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鬼に守られる理由を、私は知らない〜福山鬼記〜  作者: M


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7/9

7話 番(つがい)

 こども園は臨時休園、保育実習は中止となった。


 翌日のニュースでは、誰かが飼っていた大蛇が逃げ、こども園に迷い込んだのではないかと報道されていた。

 大掛かりな大蛇探しの捜索隊が組まれ、こども園の周囲あちこちを捜しているそうだ。


「知ってる場所がニュースになるなんて、自分が関係なかったら盛り上がるんだろうな」


 私はスマホでニュースサイトを見ながら、ため息を吐く。


 私は目撃者として、警察の事情聴取を受けることになった。

 フジグランの隣にある福山北警察署。その二階にある取調室に通された。ドラマで見るよりも、とても狭い部屋だ。


「よく覚えていません」


 私はそう答える。


「どんなことでもいいんです」


 若い刑事が食い下がる。

 だけど、何も言えない。言えるはずがない。


「皆さんの言う蛇の大きさがバラバラなんです。二メートルくらいという先生もいれば、教室の天井に届く大きさだったという証言もある」


 実はその大蛇は妖怪で、大きさが変わるんです。

 そんなことを言っても信じてもらえる訳がない。


「それに、あれだけ大暴れしたのに、鱗一枚落ちていない。これは異常なんです。本当に蛇でしたか?」

「分かりません」


 私は俯く。

 刑事は、何とか私から情報を引き出して、大蛇捜索に役立てようとしている。

 でも、大蛇はもう消えてしまったなんて、どう説明していいのか分からない。


「子どもたちの中には、鬼が入ってきて、蛇を倒したという子もいて……」


 胸の奥がぎゅっとする。

 姿を消していたはずの御領を見える子がいたんだ。きっとその子は霊力が高いんだろう。

 鬼の姿を見て、怖かったに違いない。


 私は涙が出てきた。止められなかった。

 刑事は少し慌てた様子で、私を慰める。


「今日はこの辺にしましょう。ゆっくり休んでください。もし、何か思い出したら連絡くださいね」


 家まで送ると言ってくれたが、丁重にお断りして、歩いて帰る。

 本来なら、保育実習をしている時間。


 信号待ちでユノにチャットしてみる。

 既読にならない。

 彼女はまだ面会謝絶。仕方ない。


 途中で、御領と歩いた道を横切る。福山に買い物に行った時に、駅まで歩いた道。

 帰る方向とは違うけれど、その道へと進む。

 あの時は、御領が姿を消していたから、私一人で喋ってるように見えたんだっけ。


「ふふっ」


 思い出し笑いがこぼれる。

 御領に会いたい。

 会って、もっと話したい。


 私は、また泣いていた。


***


 三日がたった。

 ほとんど何もしないまま、過ぎてしまった。

 ニュースを見た親から、心配する連絡が来たけれど、自分は関係なかったと伝えた。

 嘘も方便だ。

 それでも、蛇が見つかるまでは一人で外を出歩くなと念を押されてしまった。


 ベッドに横たわって、ボーッとラジオを聴きながら、あの日、権現に言われたことを思い出す。


『よく、僕が鬼だと分かったね』


 権現は鬼の姿を現した。青黒い肌に鋭い牙と角。そして山吹色の瞳。

 そう言えば、御領が「日が暮れると、人の姿では居られなくなる」と言っていた。権現もそうなのだろう。

 まさに鬼気迫る顔。

 でも、不思議と怖くなかった。権現の優しい言動を知っているせいか、それとも御領の鬼の姿を見慣れていたせいかもしれない。


『この姿、怖くない?』


 私は頷いた。

 鬼は喜んで大きな口を開く。


『キミは本当に素晴らしい。鬼の(つがい)に相応しい』

『つが…い……?』


 私の知らない言葉。


『ああ。鬼は運命で定められた女性を伴侶とします。それが(つがい)。キミは、鬼の番となる運命なんです』


 番、伴侶。

 それって、鬼と結婚するってこと?


