表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼に守られる理由を、私は知らない〜福山鬼記〜  作者: M


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/9

4話 贔屓の呪い

 翌朝一番の講義。

 ユノはこの講義を取っていないので、まだ家にいるはずだ。


 講義終わりに、中条先生の所へ質問に行く。

 他の学生の視線が気になる。「おべっかを言いに行くんだ」みたいな、嫉妬を超えて恨みのような視線。

 しかし、みんなの視線は、私の後ろに移動する。体の大きな見慣れない学生がついているのだ。


「先生、少し質問いいですか?」

「いいですよぉ、豊田さんならいくらでも」


 気持ちの悪い猫なで声。

 が、御領を見て、先生は少し固まった。


「あ、あなたは?」

「俺は……」

「あ、あの、彼はスポーツ科学科の人で、この講義に興味があって、聴講しているんです」


 私は、御領に発言させないように遮る。

 嘘を吐けないんだから、彼の代わりに私が喋らないと。


「まあ、そうですか。ほどほどに」


 やっぱり、私が話せば先生も強くは言えないみたいだ。


「この三歳児の発達についてなんですが……」


 適当な質問だが、先生の足止めには丁度いい。

 他の学生が教室を出ていった。今だ。


「あれ? 先生、頭にほこりが」


 私の言葉を合図に、御領が先生の頭に手を乗せる。


「うぉほっ!」


 驚いた先生は、こちらが驚くほどの大きな声をあげる。

 私が御領をチラリと見ると、彼は大きく頷いた。


「質問に答えていただいて、ありがとうございました!」


 私たちはそそくさと、教室を出る。


「質問……私、答えたかしら?」


 中条先生は首を捻りながら、自分の部屋へと戻っていった。



 校舎の裏手に回ると、私は待ちきれずに御領に聞く。


「イガグリくん、なんか分かった?」

「あれは、人の考えを捻じ曲げる呪いだ」


 やっぱり、呪いのせいで私を特別扱いしてたんだ。


「徳田先生と平野先生にも、黒いモヤがあるの」

「見てみないと分からないが」


 きっと同じ呪いに違いない。なんとなく、そう感じる。


「なんで今まで見えなかったのかな」

「強くない呪いは見えにくい」


 確かに、強制的に転ばせる呪いに比べたら、贔屓するだけなんて、弱い呪いに違いない。

 どうしてそれが、私に見えるようになったんだろう?

 今度は御領が聞いてくる。


「だが、呪いのおかげで目をかけてもらえるんだ。そんなことに何の問題がある?」

「そんなことが人間社会においては、効果抜群なんですけど!?」


 私は、理解してくれない御領と、余計な呪いをかけた奴に怒りを覚えた。


「とにかく! 呪いの元凶を倒しましょう」


 御領は首を横に振る。


「呪いが弱すぎて、誰の呪いかまでは分からない」

「えー!?」


 これ、無理なの?

 大学卒業するまで、友達なくす感じ?


「だから、呪いを断ち切れば良い」


 そう言うと、御領は自分の髪の毛を一本引き抜いて私に渡した。


「鬼の髪を呪いに刺す。弱い呪いなら、これで消える」

「これを、先生の頭のモヤに刺せばいいのね」

「ああ」


 ツンツンで太い髪の毛は、針のように硬かった。本当にイガグリのトゲみたいで、面白い。


「あとは、私がやってみるわ」



 お昼時。

 中条先生は、いつも学食でご飯を食べている。今日は尾道ラーメンにしたようだ。


 彼女の頭には、黒いモヤが朝よりもはっきりと見える。

 私は、トレイの下に髪の毛を隠して、こっそりとその席に近づく。

 気づかれないように細心の注意を払いながら、席の後ろに立った。


「えい!」


 小さな掛け声とともに、黒いモヤに髪の毛を突き立てる。


  ぶわっ!

 

 一気に黒いモヤが広がる。

 なになに、何なの?

 これであってる?


