の望む未来。嘘でも何でもなく、そうありたいと願う彼の思い。
「ただし、キミが選べば……だけれども」
鬼の番か……。
私は大学での居場所も、一番の親友も失くしてしまった。
求められるのであれば、鬼と一緒の道を選ぶというのもありかもしれない。
悪くはない……一瞬、そう思った。
「鬼の番って、何がどうなるんですか?」
「番になる誓いを立てて、二人で妖怪の世界で暮らすんです」
私の質問に、権現は軽く答える。
だけど、結婚式を挙げて異世界に行きましょうって、結構ハードル高くない?
「妖怪の世界?」
「ああ。こちらの世界と隣り合わせの目に見えない世界です。大丈夫。僕みたいにこちらの世界と行き来もできます」
そうか。御領や大蛇が消えたのは、妖怪の世界へと行ったからなんだ。
「地形はこちらの世界と全く同じ。だけど、時間の流れが違うので、あちらの一日が、こちらの世界では数日、数年、数百年となることがあります」
だから、妖怪たちは長生きなんだ。何千年も生きているように見えるけれど、実際に生きている時間は私たちと変わらないのかもしれない。
妙に納得した。
「キミはすでに一度、あちらへ行っている。だから、怖くないよ」
私はハッとした。子どもの頃の神隠しのことだ。
権現はそれを知っている。
「神隠しの時、私に何があったんですか?」
「……うん。あの時、キミは拐われて妖怪の世界に行きました。そして、連れ戻された」
あの事件に御領が関係している。
「それは……」
さらに聞こうとすると、権現は首を横に振った。
これ以上は分からないということみたい。答えてくれそうにない。
「未来の話は嫌いかい?」
「いえ……」
権現は話を戻そうとする。
「君だったら、妖怪の世界でも幸せに暮らせるはずさ」
御領も権現も「鬼は嘘を吐かない」と言っていた。
信じて良いんだとは思う。
権現は、山の上の方にある神社の本殿を指差す。
「本殿で鬼の番の誓いを立てるんです。とりあえず行ってみませんか?」
彼は立ち上がり、私に手を差し伸べる。
「大丈夫。今は誓いを立てなくてもいいよ。結論はまだ先で構わないから」
私は安心して、その手を取って立ち上がる。
彼の大きな手に引かれて、階段を上っていく。
この手の感覚。
……思い出した。
私は子どもの頃、こんな風に大きな手に引かれて、八丈岩まで戻ってきたんだ。
権現の説明と私の記憶がつながった。
私を連れ戻してくれたのは鬼。
もしかしたら、この手が私を助けてくれたのかもしれない。そう思って、手をぎゅっと握り返す。
「権現さん。あなたが私をこの世界に連れ戻してくれたの?」
権現は無言で私の手を引いていく。
「ここだよ」
階段を登った先には小さな広場があり、その横に本殿が鎮座している。
子どもの頃に何度も来た場所。でも、夜に来るのは初めてだ。
暗く静かで、厳粛な雰囲気。普段なら怖いと思うんだろうけど、今は、本殿の佇まいが神聖なものだと分かる。
別世界への入り口。それがここにあるんじゃないかと感じる。
「ここで誓えば、ずっと一緒にいられる」
権現は、笑った。
鬼の形相なのに、笑ったと分かる。
私が鬼の番になる運命だから、笑顔だと分かったのだろうか。
御領が笑ったところ、見たことあったかな?
嫌われて生きるこの世界より、求められて住む妖怪の世界の方が幸せなのかも。
「悪くないかもしれない」
不安は感じているけど、怖いとは思わない。
「キミなら大丈夫だよ。一人じゃないから」
権現が、私の不安を取り除いてくれる。
今までの私だったら、付き合ってもいないのに結婚だなんてと笑っていただろう。でも、運命なんだから仕方ないのかもしれない。
私も、いろいろと考えようとするけれど、さっきまでの感情の疲れで、うまく頭が回らない。
「今、誓いを立てる?」
優しく甘い声。
受け入れても良いかなと思った。
ユノが言ってた、ダブルデートの妄想が現実になるのかな。
私と権現、ユノと御領……
ダメだ。もうユノは親友じゃない。
こんなことなら、ユノの呪いを解かなければ良かった。
「あれ……?」
何かが心に引っ掛かった。
本当に彼を信じても良いのか。
「権現さんは、先生の呪いを知らないですよね。どうして、すぐユノの呪いと『同じ』だって分かったの?」
先生に呪いを掛けた犯人は、まだ分かっていない。
御領は、その人に触らないと、どんな呪いか分からないと言っていた。
権現が、御領よりも先に、先生に触れて呪いを調べていたということもあり得なくはない。
……待って。あの時、彼はユノを見ていただけ。触れていない。
私の中で警鐘が鳴る。
「もしかして、思いを歪ませる呪いを掛けたのは……」
私は権現を見つめる。
でも、答えを聞くのが怖かった。
だって、鬼は嘘を吐かないから。
「……勘がいいね。キミは鬼の番に相応しい」
権現が冷たく鋭い視線で私を睨み返す。
握った私の手を、さらに強く握る。
「やっ……」
「マキーっ!」
荒々しい声が、山の下から響いてくる。
御領だ。
赤茶けた肌の鬼が、階段の下から本殿前の広場まで一気に飛び上がってきた。
「御領! どうして、ここへ?」
権現が焦ったように叫ぶ。
鬼同士、睨み合う。
御領は、怒りの表情で叫び返す。
「マキを守るためだ」