『キミの高い霊力は、そのために与えられたものです』


 鬼の番となるための力。

 だから、私には姿を消した御領や呪いが見えたのか。

 どうして最近になって見えるようになったんだろう。


『御領は、今までキミの霊力と記憶を封じていた。十年経って、やっとそれが綻んでくれたんです』

『え?……どういうこと?』


 十年前。私が小学三年生。神隠しにあった頃だ。

 前に権現は、御領が私の神隠しに関わっていたと言っていた。

 ユノも、御領が私と昔会ったことがあるみたいと言っていた。


 私の神隠し。その時、きっと御領が私に何かをしたんだ。

 私は思い出せない記憶の中に、何か重大な事がある。私の腕を引く大きな手の感触。

 これは確信だった。鬼は嘘をつかない。間違いなく権現はそれを知っている。


『教えてください。神隠しで私に何があったかを』

『そんなことより……』


 権現は、私の問いに答えない。御領と同じ「そんなことより」という言葉に引っかかる。


『豊田麻姫さん。僕の番になってくれないか』


 突然のセリフに、私は目が点になった。

 え……それってプロポーズ?

 私は、どう答えて良いか分からず、あわあわとしていた。


『答えは今じゃなくていい。何十年でも待つから』


 頭が真っ白になって、何も考えられない。


『僕は、ちゃんと君の側にいるよ……』


 私が驚いて瞬きをした一瞬で、彼はもう居なくなっていた。



 そんなことを思い出して、私は枕に顔を埋める。

 恥ずかしいとかじゃなくて、本気で悩んでいるからだ。

 権現は優しいし、人の姿の時はイケメン。得体のしれないところがあるけれど、それは不思議な魅力とも言えなくない。


「鬼の番……」


 権現に告げられた、私の運命。

 でも、鬼と結婚だなんて考えられないよ。


 気を紛らわせるために、私はスマホを手に取る。

 まだユノのチャットは既読がついていない。退院したらすぐに連絡してくれるはずだけど。とても心配だ。

 ユノのお兄さんにもチャットしてみたけれど、既読スルー。いろいろと忙しいのかもしれない。


 鬼にプロポーズされたって言っても、信じてくれないよなぁ。

 一人で引き籠って悩んでいても、堂々巡りになるだけ。外に出なきゃ。


「そうだ。課題提出してこないと……」


 ユノと一緒に作った民俗学の課題。地元福山の鬼の伝説を調べて、紙芝居にまとめた。

 二人の鬼が出てくる塗り絵の紙芝居だ。

 

 コピーしておいた画用紙を丸め、大学へと出掛ける支度をする。

 三日ぶりの外出。太陽がまぶしい。

 大蛇の警戒が続いているのか、街は誰も歩いておらず、静かで不気味だった。

 大学も、いつもより学生が少なく、活気がない。陰鬱な雰囲気に包まれていた。


 他の学生がチラチラと私を見ている気がする。

 いや、気のせいじゃない。こそこそと小さな声で私の名前を呼んで話しているのも聞こえる。


「もう……一体、何なのよ」


 視線が気になりながらも、先生の研究室まで行く。


「民俗学の課題を持ってきました」

「ご苦労さま。早かったね」

「締め切り今日ですから」

「いや。蛇の事件があっただろ。だから締め切りを来週に延期したんだ。聞いてないかい?」


 聞いてないよ。

 実習中にも関わらず、ユノとあんなに頑張ったのに、延期ですって?

 三日間もあったのに、何で誰も教えてくれないのよ。


 私は、ユノが入院したことと、今提出した課題がユノと共同のレポートであることを先生に伝える。

 先生の「お大事に」という言葉を聞いて、研究室を後にした。


 相変わらず、周囲からの視線を感じる。

 贔屓の呪いの時とは違う、責めるような視線。

 私は、小走りで建物の裏へと隠れる。


「マキ」


 そこで私の名を呼ぶ遠慮のない声。すぐ分かる。この声は御領だ。

 今日は影がある。独り言にはならなさそう。


「イガグリくん……」


 気まずい。

 あれだけ一方的に怒ってしまったんだ。何をどう言ったら良いだろう。

 言い過ぎたって謝る?

