6話 七ツ池の大蛇
土曜日、やっと休日。
とは言え、ゆっくりとはしていられない。
部分実習の準備のため、私は一人で大学の図書館へと来ていた。
端っこにある机を陣取り、紙芝居用の塗り絵を描いていく。
デザイン集を見ながら、鬼や村人、風景の絵を描き写していく。私は絵に自信はないけど、線だけだし、写すくらいならなんとかなる。
「……」
ユノと一緒に準備するはずだった。
でも、彼女はここに居ない。
下書きした鉛筆の線を太いマジックでなぞる。ちょっとバランスが崩れた気がする。
ユノなら、「これはこれで味がある」とかフォローしてくれるんだろうな……
私は彼女の笑顔を思い出し、ため息を吐く。
ブブブ
スマホにメッセージの着信。
作業を止めてスマホを見る。
『ごめーん! 今起きた!』
ユノのメッセージに、怒りの絵文字を添えて返信する。
『もうすぐお昼なんですけど!?』
『すぐ行くー』
さっきより深いため息がこぼれる。
一人で作業を続けることにする。
図書館にある大型のコピー機を使って、塗り絵を量産する。これで、子どもたちが描き損じても大丈夫なはず。
大型コピー機は、画用紙までコピーできるから、便利で助かる。
バサッバサバサッ
肘に当たって紙が落ちた。画用紙のコピーをまとめてやるべきではなかった。
図書館中の視線が集まる。
私は足元の画用紙をかき集めると、ペコペコと頭を下げながら席に戻る。
ユノが居てくれたら楽だったのに。
恨むぞぉユノ。
「マキ」
突然呼ばれて、振り返る。
そこには御領が立っていた。
「……イガグリくん」
私は声を抑える。
「最近、見かけなかったが、どうかしたのか」
御領は声の大きさなんて気にせず話しかけてくる。土曜日の大学で人が少ないとはいえ、図書館で出していい声じゃない。
「シー!」
立てた人差し指を唇に当て、御領に静かにするように注意する。
彼は、警戒するように辺りを見回す。
これは分かってない顔だな。後で図書館がどういうトコなのかを説明しなくちゃ。
「ここは……」
そこまで言いかけて、私は黙った。
室内光では分かりにくいが、よく見ると御領には影がない。姿を消しているんだ。
また私が一人で虚空に話しかける変な人になっちゃうじゃない。しかも図書館だから迷惑極まりない。
私は何も言わず、荷物を片付け始めた。
「どうした、マキ?」
御領は、訳が分からず少し慌てる。
うろたえているのが可愛い……いや、可哀想だが、図書館を出るまでは説明もできない。
私は大きな鞄に紙とペンをしまうと、御領に手招きして図書館を出る。
「どこへ行く?」
私を追い掛けて御領も出てくる。
近くのベンチに荷物を置いて、辺りに誰もいないことを確認してから、御領に説明する。
「図書館は、静かにしなきゃいけないトコなの」
「みな、静かだったのはそういうことか。あそこは聖域か?」
そんな大層なものではないけれど、本が好きな人にとっては聖域と言えるかもしれない。
「まあ、似たようなものね」
「次からは気を付ける」
御領は少しかしこまったような顔で図書館を見上げる。
「何の用事? また呪い?」
「いや……。最近、マキをここで見かけなかったから、どうしていたのかと気になってな」
「今週はずっと、こども園へ保育実習に行ってたからね」
「そうか、それなら良かった」
ん? ってことは。
「私のこと、心配してくれたんだ」
「ああ。もちろん」
御領は、ちょっとだけ視線を下にずらす。恥ずかしがる少年のように。
「どうして私を心配してくれるの?」
「そうだな。ひとつは……この服をくれた恩がある」
デニムの服をポンポンと叩く。
「えー、それなの!?」
「もちろん、それだけじゃない」
非難する私を見て、御領は慌てて付け加える。
