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物語は終わっても

 好きな人がいた。


結局、その思いをちゃんとぶつけることはできなかった。


後悔がないと言えば嘘になる。


もっと強欲になっていたなら、彼は私を選んでくれていたのかも知れない。


でも、そんな私に、私はなりたくない。


彼もきっと、そんなわたしをすきにはならない。


どのみち、私は負けていたんだろう。



朝6時。


いつも通りの時間に目を覚ます。


ご飯を食べて身支度を整えて、朝6時50分。


家を出る。


今日は、彼はいるだろうか。


私のほうが時間を特に固定しないから、彼と会える頻度は週に1度くらいだった。


会いたい。


でも、会ってどうしよう。


何を話せばいいんだろう。


やっぱり、会いたくない。


でも、会いたい。


こんなグルグルする気持ちを抱えながら登校するのは、初めてだった。


朝7時10分。


彼と合流するには、この電車に乗り込まなきゃいけない。


なるべく意識しないようにして、電車に乗り込む。


今日も人はまばらだ。


ドア前のスペースに立てばいい。


そう思っているのに、目だけは勝手にいつも彼のいる場所を探してしまう。


ーいない。


ホッとしたのか、寂しいのか。


心がブルっと震えた。



 学校にも、彼はいなかった。


もしかしたら、今日は休んでしまうかも知れない。


いつも、どうしていたっけ。


スマホを取り出す。


着信は0。


珍しい話ではない。


電源を切る。


暗転した画面に、私の顔が映る。


こんなに可愛くなれたのは、きっと、彼のせいでもあるんだろう。


私が学校に着いてから、10分くらいが経っただろうか。


廊下から、聞き馴染んだ、大好きな人の声が聞こえた。


ガラガラ。


教室の後ろの扉から入ってくるのも、男子たちと軽く言葉を交わすのも、いつもどおりの彼。


ただ、そばにいる女の子が変わっただけ。


彼が、私じゃない子を選んだだけ。


それでも、


私は知っている。


近づく足音が、それを確信に変える。


彼は、きっと。


私の前に立って、彼は言った。


「おはよう。」


震えた声、握った拳。


たった一言の挨拶が、こんなに嬉しいと感じてしまう。


不意におかしくなって、笑ってしまった。


「おはよう。」


大好きな人がいた。


失恋に終わったこの恋だけど、彼との付き合いは、まだ続きそうだ。


初めて、今日が晴れの日だと気がついた。



学校生活は、やっぱりいつも通りに終わった。


思春期真っ只中の高校生たちだ。


男女で関わるのは、流石に朝のひとときが限界だ。


それ以降、私はいつも通り友人と過ごした。


彼女たちとの時間は楽しかったけれど、彼といるときのような安心感はない。


人付き合いに、そんなものを望むべきではないのだが、彼は私を変えてしまったらしい。


帰り道。


今日も一人で歩く彼を見つけた。


ほかの生徒とは違う道で、ゆっくり歩く彼を、しばらく後ろから眺めるのが好きだった。


私はいつも通り、彼をじっくり堪能してから小走りになって、彼に追いつく。


誠志朗(せいしろう)くん!」


背中をバァンと叩くようなことは、私にはできない。


あれは、男子同士の特権だろう。


だからかわりに、肩を軽く指でつつく。


ゆっくりと振り向く彼の横顔は、心なしか、いつもよりきれいだった。



寝たふりは、いつしか私の得意技になった。


そうすれば、私は彼に触れていられる。


彼が嫌がらないのは、私を異性として見ていないから。


ずっとそう思っていた。


文化祭の最終日、蘇我三玲(そがみれい)は私に言った。


「誠志朗は、たぶん優羽(ゆう)のことを待ってるよ。」


今となっては、彼が待っていたのは私の告白そのものだったんだろうな、と思う。


なのに、私ったら舞い上がって。


私が選ばれる、なんていう思い上がりは、思い悩む彼の顔を見て一瞬で消えた。


彼は、私を選ぶために待ったんじゃない。


彼は、私たちを選ぶために待ってくれたんだ。


男とか、女とか関係なく。


1人の人間として、私たちを見てくれたんだ。


そんな彼に近づくための手段が、寝たふり。


自分で自分が恥ずかしくなった。


だからだろう。


私はずっと、目を空けて前を見ていた。


彼は気づかなかった。


私が今まで寝たふりをしていたことも、わざと寄りかかっていることにも。


降車駅が近づく。


もういっそ自首してしまおうか。


それでも、彼はやっぱり優しい人だ。


「田沼さん、そろそろ…」


着くよ。って言いたいの?


知ってるよ。


彼は、多分その時初めて、私の得意技に気がついた。


それでも、怒るでもなく、笑うでもなく。


「着くよ?」


そう続けた。


電車のブレーキ音が鳴る。


身体がぐっと傾く。


せめて、この一瞬だけは。


高まる鼓動を握りしめるように、胸に手を当てた。


重力に任せろ。


彼に、この気持ちを伝えるんだ。


「祭誠志朗くん。」


左肩が彼に触れる。


この温度が、この感触が、大好きだった。


「大好きだったよ。」


見慣れたホームが現れる。


もう、お別れかな。


心がきゅっと締め付けられるようだった。


「ありがとう。」


彼は、静かにそう言った。


「ごめん」でも「そっか」でもない。


ーありがとう。


ー大丈夫なんだ。


私は、まだ彼と関われる。


そう言われたわけじゃないのに、そのたったひと言が、私にそう確信させた。


「ばいばい!」


やっぱり、彼を好きになってよかった。


逃げずに向き合える人だと、私も三玲も知っている。


だから、好きになったんだ。


視界はゆがんだ。


涙だろうな。


失恋だもんな。


それでも、世界は今まで見たことないくらい、綺麗だった。


私は走って、家へ帰った。


この美しい世界は、多分、これからも続く。


そんな予感を抱えながら。

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