 いや、でも、私はおかしなことを言ってたつもりはないし……

 それだけじゃない。私の霊力と記憶を封じたっていうことも気になる。

 権現からプロポーズされたこと、言うべきだろうか。


 どう聞いていいのか、何から喋っていいのか。

 回答に詰まっていると、御領が私の顔を覗き込む。


「また、何か困っているのか?」


 あなたへの接し方に困っているんです。

 ……そうか、御領の最優先は私を守ること。私と喧嘩してたことなんて「そんなこと」なのかもしれない。


「平気なの? 私、あんなに怒ったのに」


 御領は「いまいち怒られた理由は分かってはいないんだが」と前置きする。


「俺がマキを守ることと同じように、マキは子どもたちを守りたかったと言うことじゃないのか」


 うん。まあ、及第点かな。

 やっぱり御領は優しい。ちゃんと話せば、理解してくれる。

 小学生の頃の神隠しについても、聞けば教えてくれるに違いない。


「豊田さんが……」


 カップルが、そう言いかけながら通りがかった。同じクラスの人たちだ。私の噂をしていたらしい。

 私たちを見てぎょっとすると、距離を取ってコソコソと離れていく。

 私は嫌な気持ちになり、思わず顔に不快感を浮かべてしまう。


「あれに困っているのか」


 御領がカップルを睨む。


「そういう訳じゃないけど……」

「呪いではなさそうだ。何を話しているか聞いてこよう」


 そう言うが早いか、御領はカップルへと向かって走る。


「ちょっと待って!」


 慌てて追いかけるが、御領は、あっという間にカップルの前に立ちはだかる。


「マキの何を話していた」


 いきなり話しかける御領。前に先生の呪いを調べたときも、こんな風にしてたのだろうか。

 突然現れた大男に二人はたじろぐ。しかし、カップルの男の方は、彼女を守ろうと前に出る。


「ちょっとした噂話だよ」

「なんだ?」

「先生の件にしても、豊田さんの周りでばかり変なことが起きてるから、今回の事件だってそうじゃないのかって噂だよ」


 彼女の方も後ろから声を出す。


「そうよ、ユノが一番の被害者だわっ!」


 ユノのことを言われると辛い。


「豊田さんに原因があるかもって話だ。おかしなことが続けばそうなるに決まってるだろ。みんな彼女を怖がってる」


 あの大蛇が、私のせいだと思われてる?

 私が怖い?

 ショックで何も言い返せない。


 御領は無言で二人を見下ろす。

 そんなことしたら、余計に私が怖がられてしまう。

 私は御領の腕を引っ張って、カップルから引き剥がす。


「ちょっと、もういいよ」

「しかし……」


 御領は困り顔でついてくる。


「もう放っておいて!」


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 私は御領を置いたまま、走ってその場を去った。


 部屋に戻ると、ベッドに潜って音楽を聞く。もう何も考えたくなかった。


***


 その日の夕方、スマホに着信。ユノのお兄さんからだ。


「ユノ、退院したんですか?」

『まだだ』

「具合悪いんですか?」

『いや、かなり良くなった。少しふらつくみたいじゃけど』


 良かった。私は胸を撫でおろす。


「じゃあ、今からお見舞いに行っても良いですか?」

『ごめん、今はちょっと』

「どうして?」


 お兄さんが答えるまで、少し間があった。


『以前、ユノから聞いたんよ。ユノが転ぶのは、近くにマキちゃんがいる時だけじゃって』


 あ。ホケカンに行った時に、ユノが言いかけたのは、これだったんだ。


『今回も、マキちゃんといる時にユノは襲われたじゃろ』


 変なこと言わないで。嫌だ嫌だ嫌だ。

 私の気持ちとは関係なく、お兄さんは一方的に話す。


『大学でも、マキちゃんが悪いんじゃないかって噂になっとるらしいけえ』


 何で?