「マキは霊力が高いから、妖怪に狙われやすいんだ」
「霊力……?」
「俺や呪いが見えるようになったろ。霊力が高まっているんだ」
「なんで? 私、修行とかしたわけでもないのに」
御領は、少し考える。
「そうなる運命だったんだ」
「才能ってこと?」
「まあ、似たようなものか」
真似されてしまった。
御領の仏頂面が、どことなくドヤ顔に見える。
私は小声で呟く。
「イガグリくんのくせに」
「何か言ったか?」
「いいえ、なんにも!」
そう言って私は笑った。
私は鞄から袋を取り出す。
ユノと三時のおやつにしようと買ってきた茶山饅頭。
遅れたバツとして、ユノの分を御領にあげることにした。
「それは前に食べた饅頭か?」
「そうよ。ほら、触れないと食べられないでしょ」
御領に影が差して、立体感と存在感が出る。
彼の影が、私の膝の上に落ちる。
何となくその影にそっと手を置く。
「ねぇ。前に、私が狙われてるって言ってたでしょ」
「ああ」
「どうして私を呪ってこないのかしら?」
呪われているのはユノだったり、先生たちだったり。
結果、私も巻き込まれているけど、直接呪われてはいないはず。
「それは分からない」
「ねえ、私を狙ってるのは誰なの?」
御領は袋からお饅頭を取り出すと、口の中に放り込んだ。
もぐもぐと口を動かした後。
「それは……言えない」
「言えない?」
「ああ」
鬼は嘘を吐かないと言っていたけど、黙秘権はあるのか。仕方ない。
「じゃあ……」
心に引っ掛かっていた質問を、御領にぶつけることにした。
「私が子どもの頃に、行方不明になったことは知ってる?」
「はっ……覚えているのか?」
「知ってるのね」
権現の話が本当だったと分かった。
じゃあ、不幸にしたっていうのも……
「わた……」
「御領さん!」
私の発言を遮って、ユノが叫びながら走ってきた。
「遅ーい」
「マキ、ごめーん!」
私よりも先に御領の名前を呼ぶなんて、本当に謝る気があるのかしら。
「御領さん、今日はどうしたんですか?」
「マキが……」
あ。私のことを心配してたって言っちゃう!
私は割り込むようにして、ユノを優しく睨む。
「そ、れ、よ、り、も! まず、遅刻について説明と謝罪を要求するわ」
「実習で疲れたのよ。全然、起きれなくて。ごめんねー」
簡単に説明と謝罪を終えると、彼女は御領に向き直る。
「そうそう聞いてください、御領さん。保育実習って、ぶち大変なんですよー。朝から夕方まで一日中……」
ユノの長めのトークが始まった。
これで、ごまかせたはず。
御領はその話を聞き流しながら、お饅頭をもう一つ手にして口に運ぶ。
「御領さんって、お饅頭が好きなんですか?」
「ああ、この饅頭は好きだ」
「じゃあ、今度買ってきます」
ユノは即答する。
「ねえ、マキ。フジグランで売ってるかな」
「どうだろ。私は総本舗で買ってるからなー」
ユノはスマホを取り出した。
「調べるの?」
「ううん、お兄ちゃんに買っておいてもらう」
ユノのお兄さんも大変だ。
「さあ、ユノ。午後からは頑張ってもらうからね」
私が脅すと、ユノは御領を見る。
「御領さんも、絵を描くの手伝ってくださいよ」
「お、俺は絵なんか描けない」
いきなり仕事を振られて、御領は慌てる。ちょっと挙動不審になってるのが可笑しい。
「じゃあ、見てるだけでも良いですから」
御領は、ユノに引きずられるように、図書館へと連れていかれた。
少しだけ、あの強引さと積極性が羨ましいと思った。
***
今日は「部分実習」の日。
学生に遊びや読み聞かせといった保育の一部分を任せられる、実習の山場だ。
私とユノは、この日のために塗り絵の紙芝居を準備した。
うまく行くかドキドキしながら、実習を進めていく。
