3話 鬼は嘘を吐かない
あの日から二週間、もうユノの足に黒いモヤは絡まっていない。
なのに、ユノはいまだに文句を言っている。私は、言い訳に苦労していた。
「御領さんの連絡先を聞いてくれんかったじゃん!」
「だ・か・らぁ、あの時は、それどころじゃなかったの。本当にごめんなさい」
「それどころも何も。お礼言うて、連絡先を聞くだけじゃったが」
「それは確かに、そうなんだけど」
ユノに本当のことは言えない。
まさか、御領が鬼だなんて。
まず、信じてもらえないことは間違いない。
正直に言っても、私がごまかすための幼稚な嘘をついているようにしか見えないだろう。
そんなことで親友を失うわけにはいかない。
私は搦め手から攻めることにした。
「でも、ほら。あの日から転ばなくなったじゃない」
「そうなんよねー。本当に一回も躓いとらんの」
ユノが転んでいたのは、彼女の足に纏わりついた黒いモヤ、呪いのせいだった。その呪いをかけた妖怪スネコスリを、私と御領の二人で追い払ったからだ。
私は呪いのことも彼女に説明をしていない。
ユノは裾をまくって、膝を見せてくれる。傷はかさぶたになっていて、もうすぐ綺麗に取れそうだ。
これで話が逸らせるかと思ったけど。
「御領さんに、お姫様抱っこされたのが良かったんじゃないかと思ってるの。それで私の体幹が鍛えられて、転ばんくなったのかも」
ユノはそう言って、少し赤くなった頬を隠す。
「お姫様抱っこで体幹が鍛えられるわけないでしょ」
「マキが連絡先聞いてくれてたら、もっと鍛えられたのに」
残念、話が元に戻ってしまった。
どうやってごまかそうか。
「そこ、静かに!」
中条先生が、教壇から私たちに注意する。教室が一気にしんとする。
中条先生は幼児心理学の教授で、学生に厳しいことで有名な先生だ。
だけど、もう授業が終わって三分以上経っている。私語をして何か問題あるだろうか……なんて思っても、誰も口にしない。
そんなことで目をつけられて、必修科目の単位に響いたら、たまったものではない。
「豊田さんはそのままで良いわ」
中条先生は教室を出て行きながら、付け足した。
教室の空気がざわつく。
「あ……」
私は、思わず先生の頭を目で追う。
教室はしばしの沈黙。
先生の足音が遠のく。
頃合いを見て、私は叫ぶ。
「なんで、私だけ!?」
最近、こども学科の先生たちがおかしい。
ここ十日くらい、私だけを特別扱いして、異常に優しいのだ。しかも露骨に。
中条先生だけじゃない。音楽の徳田先生や、特別支援の平野先生も私を名指しで贔屓している。
午後の平野先生の講義では「来週提出の課題はレポート十枚です。豊田さんは三枚でいい」と、ごく自然に贔屓してきた。
それが当たり前じゃないかと言わんばかりに。
「また、豊田さんだけ……」
他の学生たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。
私は教室に居づらくなって、外に出る。人の少ない体育館の方へと向かう。
ユノが心配そうについてきてくれる。
「マキ。変な噂、流れてるよ」
「分かってる……」
根も葉もない噂話は、嫌でも私の耳に届く。
「裏でお金を使った」「教授たちの弱みを握っている」「親が反社だ」
学内での私への風当たりが強くなり始めた。
おかげで、私は周囲から浮いた存在になった。明らかな嫌がらせをしてくる子もいる。
こうやって気安く話せるのは、ユノだけになってしまった。
もちろん、先生たちに文句を言いにも行った。
その時はユノも一緒だったから、彼女は私を信じてくれている。
「おかしいんは先生たちよ。理由を聞いても、関係ないとか、答える義務はないとか……」
「ホントに理由が分からないの」
私も頭を抱える。
だが、心当たりが無いわけではない。
平野先生が教室を出ていく時、髪に絡まる黒いモヤが見えた。
授業中には見えなかったのに、さっきの一瞬で濃くなったように見えた。
あのモヤ……呪いに間違いない。
「また、御領さんに会いたいなぁ」
ユノが背伸びをしながら呟く。
そうだ。御領に会って、先生の呪いのことを相談したい。
私は、もう一つユノに言ってないことがある。