 お兄さんまで、そんな噂を信じるの?


『マキちゃんと一緒にいると、ユノが危ない』


 妹を心配するお兄さんの気持ちは分かる。でも、どうして私と一緒だと危ないだなんて結論につながるのよ。


『ユノも、今は会いたくないって言っとった』

「そんな、嘘よ!」


 ユノがそんなこと言うはずがない!

 私は電話を切った。


 嘘よ!嘘よ!嘘よ!


 私は部屋を出て、病院に向かう。

 面会時間ギリギリ、今からじゃ間に合わない。でも、ユノと直接話がしたい。

 私は誰もいない道を走る。

 大蛇騒動のせいで、日が落ちてから出歩く人はいない。


「豊田麻姫さん」


 私の名を呼ぶ優しい声。振り向くと、鬼の姿の権現が立っていた。


「急いでいるのかい?」

「ええ、病院まで」

「一緒に行こう」


 そう言って、彼は私の腕をぐっと掴み、引っ張って走っていく。

 私一人で走るよりも何倍も速く進む。それでいて、走る負担を感じない。まるで風にのったような感覚。


 私の腕を掴む、鬼の手を見つめる。

 大きな手。

 この手の感覚……なんとなく覚えがある。子供の頃、こんな手に引かれて歩いた感覚と同じ。

 私はあの時、こうやって鬼に手を引かれて、山の中を歩いたんだ。

 権現に? それとも別の鬼に?


 それ以上思い出そうとすると、頭にモヤが掛かったようになる。

 モヤ……呪い?

 神隠しの記憶があやふやなのは、御領が私に呪いをかけたのだろうか。


 もしかして、ユノが会いたくないって言ったのも、呪いのせいだったりする?

 分からない。ユノと直接話がしたい。


 私は、漠然とした不安を感じて、権現の大きな手をぎゅっと掴んだ。

 瞬間、心の底がざわつく。理由も分からないまま、走っていく。



 間もなく病院に到着した。


「こんなこともできるんですね」

「ああ、キミを番にするためなら何でもするよ」


 その真っ直ぐな瞳と言葉に、ドキッとする。

 権現にお礼を言って、病院に入る。彼は姿を消したまま、私の後ろをついてくる。


「お兄さんだ」


 ちょうど病室から、お兄さんが出てきた。面会時間が終わるので、帰るみたい。

 私はトイレの影に隠れてやり過ごす。


 今なら、お兄さんに邪魔されずにユノと話ができる。

 私たちは音を立てないようにして、病室へと入った。


 ベッドの上でユノは眠っていた。

 穏やかな寝顔。

 それを見た権現が、私にささやく。

 

「弱くて見えにくいけど、あれは呪いです」


 権現の指差す先を見る。

 窓の外から入ってくる光に照らされて、ユノのゆるふわな髪の奥の方が、薄く黒みがかっていた。


 ユノにも呪いが掛けられている?

 いつから?

