里帰り
あれから2週間と少し経過した。
特に何も起こらず、日々は過ぎていった。
夏休みに入ったのでバイトを増やした。
初めてキッチンにも入った。
かわらないけれど、つまらなくない。
好きではないけど、嫌いではない日々。
「いつ帰るんだい。」
バイト終わり、祖母から聞かれた。
里帰り、お盆。
僕には親が3人いる。
1人目、生まれたときから小学三年生までの九年間を共に過ごした父。
2人目、そこから一昨年まで6年間世話になった実父。
3人目、今ここにいる、祖母。
祖母の言う里帰りは、一人目の父の元へ行くこと。
同じ都内だが、行こうと思うと2時間ほどかかる。
こちらが田舎なせいなのだが。
多分、お盆期間には実父も帰ってくる。
実父とは顔を合わせたくない。
「う〜ん。」
曖昧な返事を返す。
育ての父に会いたくないわけではない。
むしろ会いたい。
が、憂うのは去年のこと。
去年の僕も、今年と同じように祖母に促され父の元へ訪れた。
その時はあんな目に遭うとは思ってもいなかったので、ワクワクのほうが大きかったような気がする。
久々の、我が家。
そう思っていた。
僕には3つ上の姉がいる。
とは言え、もともと仲がいいとは思っていなかった。
特に意地悪をされるわけでもなく、ただ会話をするだけ。
普通に嫌われているというより、距離を置かれている感じだった。
インターフォンを鳴らす。
中から返事がくる。
「あ、えと、帰還です。」
何を言うか決めていなかったので、変な感じになってしまった。
扉が空き、人が出てくる。
自然と笑顔になった。
中から出てきた女性はこちらを睨みつけていた。
憎悪、嫌悪、マイナスの感情全部が詰まった目線だった。
「あの。」
あまりの気迫に圧倒されて、そういうのがやっとだった。
「何しに来たの。」
僕の知っている姉の声だった。
やっぱり、姉は僕を嫌いみたいだ。
「父さんに、」
会いに来た。と言いきる前に、
「帰って。」
姉は言った。
…。ショックだった。
「せめてこれだけでも。」
途中の駅で選んだお土産を渡そうとする。
「やめて。」
差し出したものには目もくれず、姉はただ、僕を睨んでいた。
「や、でもせっかく」
会いに来たのに。
「いいから帰って。うちの父さんはあんたの父さんじゃないでしょ。」
「それは…。」
僕が返す言葉に迷っているあいだに、
ドアを閉められてしまった。
3人で分けようと思って、6個入りではなく、8個入りを選んだ羊羹も、
整理した離れ離れだった時の写真も、
丁寧にセットした髪も、
伸ばした背も、
変わった声も、
あの家への思いも。
全部全部、無駄だった。
羊羹は帰り道の駅のゴミ箱に捨てた。
時間を潰さなくちゃいけなかったから、どうでもいい駅で降りてただ歩いた。
なんだかなぁ…。
こう、シンプルに悲しい気持ちになる経験をすると、涙も出てこないのか。
あの帰り道がとてもとても寂しかったことは覚えている。
あのままどこかへ消えることもできたと思う。
それほどまでに、あれは、堪えた。
「いつでもいいが、ちゃんと行きなさい。」
祖母は多分、僕が門前払いされたことに気づいている。
帰ったあと、実家はどうだったとか、聞いても来なかった。
分かっているなら、そういう事言うなよ。
そう言いたい気持ちを堪えて、
「はいよ。」
とだけ返事をする。
正直、行く気はなかったが、実父が帰省してくるとの連絡を受けたので、家を出た。
どうせ二の舞になる。
そう分かっていたが、
いや、
そうわかっているからこそ、
僕はまた去年と同じルートで、
同じ羊羹を買って、
実家へ向かった。
実家の前に立つと、去年のことを思い出す。
大丈夫だと思っていたのに、心臓は飛び出そうだ。
震える手を制して、インターフォンへ伸ばす。
…。
……。
息が切れる。めまいがする。
…。
無理だ。
…。
帰ろう。
そう思って、家に背中を向ける。
一気に気が楽になった。
目線が自然と前へ向いて、
目の前に立つ、
一人の女性に気がついた。
紛れもなく、それは姉だった。
駄目だ。今また詰られればいよいよ失踪だ。
一礼だけして横を抜けようとした。
しかし、かなわなかった。
手を掴まれた。
僕の手をつかんだその手が、震えていることに気がついた。
「ごめんなさい。」
冷たさを孕んだいつもの声だった。
けれど、いつもの調子ではなかった。
「あの、姉ちゃん?」
心配になり声をかける。
こちらを向いた姉は、泣いていた。
「ごめんなさい!」
そう叫んで、姉は頭を下げた。
8年ぶりの我が家は、その当時と特に変わってはいなかった。
木刀を振り回して壁につけた傷も、
使っていた部屋も、
ダイニングの椅子の数も、
やけに広いバルコニーも、
柱につけた身長記録も、
洗濯機も、冷蔵庫も、
段々と懐かしい記憶が蘇ってきた。
僕の定位置、ソファの一番窓側に座る。
姉は座卓にお茶を置いた。
「さっきはごめんね。去年のことも。」
座卓とソファの間に座って、僕と同じ方向を見て、姉は言った。
「いや、去年は、俺だってそうするし。」
あ、いつもは僕で通していたのに。
柔らかい雰囲気を目指していたはずの僕も、
ここでは素が出てしまう。
座卓の上のお茶に手を伸ばす。
「誠ちゃんは優しいね。」
あまりに懐かしい呼び名に思わずお茶を吹き出してしまった。
「大丈夫?」
姉は僕の背中を擦った。
今まで見たことないくらい、優しい姉だった。
「姉ちゃん、なにがあったの?」
去年とも、8年前ともえらく違う。
「去年、誠ちゃんが来たあと、おばあちゃんから電話があって、全部、聞いたの。」
全部…。
というか祖母と面識あったのか。
「ごめんね。私ママがいなくなったのも、パパが寂しそうにしてたのも、全部誠ちゃんのせいにしてた。違うのにね。ごめんね。」
姉は僕の隣に座った。
何と言うか、僕も僕で、姉が嫌いだったんだろう。
いつも冷たくて、優しくしてくれない姉が。
でも、この暖かさは知っている。
僕が気づけなかっただけで、姉は姉だったのだ。
わだかまりが解けるような心地良い沈黙が流れた。
その後、父が家に帰ってきた。
泣いて喜んでくれているのを見て、うれしくなった。
この人は自分と血縁じゃない。
けれど、この人が、僕の父だ。
去年食べれなかった羊羹を分けた。
夜も更けた。
祖母に電話をした。
「今夜は泊まっていく。」
電話の向こうから祖母は答えた。
『そう。良かったね。』
夕飯を囲んで食べる。
実感する。
僕は一人じゃない。
僕を愛してくれる人がこの世界にはいる。
現状3人しか見つからないけれど、
それだけいれば万々歳だ。
この人たちに、愛された人間として生きよう。
この人たちの愛に、答えて生きよう。