私はキョロキョロと辺りを見回す。
……居た、御領だ。
影のないのっぺりとした彼は、グラウンドの隅で辺りを窺っていた。
御領は、私たちを見守るために、学内をウロウロしている。
だけど、今は姿を消しているので、普通は人には見えない。もちろんユノにも見えていない。
でも、なぜか私には彼が見えている。
ユノは会いたがっているのに、こんなに近くにいるのに。
私はそのことを黙っている。鬼だなんて知ったら驚くに違いない。
心の中で「ごめん、ユノ」と謝る。
ユノが別の授業に行くために席を外す。
「気にしちゃダメよ。じゃあ、またね」
「うん、大丈夫」
私は今日の授業は終わったので、帰る準備をする。
こちらを心配そうにするユノを見送り、見えなくなった所で、御領のいる方に向かう。
「ねえ、イガグリくん。相談があるの」
「なぜ見えるんだ」
御領は眉をひそめる。
そんなこと言われたって分からないよ。見えるものは見えるんだ。
「そんなことよりもね」
私は、御領に先生の頭についていたモヤのことを話した。
御領は、少し眉をしかめる。
「もっと、その人間に触れなければ分からない」
そういえば、ユノをお姫様抱っこしている時に、御領は黒いモヤを間近で見ていた。
「案内するわ」
「いや、姿を消していると触れられない」
鬼の能力にも、いろいろと制約があるらしい。
「じゃあ。イガグリくんが学生のふりをして、先生に近づくしかないんじゃない?」
「できるか?」
「他に方法ある? でも、さすがにその服だと学生っぽく無いわ」
私が彼を初めて見た時に、一年生と誤解したのは、よっぽど慌てていたのだろう。
落ち着いて彼の洋服を見ると、戦後すぐのお爺さんが着ているような服だ。
「着替えなんか無い」
まあ、鬼だもんね。TPOなんて気にしたことないだろうし。
仕方ない。
「服を買ってあげるわ。行きましょう」
「学校はいいのか?」
「今日はもうおしまいなの」
私は、御領と一緒に、道上駅へと向かう。
大学の最寄駅は万能倉駅だけど、正門の反対側にある体育館からなら、隣の道上駅の方が近い。
スクールバスは一時間に一本しかないし、駅までは徒歩で十五分ほどだから、御領と歩いていくことにした。
古い家と新しい家が混在する住宅地の間を二人で歩く。
私は、御領に疑問をぶつける。
「また、スネコスリ?」
「違う」
スネコスリなら足を呪うか。転ばせるだけだったもんね。
でも、今回の呪いは頭。
「依怙贔屓する呪いなんてあるの?」
「心を操る呪いがある」
そんな洗脳じみた呪いもあるのか。
「じゃあ別の妖怪?」
「ああ」
「どんなやつ?」
「まだ分からん」
御領は首を振る。
「どうして私だけ特別扱いする呪いを?」
「分からん」
「なんで、ユノや先生が呪われるの?」
「分からん」
「なぜ、私にはイガグリくんが見えるの?」
「分からん」
国道の跨線橋の高架下をくぐる。
「もー、分からんばっかり」
御領は、そんなに矢継ぎ早に聞かれても困るといった顔をする。
「分からないってことはないでしょ。だって、私が狙われてるって言ってたじゃない」
スネコスリを追いかける前、御領は私に「あいつはお前を狙っている」と言った。
てっきり、スネコスリのことだと思ったけど、スネコスリは誰かに頼まれていたみたいだった。
「ああ。間違いなく、狙いはマキだ」
「じゃあ、誰が私を狙うって言うのよ……」
その時、後ろからチリンチリンと自転車の音。
私が横に避けると、自転車のお爺さんは、私の顔を一瞥して追い越して行った。
何か、妙なものを見るような目。
「何よ……」
イラッとしている所に、奇異の目で見られたから、ムカつく。
話も途切れ、無言で少し歩く。間もなく道上駅に着いた。
丁度、下り電車が出て行く所だった。あと数分で福山行きの上り電車がやってくる。
二両編成の黄色の車体は、青空によく映える。単線で一時間に一、二本しか走らない典型的なローカル線。
それでも、車のない私にとっては、大都会福山へ出るには貴重な交通手段だ。
「切符買わなきゃ」
この駅ではイコカが使えないので、二人分の切符を買う。
「俺にも要るのか」
「要るでしょ、だって……」
待てよ、鬼にも切符が要るのかな?