 いや。私は前から、この呪いが見えていた。ただ、今までこれが呪いだと気付かなかっただけ。


 権現が、ユノを観察するように覗き込む。


「思いを歪ませる呪い……」

「それって、先生が私を贔屓した時の呪いと同じ?」

「そうだね」


 権現はすぐに断言した。


 つまり、ユノがいつも私の側にいてくれたのは、私を特別扱いする呪いが掛かっていたということ。

 つまり、ユノが私を親友として接してくれたのも呪いのせい。

 つまり、つまり、つまり。


「あの呪い、僕が祓おうか?」


 権現が指を動かす。


「いいえ」


 私は、胸ポケットからハンカチを取り出す。そこには、御領の髪の毛を挟んでいた。


「権現さん。この呪いって、前みたいに一つ消すと、強化される呪い?」

「いや、そんな高度な呪いじゃない」

「良かった」

「どうするんだい?」


 私は、ユノの頭の黒みがかった場所に、髪の毛を突き立てた。

 黒みはモヤのように消えていく。


 本当に呪いだった。

 鬼は嘘を吐かないから、権現の言うことを信じてなかったわけじゃない。

 多分、信じたくなかったんだと思う。だから、私自身の手で呪いを消した。


「ん……?」


 ユノが目を覚ました。


「お兄ちゃん?」

「ユノ。私よ、豊田麻姫!」


 ユノは寝惚けたように目を擦る。


「……? 豊田さん?」


 豊田さん……ユノにそう呼ばれたのはいつぶりだろう。

 下の名前で呼び合っていたから、もう何年も名字を呼ばれていない。


「ええ、お見舞いに来てくれて、ありがとう」

「体の調子はどう?」

「まあまあです」


 よそよそしい態度のユノに、私は絶望する。

 ユノは、呪いのせいで、今まで私を親友だと思い込まされていただけだったんだ。

 親の転勤で私が福山を離れている間、頻繁に連絡してくれたのもそうだったの?

 同じ大学へ行こうと誘ってくれたのもそうだったの?

 どこまでが本当のユノの気持ちだったのか、分からない。

 ユノとの友情だと思っていたものが、私を贔屓する呪いだったなんて。


 私の中で、何かが崩れ落ちた。


「民俗学のレポート提出しておいたから」

「え……レポート? あ、ありがとうございます」

「お大事に」


 その言葉を残して、私たちは病室を後にする。


「さあ、行こうか」


 権現が手を差し伸べる。

 私はその手を掴む。


「どこへ?」 

「静かな所。誰にも邪魔されずに、考えられる所」


 私が今一番望んでいることだ。権現は、御領と違って人の気持ちが分かる鬼らしい。


「うん、お願い」


 再び権現の手に引かれて、私は風に乗る。町の明かりがすごい速さで後ろに流れていく。


 着いたのは、街灯に照らされた鳥居の前。


「ここは……豊姫神社?」

「そうです。よくわかったね」

「懐かしい。小さい頃よく遊んだわ」


 豊姫神社は、山の北面に建立された古い神社。夜には人気もなく、わずかな明かりだけで、とても落ち着いた雰囲気になっている。


「ここなら、誰にも邪魔されない」

「ありがとう」


 鳥居をくぐると、すぐ左手に池がある。その側のベンチに二人で腰掛ける。


「キミの話を聞くよ」

「ううん」


 私は頭を振った。


「もう疲れちゃった」

「キミは何も悪くないのにね」


 権現にそう言われて、自然と涙がこぼれた。


「私、全部失くしちゃった……」

「大丈夫。僕がいるよ」


 恐ろしい鬼の姿だが、権現は声も心も優しさに溢れている。

 私が泣き続けている間、何度も「大丈夫だよ」と励ましてくれた。


「ありがと……落ち着いてきた……」


 私がそう言うと、彼はゆっくりと私を抱きしめる。そしていつものように囁く。


「話したいことはない? 聞いてあげるよ」

「うん、今はいい」


 すると彼は立ち上がる。


「じゃあ、僕がお話をしてあげる。場所を変えよう」


 彼の後ろについて、神社の奥へと進んでいく。

 豊姫神社の本殿までは、急な階段を百段以上登らないといけない。階段の下には、本殿まで登れない人たちのために賽銭箱が備え付けられている。

 私たちは階段を上っていく。その階段の途中で腰掛ける。ここからだと、夜の町がよく見える。

 家の明かりが星々のように地上で煌めいていた。


「昔話と未来の話をしよう」


 私は、権現の話を静かに聞く。


「この神社から(うしとら)の方角、北東の山の上に八丈岩があります。その山に、一人の鬼が住んでいました」


 前に彼から紹介してもらったゴンとハチの物語だ。ユノと紙芝居を作って……楽しかったな。


「ユノ……」


 私はまた泣きそうになる。

 でも、権現は話を続けているので、少し我慢する。


「川を挟んだ反対側にある権現山にも鬼がいました。二つの山は、ほとんど同じ高さでした」


 権現山の鬼……彼は自分のことを話しているんだ。ということは、鬼の伝説は本当にあったこと?