 モヤはより濃さを増し、中条先生の頭を覆うようになっている。


「あら、豊田さん。ここで食べるの? 一緒に食べましょうか」


 中条先生に気付かれてしまった。

 しかも、今までで一番甘く高い声。


 なんか、失敗したっぽい!


「あ、あの、その、私、食べ終わりましたので!」


 私は、しどろもどろに言い訳して、出口へと急いだ。


 立木の下に、のっぺりとした御領が立っていた。


「ダメだったじゃん!」


 開口一番、私は叫ぶ。

 御領は「すまない」と謝った。


「私、何か間違えた?」

「いや」

「じゃあ、なんで?」


 昼食を早めに終えた学生たちが、一人で喚く私を不思議そうに見ている。


「他の人の呪いも見てみないと」


 御領は、そう言い残し、居心地悪そうな顔をして消えた。


「なんなのよ、もう!」


 私は憤りながら、ユノと合流するためにチャットを打つ。



 午後の授業は、徳田先生の音楽だ。

 ユノと一緒に出席する。


 徳田先生の頭にも、モヤが覆っている。

 授業が終わり、先生が私を見る。嫌な予感しかしない。


「豊田さんには単位あげるから、次回から出席しなくてもいいわ」


 教室がざわめく。私を非難する視線。怒りの声。小さな悲鳴も聞こえる。


 絶対、悪化してる。

 私は呆然として、立てなかった。


「マキ、行こう」


 ユノが私を教室から引っ張り出す。手を引かれて、力なく歩く。


「大丈夫?」

「……大丈夫じゃないかも」


 なんとか学食に席を確保する。

 ユノは、くわいチップスの袋をパーティー開けする。昨日私が買ってきてプレゼントしたものだ。


「飲み物買ってくる。ちょっと待ってて」


 ユノは行ってしまった。テーブルの向かいの席が空になる。

 私はくわいチップスの袋に書かれた原材料を、何も考えずに読んでいた。


「豊田麻姫さん」


 突然、名前を呼ばれてハッとする。

 見上げると、ユノの座るべき席に、男の人が座っていた。

 座っていても、背の高い人だと分かる。

 線が細く見えるが、痩せ型ではない。細マッチョタイプ。組んだ指も、しなやかに長く、その向こうに優しげな面持ち。さらりと流れる黒髪。


「僕の名は権現です。あなたに忠告するために来ました」


 私が「誰?」と聞く前に、名乗られてしまった。

 イケメンは、戸惑う私の目を真っ直ぐに見つめる。


「な、なんでしょう?」


 どこの学科の人だろう。見た目年齢からして、同級生くらい?


「御領は鬼です」

「え……」


 私の身体中の毛が逆立つ。

 なんでこの人、御領のことを知ってるの?

 しかも、鬼であることまで。

 イケメンは話を続ける。


「あなたが子どもの頃、行方不明になった時に関わっていた鬼です」


 小学三年生の時、私は神隠しにあった。

 でも、その時のことは、ほとんど覚えていない。思い出せるのは、私の手を力強く引っ張る大きな手だけ。

 あれは……鬼の手だった?


 権現って人は、どうしてそんなことまで知っているの?