子どもたちは塗り絵を楽しんでくれた。クレヨンが線からはみ出したり、絵を塗りつぶしたり。思い思いに鬼の絵を塗っていく。
そして最後に、みんなが描いた塗り絵を元に、紙芝居を披露する。
赤や黄色やピンクの、毎ページ色が違う鬼。子どもたちは大笑いしながら紙芝居を聞いてくれた。
ユノの伴奏による歌も面白かったみたいで、子どもたちが「せんせー、もう一回歌って」とせがんでくる。
「では、紙芝居の時間はおしまいです。みなさん帰りの準備をしましょう」
終わりがグダグダになりそうだった所を、先生がフォローして締めてくれた。
クレヨンや画用紙を片付けて、鞄や連絡帳を並べていく。
「うまく行ったね」
「うん」
ユノに声を掛けると、とびきりの笑顔で返してくれた。
「なにあれー!?」
一人の男の子が廊下側の窓の外を指差す。
他の子達も窓際に集まっていく。
「うわ、大っきい!」
「怖い」
「見えないよ」
騒ぎ出す子どもたちを先生が注意する。
「はいはい、みなさん。自分の席に戻ってください」
その時、教室の前の扉がすぅっと開いた。
全員の視線がそこに集まる。
ぬるりと一匹の蛇が入ってきた。
それは、子どもの体くらいの太さのある大蛇だった。
赤い舌をチロチロと出し、ゆっくりと鎌首を持ち上げる。
「ぎゃー!!」
子どもたちがパニックになる。
先生は腰を抜かしながらも、みんなに逃げるよう叫ぶ。
私は、隣に立つユノの肩を揺さぶる。
「ひ、避難誘導っ!」
最初の日にもらった説明の紙。火事や地震の避難誘導の中に、不審者が侵入してきた時のものがあった。不審者じゃなくて大蛇だけど、きっとやることは同じはず。
でも、頭が真っ白になって、何も思い出せない。
ユノのほうを見る。
「ヘビ……へ……ビ……」
ユノは膝をガクガクさせながら、へたり込む。
「ゆ、ユノ!」
そして、そのまま気を失って倒れた。
「嘘でしょ!?」
先生とほとんどの子どもたちは、後ろの扉から外に出ていた。先生の「男の先生呼んできて!」という絶叫が聞こえてくる。
教室に残ってしまったのは、逃げ遅れた私たちと六人の子どもたち。そして大蛇。
大蛇は、私たちを逃さないように扉の前に回り込む。
子どもたちはパニックになりながら、廊下の反対の方に逃げていく。こちら側にも扉があり、園舎の外側に繋がっているのだが、普段は鍵が掛かっていて、勝手に子どもたちが出てしまわないようになっている。
「どうしよ、どうしよ」
私は、倒れたユノから離れることもできず、子どもたちと大蛇とを交互に見る。
泣き叫んで動けなくなった子もいる。
助けてあげなきゃ。心はそう訴えるのに、何をしたら良いかを判断できない。
ヘビがニヤリと笑った、ような気がした。
ヤバい。
私は無我夢中で子どもたちの元へ駆け出す。
その時だった。
突然、バキンと音がして外側の扉が開いた。私の足元に、ひしゃげた鍵が転がってくる。
「みんな逃げて!」
私は叫んだ。子どもたちは、今開いた扉に走っていく。
大蛇は一瞬怯んだが、再び子どもたち目掛けて進み始める。
その扉から、子どもたちと入れ違うようにして御領が教室に入ってきた。鍵を壊したのは彼に違いない。
ただ、彼の姿は恐ろしい鬼だった。怒りの形相を浮かべている。
「イガグリくん!」
子どもたちは、彼の体をすり抜けて走って行く。
御領には影がない。今の彼は、私以外の人には見えない。触れない。
「大丈夫か、マキ?」
御領は私に駆け寄る。
「蛇を止めて!」
大蛇は御領を無視して、逃げ遅れた一人の男の子に巻きついた。
「うわーん、おかぁさーん」
男の子は恐怖で泣き叫ぶ。
しかし、御領は蛇ではなく、私を気にしている。
「そんなことより、マキ。外に逃げるぞ」
そんなこと?
子どもが危険にさらされているのに、そんなことですって?