「ある時、偉い人が、高い方の山に国分寺を建てると言いました。寺のある山は霊力が高まるため、力の弱かった八丈岩の鬼は、自分の山の方が高いと言いだしました」


 そして、鬼同士は喧嘩になる。


「非力な八丈岩の鬼は、権現山を目掛けて栗しか投げられませんでした。権現山の鬼は、力一杯に岩を投げ返しました」


 私たちが調べた伝説と流れは同じ。けれども、彼が喋ると臨場感がある。

 私はどんどんと話に引き込まれた。


「飛んできた大きな岩が積み上がり、八丈岩の山は高くなりました。その山の名は、御領山。国分寺は御領山に建てられることになったのです」


 御領……。そうか、八丈岩の鬼って、御領のことだったんだ。

 国分寺は堂々公園へ登る途中にある。公園をさらに上れば八丈岩だ。


「国分寺が建てられ、八丈岩の鬼は力が増していきました。このあたりの妖怪は、彼に付き従うようになりました」


 ゴンとハチのお話と違う。お話では、二人の鬼は仲良くなったけど……


「権現山の鬼に従っていた妖怪たちも、掌を返したように八丈岩の鬼の所へと下りました。権現山の鬼は一人になったのです」


 権現はここで話を区切り、私を見つめる。


「千と数百年が過ぎました。彼は運命の番に出会いました。彼女はとても困っていたので、権現山の鬼はとても気にかけていました」


 私のことだ。


「で、ここからは未来の話です」


 急に軽い口調になる。


「彼女と一緒になった鬼は、力を取り戻して、ずっと幸せに暮らしました……とさ」


 それが権現の望む未来。嘘でも何でもなく、そうありたいと願う彼の思い。


「ただし、キミが選べば……だけれども」


 鬼の番か……。

 私は大学での居場所も、一番の親友も失くしてしまった。

 求められるのであれば、鬼と一緒の道を選ぶというのもありかもしれない。

 悪くはない……一瞬、そう思った。


「鬼の番って、何がどうなるんですか?」

「番になる誓いを立てて、二人で妖怪の世界で暮らすんです」


 私の質問に、権現は軽く答える。

 だけど、結婚式を挙げて異世界に行きましょうって、結構ハードル高くない?