 私がそれを聞こうとしたが。


「御領は他人を不幸にしたんだ。本当に気を付けて。僕は忠告したからね」


 一方的にそう言い残すと、彼は席を立って、行ってしまった。

 立ち上がって、目で追いかけようとしたが見失ってしまった。


 私は、ヘナヘナと座り込んだ。

 怒涛すぎて脳の処理が追いつかない。


「お待たせ」


 ユノがほうじ茶を買ってきた。

 くわいチップスと温かいお茶の組み合わせは、ユノの大好物だ。


「さっきより、顔色悪くない?」

「ええ。もう訳分かんない」


 私はいっぱいいっぱいだ。

 ユノに勧められて、お茶に口をつける。お茶が喉を通ると、体も少し温まって、ホッとする。


「落ち着いた?」

「少しね」

「これ、食べなよ」

「ありがと」


 私もくわいチップスをつまむ。

 ユノは「くわいチップスを『くわチ』と略したら売れると思うんだよね」なんて他愛ない話をしている。


 私の気を紛らわそうとしてくれているのが分かる。

 そんなユノの心遣いと、お茶の温かさ、くわチのわずかな苦味が心に沁みる。

 感謝の気持ちで、涙が溢れそうになる。

 ユノみたいな親友がいてくれて良かった。お礼を言わなきゃ。


「ユ……」

「あ、御領さーん!」


 ユノの声のトーンが高くなった。

 席を立ち、学食の入口に現れた御領に大きく手を振る。


 私は心の中で盛大にズッコケた。机の上に突っ伏す。


「ほらほら、マキ。御領さんだよ」

「そうね……」


 私の目からこぼれ落ちたのは、哀愁の涙だった。


「御領さん。あの時は、ありがとうございました」

「ああ、ケガは?」

「もう大丈夫です。見ますか?」


 ユノは怪我の治った足を見せようと裾をまくるが、御領はそれを見ないように顔を逸らす。


「大丈夫なのは分かったから、しまってくれ」


 照れてる。

 意外に純情なんだ。ふーん。


 その時、権現と名乗ったイケメンのセリフを思い出した。


『御領は他人を不幸にしたんだ』


 ちょっと気になる。


「それよりも、先生の呪いについて、分かったことがある」


 御領がそう切り出したので、ユノは目が点になる。


「のろい?」

「そう。御領くんが、先生たちがおかしいことについて調べてくれてるの」

「な・ん・で、そんな話が進んでいるのかしら? 御領さんの連絡先も知らんのに?」


 ユノが私に詰める。目が怖い。


「昨日、ユノと別れた後に『偶然』、御領くんに会ってね。相談に乗ってもらったんだ」


 『偶然』以外は全て事実である。


「でも、呪いって……」

「ユノが転んでいたのも呪いのせいだったの」


 ユノには、呪いのことだけなら話しても大丈夫だろう。おまじないとか大好きな子だし。


「その呪いを御領くんが払ってくれたんだ」

「そうなんですか! ありがとうございます、御領さん!」


 ユノは信じてくれたみたい。目一杯の笑顔でお礼を言っている。

 そして、私に耳打ちする。


「なんで呪いのこと、言ってくれなかったのよ」

「信じてくれるとは思わなかったし、本当に呪いのせいとか分からなかったんだもの」

「マキが『それどころじゃなかった』って言ってたのは、そういうことか……」


 ユノは納得してくれたようだ。


「ところで、マキ。御領さんて、祈祷師か何か?」


 鬼……とは言えない。


「似たようなものね。あんまり、詮索しちゃだめよ」

「分かった」


 御領に直接聞いたら、正直に鬼だと答えてしまうだろう。

 後で、御領にも釘を刺しておかないと。


「で、先生の呪いって何?」


 ユノは、屈託のない笑顔で御領に聞く。私は席を立って、ユノの腕を掴む。


「場所変えよう」


 さすがに、人の多い学食で話すことじゃない。私はユノと御領を連れて、空き教室を探す。


「御領さん、今日の格好決まってて素敵よね。前は古臭い服だったけど……」


 本当にユノはよく見てるなぁ。

 昨日、御領と福山に行ったことは、まだ言えない。いいや、墓場まで持っていかなきゃいけない話かも。


 ちょうど誰もいない部屋があった。二人を押し込んで、扉を閉める。


「で!? 呪いって何?」


 ユノが興味津々な顔をする。

 どこまで説明して良いのか悩むけど、とりあえず御領には、最低限しか喋らせてはいけない。


「その辺は私から教えるわ」


 御領さんから聞きたいのに……というユノの視線は無視する。


「呪いってのは黒いモヤみたいなもので、転ばせたり、心を操ったりできるの」

「ああ」


 御領が頷く。


「黒いモヤ……って、マキは呪いが見えるん?」

「最近ね」

「すごいすごい!」

「先生たちが私を特別扱いしてたのは、その呪いのせいで、おかしな考え方になってたってこと」

「確かに異常だったもんね。呪いだっていうんなら分かるわ」


 ユノは、理解が早くて助かる。というか、この子は疑うということを知らないのかしら?