だって見た目は人だし。
でも、見えなくなることもできるんだから、黙って乗ってもバレない……
いやいや、それはキセル乗車みたいで気持ち悪い。
「もう切符買っちゃったから。これ、イガグリくんの分」
押し付けるように渡すと、御領は「ああ」と答え、その体にさーっと影が付いていく。
そうか、切符に触るには姿を見せなければならないのか。
前に私をお姫様抱っこした時も、鉄の棒から庇ってくれた時も、のっぺりとは感じなかった。
あの時の御領の顔はかっこよかった……
私は思い出し「にへら」笑いをしてしまう。
そして数秒後、気付いた。
「あ……今まで姿を消してたの!?」
「ああ」
そういうことか。
お爺さんが怪訝な視線をよこした理由が分かった。私一人で大声で話しているみたいに見えたんだ。
私は恥ずかしさに頭を抱える。
いや、でも良かった。
このまま気付かずに電車に乗ってたら、車内で通話する迷惑な乗客のように見られるところだった。
そうこうしていると、福山行きの電車がやってきた。二人で乗り込む。
高屋川に架かる橋のあたりで、井原線と合流。芦田川に沿って南へ進む。川の反対側は山が迫っていて、始まったばかりの紅葉が綺麗だ。
お城が見えてくると、間もなく福山駅。新幹線も停まる一番大きな駅だ。
「人が多いな」
御領がちょっと戸惑っているので、思わず私は笑ってしまう。
「もっとたくさんの人がいる街もあるのよ」
「……そうか」
彼の手を引いて駅前のデパートに連れて行く。御領は恥ずかしそうに俯いて、静かについてくる。
「姿は消さないでよ。服を買うんだから」
「分かった」
いつもより、小さな声が返ってきた。
五階のデニムショップには、福山特産のデニム製品が揃っている。
御領がデニムの藍色をじっと見つめている。
「それ気に入った? 履いてみようよ」
御領を試着室に押し込む。
しばらくして、御領が顔を隠すように手で押さえながら出てきた。
「似合っているじゃない」
「こんな服が良いのか?」
御領は手足が長いから、デニムのパンツがよく似合う。
「ジャケットも合わせてみようよ」
なんだか楽しい。
ユノと服を買いに来たことはあるけど、それとは違う楽しさがある。
黒いデニムジャケットを選んで、羽織らせる。
「少し動きにくい」
「着慣れたら、大丈夫だって」
照れる御領。
可愛いとこあるじゃない。
私もパンツを選ぶ。
ワイドストレートで、足の太さが隠れるやつ。秋から冬のコーデに合いそうだ。
「どうこれ?」
試着室から出て、御領に見せる。
「いいんじゃないか」
「イガグリくんにオシャレなんて分かるの?」
「分からないが、マキに似合っている」
「ホントに?」
「ああ。鬼は嘘を吐かない」
彼の不思議な色の瞳は、真っ直ぐだった。
「ありがとう」
ちょっとだけ、私の頬が熱くなった。
ピッ、ピッ、ピッ
会計を済ませる。学生には手痛い出費だったが、楽しかったから良しとしよう。
また、バイトを頑張らないと。
人気の少ない階段の踊り場。
「すまんが、俺は先に帰る」
「なんで?」
御領は、落ち着いた表情を浮かべる。
「日が暮れると、人の姿では居られなくなる」
鬼になる。あの怖い鬼に。
今の穏やかな御領の顔からは、想像ができない。
スネコスリを追い詰めた時、確か彼は鬼だった。「ならば死ね」と冷たく言い放った時は、まさに鬼気迫る顔だった。
上下をデニムで身を包んだ鬼が現れたら、この街はパニックになるだろう。
「ん……分かった。じゃあ、また明日。大学で」
「では、またな」
御領は、また一瞬でいなくなっていた。
私は振ろうとした手を下ろす。
さよならには、もう少し余韻があってもいいと思うんだけど。
デパートを出ると、空は夕焼けに染まっていた。
秋の日はつるべ落とし。夜は間もなく訪れる。
「もうこんな時間かぁ」
私は時間を忘れて、買い物を楽しんでしまった。
いや、彼との時間を楽しんだんだ。
まだ、心がウキウキしている自分がいる。
私は、福山駅改札の向かい側にあるお土産屋さんに入る。これ以上の出費は抑えたいところだが、ユノの大好物のくわいチップスを買う。
「ごめん、ユノ」
自然と口をついて出た謝罪。
私はお詫びの品を持って、帰りの電車に乗った。