実習とは言え、私とユノは、今、子どもたちの先生なの。子どもたちを守らなきゃいけないの!
「なに言ってるの! あの子を助けて!」
「マキが無事ならそれで良い」
「良い訳ないでしょ! 早くっ」
御領は、私の体に傷がないことをもう一度確認すると、大蛇の方を振り向く。
大蛇は男の子を巻き込んだまま、こちらを睨む。
「御領山の鬼か……」
大蛇はしゃがれた声で話した。
姿を消した御領が見える、人間の言葉を喋る。と言うことは、この蛇も妖怪?
スネコスリから一気にランクアップしすぎでしょ。こういう敵って、段階を踏んで大きくなるものじゃないの?
御領は大蛇を睨みつける。
「お前は、七ツ池の大蛇だな」
「いかにも」
「府中の池の底で静かにしていたのに、今更なぜ出てきた?」
御領は、大蛇と静かに話なんかをしている。
男の子は、それどころじゃないのに。
「イガグリくん、早く!」
私は絶叫する。
それでも御領は落ち着いている。
「ということだ。その子を離してもらおうか。離せば攻撃はしない」
「久しぶりの人間だ。ゆっくり味わいたい」
大蛇は男の子に頬を近づける。男の子の泣き声が掠れる。
「ダメだ」
「なぜ、鬼が人間の言うことを聞く?」
御領は、その質問に答えず、代わりに大蛇の喉元に拳の一撃を食らわせる。
大蛇は一度仰け反るが、すぐに体勢を戻し、平気な顔をして舌をチロチロと出している。
「問答無用ということか」
大蛇が言い終わらないうちに、御領は大蛇の首を掴みに行く。大蛇はそれを避けると、腕に噛み付こうと口を開いた。
「危なっ」
私は思わず叫んだ。
御領は素早く腕を引くと、その勢いで回転するように足を繰り出す。
高速の蹴りが大蛇の横っ面に当たる。大蛇が床に這いつくばると、御領がその頭を目掛けて、足で踏みつけようとする。
大蛇はその太い尾で反対の足を払って御領のバランスを崩す。
「御領山の鬼を相手に、荷物を抱えたままでは勝てんか」
大蛇は男の子を解放すると、大きくとぐろを巻いて、臨戦態勢に入った。
御領は何も言わない。大蛇に飛びかかっていく。
私はユノから離れ、戦いに夢中な大蛇の後ろへ、そっと回りこむ。倒れていた男の子を抱きかかえて走り出す。
「もう大丈夫だから」
声をかけても男の子はぐったりとして、短い息を繰り返している。怖すぎたのだ。
私は男の子を抱き上げると、外の扉へ連れて行く。
そこには、さすまたを持った男の先生が待っていた。彼に男の子を預ける。
「お願いします」
そして、ユノの所へ戻ろうとすると、男の先生が止める。
「待て! ヘビが暴れてるんだ。何をするか分からんぞ」
そうか、御領は姿を消しているから、他の人には大蛇が一匹で暴れているように見えるんだ。
「大丈夫です!」
忠告を無視して、ユノの元に戻る。
私は怖くなかった。
だって、彼が戦ってくれているから。
***
俺は鬼の力を高める。
だが、力で抑え込もうとしても、七ツ池の大蛇は体を捻ってすり抜ける。
そして机や椅子の下を通って、俺の背後に回って攻撃を仕掛けてくる。
マキが戻ってきた。
さっき、子どもを抱いて外に向かったはずだ。
「なぜ、戻ってきた!?」
「ユノがっ」
マキは短く答えると、倒れているユノの背中に腕を回して抱える。
人間の女の体なんてそう重くはないが、非力なマキの腕力では、ユノを引きずっていくのがやっとだ。
「その女も、うまそうだ」
大蛇は尻尾に椅子を引っ掛けて、マキが進む方向に投げる。
「わっ」
マキが驚きの声を上げる。当たってはいない。逃げ道を塞ぐために牽制したのだ。
大蛇は初めから実体を現しているから、周りの物に触れる。また椅子で攻撃されたとしても、俺が姿を消したままでは、マキを守れない。
いざとなったら、鬼の姿を晒すしかない。
「マキを傷つけることは許さん」
何よりも、一番大切なマキを守れなくては、何の意味もない。
俺は覚悟を決めた。
大蛇を睨みつける。
「そんなにその女が大切か?」
大蛇はそう言って不敵な笑みを湛えながら、ゆらゆらと距離を詰める。
俺の間合いに入らないよう慎重に動き、マキが俺の後ろに来るように位置取る。
「まさか、鬼の番か?」
俺は答えない。
だが、俺の呼吸は速くなる。心臓の鼓動が倍になる。
大蛇は何かを察したように頷くと、大きく距離を取る。
「そうか、そういうことか」
「何のことだ?」
物知り顔で勝手に納得する大蛇に、俺は苛つく。
それすら見越したように、ニヤける。
「ワシは、ヤツと取引をしたのだ」
ヤツ……きっと、あいつのことだ。
「ここを襲えば、ワシに御領山をくれると約束した」
「なっ……」
御領山は俺の山だ。
それをなぜ……あいつは何を考えているんだ?