「妖怪の世界?」

「ああ。こちらの世界と隣り合わせの目に見えない世界です。大丈夫。僕みたいにこちらの世界と行き来もできます」


 そうか。御領や大蛇が消えたのは、妖怪の世界へと行ったからなんだ。


「地形はこちらの世界と全く同じ。だけど、時間の流れが違うので、あちらの一日が、こちらの世界では数日、数年、数百年となることがあります」


 だから、妖怪たちは長生きなんだ。何千年も生きているように見えるけれど、実際に生きている時間は私たちと変わらないのかもしれない。

 妙に納得した。


「キミはすでに一度、あちらへ行っている。だから、怖くないよ」


 私はハッとした。子どもの頃の神隠しのことだ。

 権現はそれを知っている。


「神隠しの時、私に何があったんですか?」

「……うん。あの時、キミは拐われて妖怪の世界に行きました。そして、連れ戻された」


 あの事件に御領が関係している。


「それは……」


 さらに聞こうとすると、権現は首を横に振った。

 これ以上は分からないということみたい。答えてくれそうにない。


「未来の話は嫌いかい?」

「いえ……」


 権現は話を戻そうとする。


「君だったら、妖怪の世界でも幸せに暮らせるはずさ」


 御領も権現も「鬼は嘘を吐かない」と言っていた。

 信じて良いんだとは思う。


 権現は、山の上の方にある神社の本殿を指差す。


「本殿で鬼の番の誓いを立てるんです。とりあえず行ってみませんか?」


 彼は立ち上がり、私に手を差し伸べる。


「大丈夫。今は誓いを立てなくてもいいよ。結論はまだ先で構わないから」


 私は安心して、その手を取って立ち上がる。

 彼の大きな手に引かれて、階段を上っていく。


 この手の感覚。

 ……思い出した。

 私は子どもの頃、こんな風に大きな手に引かれて、八丈岩まで戻ってきたんだ。

 権現の説明と私の記憶がつながった。

 私を連れ戻してくれたのは鬼。

 もしかしたら、この手が私を助けてくれたのかもしれない。そう思って、手をぎゅっと握り返す。


「権現さん。あなたが私をこの世界に連れ戻してくれたの?」


 権現は無言で私の手を引いていく。


「ここだよ」


 階段を登った先には小さな広場があり、その横に本殿が鎮座している。

 子どもの頃に何度も来た場所。でも、夜に来るのは初めてだ。


 暗く静かで、厳粛な雰囲気。普段なら怖いと思うんだろうけど、今は、本殿の佇まいが神聖なものだと分かる。

 別世界への入り口。それがここにあるんじゃないかと感じる。


「ここで誓えば、ずっと一緒にいられる」


 権現は、笑った。

 鬼の形相なのに、笑ったと分かる。


 私が鬼の番になる運命だから、笑顔だと分かったのだろうか。

 御領が笑ったところ、見たことあったかな?

 

 嫌われて生きるこの世界より、求められて住む妖怪の世界の方が幸せなのかも。


「悪くないかもしれない」

 

 不安は感じているけど、怖いとは思わない。


「キミなら大丈夫だよ。一人じゃないから」


 権現が、私の不安を取り除いてくれる。

 今までの私だったら、付き合ってもいないのに結婚だなんてと笑っていただろう。でも、運命なんだから仕方ないのかもしれない。


 私も、いろいろと考えようとするけれど、さっきまでの感情の疲れで、うまく頭が回らない。


「今、誓いを立てる?」


 優しく甘い声。

 受け入れても良いかなと思った。


 ユノが言ってた、ダブルデートの妄想が現実になるのかな。

 私と権現、ユノと御領……


 ダメだ。もうユノは親友じゃない。

 こんなことなら、ユノの呪いを解かなければ良かった。


「あれ……?」


 何かが心に引っ掛かった。

 本当に彼を信じても良いのか。


「権現さんは、先生の呪いを知らないですよね。どうして、すぐユノの呪いと『同じ』だって分かったの?」


 先生に呪いを掛けた犯人は、まだ分かっていない。

 御領は、その人に触らないと、どんな呪いか分からないと言っていた。

 権現が、御領よりも先に、先生に触れて呪いを調べていたということもあり得なくはない。

 ……待って。あの時、彼はユノを見ていただけ。触れていない。

 私の中で警鐘が鳴る。


「もしかして、思いを歪ませる呪いを掛けたのは……」


 私は権現を見つめる。


 でも、答えを聞くのが怖かった。

 だって、鬼は嘘を吐かないから。


「……勘がいいね。キミは鬼の番に相応しい」


 権現が冷たく鋭い視線で私を睨み返す。

 握った私の手を、さらに強く握る。


「やっ……」

「マキーっ!」


 荒々しい声が、山の下から響いてくる。

 御領だ。

 赤茶けた肌の鬼が、階段の下から本殿前の広場まで一気に飛び上がってきた。


「御領! どうして、ここへ?」


 権現が焦ったように叫ぶ。

 鬼同士、睨み合う。


 御領は、怒りの表情で叫び返す。


「マキを守るためだ」

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