「今回は、中条先生の呪いを断ち切ろうとしたんだけど……失敗したから、御領くんに調べてもらってたの。何が分かったの? 分かったことだけ教えて」


 私は御領に説明だけするように振る。

 鬼のこととか、昨日のこととか、変なことは言わないで、お願いします!


「呪いが掛かっていたのは、中条、徳田、平野の三人。残りの二人の呪いも調べてきた」


 御領が先生を直に触りに行ったのだろう。

 先生たち、怖くなかったかしら?


「彼らに掛けられた呪いは、お互いに干渉するものだった」

「干渉?」


 御領の言葉を、私はオウム返しする。


「一つ一つは弱いが、消そうとすると残りが補って強くなる。三つで一つの呪いだ」


 厄介な呪いだ。どこの誰が、そんな呪いを先生に掛けたんだか。


「どうしたら良いの?」

「三つの呪いを同時に断ち切る」


 三人の先生は、講義も研究室もバラバラ。集まることなんてないし、一度に髪の毛を刺すなんてできるはずがない。


「そんなの無理じゃん」


 私は深いため息を吐く。


「どうやったら、呪いを消せるんですか?」


 ユノが御領に聞く。いつの間にか、御領のすぐ隣に座っていた。


「この髪を呪いに刺す」


 御領が、また自分の髪の毛を一本引き抜く。


「なんか、すごい。本当に陰陽師の世界みたい……」


 ユノは、御領の髪の毛をそっと手に取り、まじまじと見つめる。


「へー、これを先生の頭に」


 ユノはニコリとして御領を見る。


「じゃあ、私も協力する! 私たち三人が、それぞれの先生の後をつけて、せーので刺せば良いんでしょ」

「それで……良いの?」


 御領は「問題ない」と答える。


「でも、同時には無理でしょ」

「グループ通話を繋ぎっぱなしにして、声でタイミングを合わせるんよ」


 それなら何とかなるかも知れない。

 彼女のアイデアに感心する。


「だから、御領さん。連絡先交換しましょう」


 ユノは、これを機に御領の連絡先をゲットしようとしていたんだ。

 彼女の機転に舌を巻く。


「すまない、俺はそういうのを持っていないんだ」


 やっぱり。鬼だもんね。

 ユノは素っ頓狂な声を出す。


「今どき、学生がスマホ持ってないなんてことある??」


 御領は申し訳なさそうに小さくなる。


「すまん……」


 そんな御領が可愛い。

 多分、ユノも同じこと考えてるんだろうな。彼女の目が、私と同じ所を見ている。


「そうだ、教授会!」


 私は思い出した。


「中条先生と平野先生は教授だから、二時からの教授会に出てるはず。今なら二人とも同じ場所にいるわ」

「それだ。二人と一人に分かれたら良いんだ」


 ユノも膝を叩く。


「じゃあ、私と御領さんがペアで、徳田先生はマキが担当ね」

「なんで?」

「だって、私は呪いが見えんし、御領さんはスマホないでしょ。どちらもできるマキだけ一人で動けるのよ」


 な……これは、孔明の罠か。

 反論の余地がない。

 こうも完璧な論理で、ユノに御領とのペアを取られるとは。


 心配だ。

 御領が余計なことを喋らないように口止めしなきゃ。


「分かったわ、それで行きましょう」


 私は苦渋の決断をした。

 その心の裏には、ユノに抜け駆けして、御領とデートしたっていう負い目もあったのかもしれない。


「御領くん、ちょっと良い? ユノはここで待ってて」


 私は御領と扉の外に出る。


「ユノに、イガグリくんが鬼だってバレないようにして。あと妖怪のことも秘密。ユノが怖がるから」

「分かった、頑張る」

「頑張るじゃダメ、絶対によ」

「お、おう」

「昨日の買い物のことも、一切秘密!」

「それもか?」

「もちろんよ」

「それから……権現って人、知ってる?」


 その名を聞いた途端、御領の瞳孔が小さくなる。


「……ああ、知っている」


 言い淀んだ。これは間違いなく何かある。

 権現は、御領のことを知っている。


 権現って何者? 二人の関係は? 私の神隠しについて知ってる? 他人を不幸にしたってどういうこと?

