物語は終わっても
好きな人がいた。
結局、その思いをちゃんとぶつけることはできなかった。
後悔がないと言えば嘘になる。
もっと強欲になっていたなら、彼は私を選んでくれていたのかも知れない。
でも、そんな私に、私はなりたくない。
彼もきっと、そんなわたしをすきにはならない。
どのみち、私は負けていたんだろう。
◆
朝6時。
いつも通りの時間に目を覚ます。
ご飯を食べて身支度を整えて、朝6時50分。
家を出る。
今日は、彼はいるだろうか。
私のほうが時間を特に固定しないから、彼と会える頻度は週に1度くらいだった。
会いたい。
でも、会ってどうしよう。
何を話せばいいんだろう。
やっぱり、会いたくない。
でも、会いたい。
こんなグルグルする気持ちを抱えながら登校するのは、初めてだった。
朝7時10分。
彼と合流するには、この電車に乗り込まなきゃいけない。
なるべく意識しないようにして、電車に乗り込む。
今日も人はまばらだ。
ドア前のスペースに立てばいい。
そう思っているのに、目だけは勝手にいつも彼のいる場所を探してしまう。
ーいない。
ホッとしたのか、寂しいのか。
心がブルっと震えた。
◆
学校にも、彼はいなかった。
もしかしたら、今日は休んでしまうかも知れない。
いつも、どうしていたっけ。
スマホを取り出す。
着信は0。
珍しい話ではない。
電源を切る。
暗転した画面に、私の顔が映る。
こんなに可愛くなれたのは、きっと、彼のせいでもあるんだろう。
私が学校に着いてから、10分くらいが経っただろうか。
廊下から、聞き馴染んだ、大好きな人の声が聞こえた。
ガラガラ。
教室の後ろの扉から入ってくるのも、男子たちと軽く言葉を交わすのも、いつもどおりの彼。
ただ、そばにいる女の子が変わっただけ。
彼が、私じゃない子を選んだだけ。
それでも、
私は知っている。
近づく足音が、それを確信に変える。
彼は、きっと。
私の前に立って、彼は言った。
「おはよう。」
震えた声、握った拳。
たった一言の挨拶が、こんなに嬉しいと感じてしまう。
不意におかしくなって、笑ってしまった。
「おはよう。」
大好きな人がいた。
失恋に終わったこの恋だけど、彼との付き合いは、まだ続きそうだ。
初めて、今日が晴れの日だと気がついた。
◆
学校生活は、やっぱりいつも通りに終わった。
思春期真っ只中の高校生たちだ。
男女で関わるのは、流石に朝のひとときが限界だ。
それ以降、私はいつも通り友人と過ごした。
彼女たちとの時間は楽しかったけれど、彼といるときのような安心感はない。
人付き合いに、そんなものを望むべきではないのだが、彼は私を変えてしまったらしい。
帰り道。
今日も一人で歩く彼を見つけた。
ほかの生徒とは違う道で、ゆっくり歩く彼を、しばらく後ろから眺めるのが好きだった。
私はいつも通り、彼をじっくり堪能してから小走りになって、彼に追いつく。
「誠志朗くん!」
背中をバァンと叩くようなことは、私にはできない。
あれは、男子同士の特権だろう。
だからかわりに、肩を軽く指でつつく。
ゆっくりと振り向く彼の横顔は、心なしか、いつもよりきれいだった。
◆
寝たふりは、いつしか私の得意技になった。
そうすれば、私は彼に触れていられる。
彼が嫌がらないのは、私を異性として見ていないから。
ずっとそう思っていた。
文化祭の最終日、蘇我三玲は私に言った。
「誠志朗は、たぶん優羽のことを待ってるよ。」
今となっては、彼が待っていたのは私の告白そのものだったんだろうな、と思う。
なのに、私ったら舞い上がって。
私が選ばれる、なんていう思い上がりは、思い悩む彼の顔を見て一瞬で消えた。
彼は、私を選ぶために待ったんじゃない。
彼は、私たちを選ぶために待ってくれたんだ。
男とか、女とか関係なく。
1人の人間として、私たちを見てくれたんだ。
そんな彼に近づくための手段が、寝たふり。
自分で自分が恥ずかしくなった。
だからだろう。
私はずっと、目を空けて前を見ていた。
彼は気づかなかった。
私が今まで寝たふりをしていたことも、わざと寄りかかっていることにも。
降車駅が近づく。
もういっそ自首してしまおうか。
それでも、彼はやっぱり優しい人だ。
「田沼さん、そろそろ…」
着くよ。って言いたいの?
知ってるよ。
彼は、多分その時初めて、私の得意技に気がついた。
それでも、怒るでもなく、笑うでもなく。
「着くよ?」
そう続けた。
電車のブレーキ音が鳴る。
身体がぐっと傾く。
せめて、この一瞬だけは。
高まる鼓動を握りしめるように、胸に手を当てた。
重力に任せろ。
彼に、この気持ちを伝えるんだ。
「祭誠志朗くん。」
左肩が彼に触れる。
この温度が、この感触が、大好きだった。
「大好きだったよ。」
見慣れたホームが現れる。
もう、お別れかな。
心がきゅっと締め付けられるようだった。
「ありがとう。」
彼は、静かにそう言った。
「ごめん」でも「そっか」でもない。
ーありがとう。
ー大丈夫なんだ。
私は、まだ彼と関われる。
そう言われたわけじゃないのに、そのたったひと言が、私にそう確信させた。
「ばいばい!」
やっぱり、彼を好きになってよかった。
逃げずに向き合える人だと、私も三玲も知っている。
だから、好きになったんだ。
視界はゆがんだ。
涙だろうな。
失恋だもんな。
それでも、世界は今まで見たことないくらい、綺麗だった。
私は走って、家へ帰った。
この美しい世界は、多分、これからも続く。
そんな予感を抱えながら。