怒りが込み上げてきた。
あいつの目的の分からない行動に、マキを巻き込みやがって。
そんな奴の口車に乗った大蛇にも腹が立つ。
「うおぉぉぉぉぉ!」
俺は吠えた。
ビリビリと空気が震える。
「イガグリくん?」
驚いたマキが、俺の方を見てへたり込む。
「急げ! 急げ!」
明らかな異変を感じて、外にいる男がマキを急かす。
「ほう。鬼の本領とは、そんなものか」
大蛇が尊大な態度のまま、目を見開いて大きな息を吸う。独特の音を立てて、その体の太さは倍に、長さは四倍となる。
七ツ池の大蛇、本来の大きさ。
教室の天井に大蛇の頭が触れ、鬼の俺を見下ろす。
「終わりだ」
牙から毒液を滴らせる。毒は床に落ちて弾けると、黒いモヤとなって霧散する。あの毒は呪いを孕んでいる。触れただけで、体の自由はなくなるのだろう。
開かれた口は、俺を丸呑みするのに十分な大きさ。威嚇ではない。大蛇は殺気を纏っていた。
だが、俺の怒りの前では、全て些細なこと。
「こい」
大蛇はミチミチと鱗の軋む音を立て、一直線に襲いかかってくる。
俺が避ければ、後ろのマキを襲うという魂胆が丸見え。
でも、俺は避けない。マキを守る。
大蛇の口で、俺の視界が塞がれる。
俺に向かって振り下ろされる牙。
その牙を掴む。
万力の力を込めて、へし折る。
「ぐっ」
目前の喉の奥から、くぐもった苦痛の声。
俺は顎の上下に腕を添え、力一杯に引き裂いていく。
「「がぁ!」」
俺の雄叫びと、大蛇の悲鳴が同調する。
大蛇が身を引いた一瞬。
俺は飛び上がり、頭の上から拳を振り下ろす。
グシャ、メキメキ……
大蛇の霊力が、黒い煙となって口から鼻から溢れ出る。
「……ねぇ、終わったの?」
霊力のぶつかり合いに腰を抜かしていたマキが、やっと声を絞り出す。
「ああ」
俺の拳の下には、口の裂けた小さな蛇が一匹。
蛇は小さく呟く。
「鬼の力だけではないな……」
当然だ。マキを守るための力だ。
蛇は尾の方から消えていく。そして、一言を残して消えた。
「ヤツは……お前に敗北してからずっと、孤独だった」
「知ってるさ」
もう蛇には聞こえないが、俺はそう答えた。
振り返って、マキに駆け寄る。
「殺したの?」
「いや、霊力を失って弱っただけだ。府中の奥に帰ったんだろう。数百年は出てこれない」
「良かった」
マキは胸を撫でおろし、足元のユノを抱える。
「マキは大丈夫か?」
「私は大丈夫……だけど、子どもたちを先に助けなきゃダメでしょ!」
マキは突然、怒り始めた。
「マキに怪我がなかったら、それで良いじゃないか」
「信じられない! 子どもたちは、いっぱい怖い目にあったのに!」
マキの瞳は、怒りと悲しみで涙が溢れていた。
どうしてだ?