 聞きたいことが山のように出てくる。何から聞いたら良いんだろう。


「あの……」


 その時、扉の向こうからユノの声がした。


「マーキー! 早くせんと、教授会終わっちゃうよー」

「そ、そうよね。急がなきゃ」


 私は、気持ちの整理がつかないまま、教室に戻る。


「ねえ、二人で何を話してたの?」

「ユノを怖がらせないでって、念押ししてた」

「ふーん」


 ユノは何か疑うような目をするが、私は嘘を吐いていない。


「さあ、行きましょう」


 ユノは、御領の腕を取って引っ張っていく。


「徳田先生見つけたら、連絡するね!」


 私が声をかけると、ユノは振り返らずに手を挙げて応えた。

 一抹の不安は残るけれど、もう御領とユノに任せるしかない。

 私は徳田先生の研究室へと急いだ。


***


 俺とユノは、会議室の前に着いて、教授会が終わるのを待っていた。

 スマホの向こうでは、マキは徳田先生を探しているようだ。ユノと話をしている。


『徳田先生、トイレみたい。今からトイレに行ってみる』

「もう少しで会議終わりそうだから、早くね」

『分かった』


 何度見ても電話というのは、便利な物だ。

 遠く離れていてもすぐそばにいるかのように話ができる。

 ユノは電話を繋いだままにして、こちらの声がマキに聞こえないようミュートにする。


「御領さんって、どこの学科なんですか?」

「いや、俺は学生じゃない」

「え? じゃあ先生?」

「違う」

「外部の人? なんで大学に?」


 電話の合間を縫って、ユノの質問攻めが続いており、少し辟易していた。

 マキに強く口止めされているから、言葉を選んで答えなければならない。それが面倒くさい。

 話を変える。


「髪の刺し方は分かっているな?」

「ええ、御領さんが右って言ったら、頭の右側を、左なら左側。前でも後ろでも、どんと来いです」


 ユノは胸を張って、髪の毛を刺す素振りをする。


「御領さんは、もしかして、マキを知ってたんですか?」


 また、ユノの質問。


「昔、少しな。向こうは覚えていないだろうが」

「えー、じゃあ……」


 その時、会議室の扉が開く。

 ユノは慌ててミュートを解除する。


「マキ! 出てきた」

『こっちも先生見つけた!』

「準備できたら教えて、『せーの』で合わせて『えい』で刺すよ」

『オッケー』


 中条先生が出てきた。呪いは彼女の右耳から後ろにかけてベッタリと纏わりついている。

 俺はユノに「右だ」と耳打ちする。ユノは右手に持った髪を握り直す。


 俺は平野先生を探す。会議室を覗き込む。

 いた。奥の方で、事務員と二人だけで話をしている。


 奥まで行くと、ユノが刺す瞬間が見えない。だが、会議室から出てくるのを待っていたら中条先生は行ってしまうだろう。


「お前の『せーの』の声に合わせる。いつでも大丈夫だ」


 俺はそう言って、ユノの背中を押す。

 ユノは頷くと、左手のスマホを握りしめて中条先生の後ろに回った。


 俺は会議室の中に入る。もうユノは見えない。マキはうまくやっているだろうか。


 平野先生に向かって歩いていく。


「何ですか、あなたは」


 平野先生がこちらを睨む。その頭頂部には呪いが渦巻いていた。

 俺みたいな強面の巨体がぬっと現れたら、警戒するのはごく自然だ。

 そんな俺に声をかけてきたマキが特別だった。……いや、マキにとっては当たり前だったのかもしれない。


「せーの」


 扉の外からユノの声。

 まだ、先生まで距離がある。このまま歩いていては間に合わない。走ってもだ。


 俺は息を吸い、力を込める。


 次の瞬間、俺は鬼に戻った。

 赤茶けた肌、山吹の瞳、大きな角。


「ひっ」


 先生の短い悲鳴。事務員の驚愕の目。

 彼女らが理解する前に姿を消す。


 事務員は恐怖の表情で固まっていた。

 一瞬だけ見えた、何か恐ろしいもの。

 見間違いと思うほど、ほんのわずかの間。


 俺は並んでいる机を一気に飛び越え、先生の頭の上を通過する。

 しまった、飛びすぎた。


 俺は空中で体を捻り、逆立ちする。


「えい!」


 ユノの声に合わせて、刹那の瞬間だけ姿を現し、そのまま先生の呪いに髪の毛を突き立てた。


 俺の頭ごと。


  ずん


 先生に頭突き。


 すぐに姿を消す。

 先生は頭を抱えてうずくまる。


 その頭から、霧が晴れるように呪いが消えていった。

 成功したようだ。


「だ、大丈夫ですか、平野先生!?」


 事務員が、突然しゃがみ込んだ先生を心配する。

 角は避けて当てたから、すぐに回復するだろう。

 外から、ユノの「先生の髪にほこりがついてましたー」という、とぼけた嘘が聞こえてきた。


「え、ええ……ちょっと衝撃が」

「何か……、恐ろしい何かを見たとかじゃないですか?」


 事務員は、自分が見たものが信じられず、先生に確認する。


「いえ、突然クラッときたので、よく覚えていないんです。きっと貧血でしょう。頭が痛い……」

「そ、そうですか、そうですよね。そうなんだ」


 俺の頭突きで、先生の記憶が一瞬飛んだようだ。事務員は自分に言い聞かせるように言葉を繰り返す。


「何か見たんですか?」

「いえ、私の気のせいです。気のせい。先生、ホケカンに行きましょう」


 先生が立ち上がり、事務員と一緒に会議室を出ていった。

 入れ替わるように、ユノがスマホを耳に当てて入ってきた。


「徳田先生の呪いが消えた? じゃあ、成功したん?」

『多分、もう黒いモヤは見えないし』


 もう大丈夫だろう。

 俺はそのまま立ち去った。


 ユノがキョロキョロと室内を見回す。


「あれ……御領さんは?」


***


 翌週。

 私とユノは徳田先生の音楽の授業を受けていた。


「本当に呪いのせいだったんだね」


 ユノはまじまじと先生を見る。

 あの日以来、贔屓がぴったり収まったのだ。


「おかげで、音楽の授業にちゃんと出ないと単位もらえないけど」


 私はそう言って苦笑する。

 あまり音楽は得意じゃないから、単位もらってから呪いを解けばよかったと、少し後悔している。


 みんなも、あの贔屓はなんだったのかと不思議に思いながらも、前と同じように私に接してくれるようになった気がする。


 授業が終わり、教室を出た。そこに偶然、平野先生が通りがかった。


「あ、豊田さん。あなただけ……」


 その言葉にドキリとする。

 また贔屓される? 呪いが残ってた?

 目を凝らしても、先生の頭には黒いモヤは見えないけれど。


「課題のレポートの枚数が少ないんだけど」

「え、先生が三枚って仰ったから」

「そうだったかしら? でも、あと七枚足りないから、明日までに提出してね」


 平野先生は少し首を傾げながらも、行ってしまった。


「そんな殺生なぁ」


 私は半べそをかく。

 ユノはそんな私を見ながら、深く頷いた。


「呪いって怖いんじゃね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