俺はマキを守ったのに。
***
私は、ユノと数人の子どもたちと一緒に救急搬送された。
病院で検査を受けたけれど、私には何一つ怪我はなかった。
……御領が守ってくれたからだ。
でも、私はそれを否定した。
『マキが無事ならそれで良い』
『良い訳ないでしょ!』
あの場では、子どもたちを最優先で守らなきゃいけない。
そうすべきなのに、御領は私を優先しようとした。
だから、私は怒った。
御領がこども園から消え去る前、最後に見せた顔は、とても寂しそうだった。
私は病院の待合室で、一時間ほど休んでいる。
もう帰っても大丈夫らしいけど、心が落ち着くまで、ここで座らせてもらっている。
看護師さんに聞いたら、ユノは入院になると教えてくれた。
精神的なショックがあまりにも大きすぎて、意識が混濁しているらしい。
大蛇でこうなるのなら、もし、ユノが御領の鬼の姿を見ていたら、もっと大きなショックを受けていたかもしれない。
「あ、マキちゃん! ユノは?」
病院に駆け込んできたのは、ユノのお兄さんだ。
私は、簡単に状況を説明する。
お兄さんはずっと心配そうな顔をしていた。
看護師さんにユノの家族が呼ばれて、お兄さんが診察室へと入っていく。
ユノの病室は二階だから、面会じゃなさそうだ。お医者さんから説明を受けるんだろう。
診察時間も終わって、待合室には私だけ。一人になってしまった。
もうすぐ日が暮れる。
何となく心許ない。
家に帰っても誰もいない。
もちろんユノとは話せない。
御領とは、顔を合わせづらい。まだ心がざわついている。
「やっぱり、イガグリくんが間違ってるよ」
子どもたちを「そんなこと」って、言ってしまう御領が許せなかった。
でも、私を何よりも一番に守ろうしてくれたってこと。
……正直言うと、嬉しかった。
御領の顔が思い浮かぶ。
「きつく言い過ぎたかな……」
私がそう後悔した時。
「やあ、豊田麻姫さん」
この優しい声……。
私が見上げると、権現が立っていた。
偶然?
そんなはずはない。だって、彼がここにいるのは不自然過ぎる。
「ここ、いいですか?」
「ど、どうぞ」
彼は、私の隣に座る。
無言の時間。
でも、今は隣に誰かいるだけで、不安が少し紛れる。
静寂に耐えられず、私は聞いた。
「どうして病院に?」
「キミのためだよ。怖がってると思って」
権現は、事件のことを知っている。
なんで知ってるの? まだニュースにもなっていないはず。
「もう、怖がらなくても大丈夫」
権現はそう続ける。
でも、私はもう大蛇なんか怖くない。御領が倒してくれたから。
「私が怖がってる?」
「ああ、一人になってしまったのが怖いだろう」
ドキリとした。私が感じている孤独を見透かすかのようなセリフ。
何も言えなくなる。
権現は、素敵な声で囁く。
「大丈夫だよ、僕がいる」
その言葉に、私の心が揺らめく。
権現は、不思議な色の瞳で、私の顔を見つめ、言葉を畳み掛ける。
「御領は他人を不幸にした」
あの言葉がもう一度。
私がずっと引っ掛かっていた言葉。
ユノも、子どもたちも、今回は御領のせいで不幸になったのかもしれない。
私が権現の忠告を無視して、御領と一緒にいたから、みんなを巻き込んでしまったのかもしれない。
「僕は御領とは違うよ」
白い歯を見せ、爽やかな笑顔を見せる。
「でも、権現さん。あなたも……」
私は言うべきか一瞬迷った。
だけど。
「鬼ですよね」
「そうだよ。……僕は権現山の鬼」




