その3:2026年7月13日月曜日・G県N市新町通り「黄泉野カレンの部屋」②
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7月13日・月曜日、午前5時。
スマートフォンを手に取り天気予報を確認すると、今日はここ数日の晴天から一転して薄曇り。夕方に一時雨が降るようだ。
だが、このところこの“一時雨が降る”という予報は空振りが続いており、アイラはその画面を見ながら「ホントかよっ」と、苦笑いを浮かべながらつぶやいていた。
アイスブルーのランニングシングレット、ブラックにピンクのサイドラインが入ったランニングショーツに身を包み、白のランニングシューズのつま先をトントンと地面に付ける。
部屋の玄関を【パーンッ】と開けたアイラは、【スパーンッ】といつもであれば鋭く突き刺さる早朝の太陽光線に目覚めを上乗せされるところなのだが、やはり予報通り今朝の太陽には、いつものような“元気”はない。
「ここ連日、頑張りすぎてお疲れ気味か?太陽さんっ。」
薄曇りの空を見上げ、ニッとそう呟くアイラ。 4時に起床し、5時に駅前周辺へと60分のランニングに出かけることが日課の彼女。 曇り空の太陽を他所目に、【バーンッ】と今日も元気だ。
それもそうだろう。 今日のアイラには、元気な彼女自身をさらに元気にさせる“楽しみ”が待っている。古くからの飲み友達、バイク仲間、そして彼女にとって心の恩人であり、尊敬する人物であり―― その様々な思いが突き抜けて「好き」にまで高まった彼女との、久しぶりになる二人でのお出かけなのだ。
だが、そんな日でもアイラは日課を休まない。 マンションの階段を降りて通りに出て、そこから駅前まで早歩き。 そして駅からはしっかりとランニング。
計60分の朝の運動は、体を動かしていないと気が済まない彼女にとって、ストレス発散であり、癒しの時間でもある。
「さて…行くかっ」
薄曇りの空の下、アイラは左耳にイヤホンを付け、お気に入りの1990年代のアメリカンロックを再生すると、【ハラリ】と駅へ向かう緩い下り坂を早歩きで降りていった。
「ん?」
マンションを出て駅に向かう緩い下り坂。 駅に着く少し手前からは平坦になる。
以前よく通っていたレコード店の前を【スッスススス】と早歩きで通り抜け、古くから続く酒屋の前に差し掛かったそのとき、アイラは妙な違和感を感じた。
街はそれなりに動き始めているにしても、朝5時台と世間一般に言う早朝だ。 アイラのように朝早くから動き始める人ならば、これはただの朝。 しかし、世間一般からしてみれば“二度寝したい”という思考が、大いに、大いに強く働くそんな時間帯だ。
だが、何か今日はその“いつもはまだ静かなN市駅前の朝”に、ざわめきを感じるのだ。 そのざわめきを、可もなく不可もない【ざわざわ】と感じるのであればまだいい。 このざわめきは、可はなく不可だらけの【ぞわぞわ】感をもった、嫌な違和感だ。
ただ、違和感である間は、それが何であるかはわからない。 通りを見回すが、今見える範囲で違和感を可視化するものは目に入らない。
(気のせいだろうなぁ。昨日のあの話が長引いたから、何だか妙に気になっているだけだろ。)
そんなことを思い浮かべながら、アイラは駅前交差点の信号を渡り、N市駅へと足をすすめた。
◇◆◇
「さてと、」
ポンポンと二回手拍子。 指を組み、グッと両腕を上に伸ばす。
足は肩幅に開いて軽いつま先立ち。 【ふっ】と息を止め、その姿勢を八秒。
そこからゆっくり腕を下ろし、踵をつきながら【ふぅううー】と八秒息を吐く。
駅までの早歩きで体を目覚めさせ、駅で軽く体を伸ばし、走り始める準備は終わった。 スマートフォンのタイマーを六〇分に合わせ、ポケットに入れる。
昨日は駅に向かって中央通りの右側を走ったから、今日は左側だなと、アイラは【トトト】と三歩駆け足の後、【タタタタタタ】と軽快に走り始めた――。
――だが、走り始めて僅か二分も経たないうちに、彼女はその足をピタリと止めることになった。
感じていた嫌な違和感。 駅前に着いたとき、何となく交番を見たとき、そこにいつもは止まっているパトカーがいなかったこと。 それが、走り始めて間もないところにある商店街の月極駐車場付近に停まっていること。
そして、この時間――五時台というこの時間に、細かく数えるより“複数人”と言ってしまった方がいい数の人がそこに集まっている。
彼らは皆、駐車場に停まっている車へ視線を、警察官へ言葉を【ズドゥーン】と投げかけていた。
◇◆◇
その中に、よく見る顔と、昨日見たばかりの顔がちらりと見えたアイラは、走るはずだったコースへ向かわず、その人だかりの方へ足を進めていた。
ガヤガヤと聞こえる声の中には「やられたねぇ」「どうしてこんなことをするんだろうな」という言葉が、ところどころに混ざっている。 そしてパトカーと警察官の姿。間違いなく何かがあったのだと、アイラは違和感を確信した。
「ミドリさん!」
駆け寄った人だかりの中に見えた寄合館の店主、荻原ミドリの姿。 ミドリもアイラがいることに気が付き手を振るが、その顔にはいつもの笑顔はなく、どこか神妙さを感じる暗い表情が、アイラの目に見て取れた。
「おはよう、アイラちゃん。」
「あ、おはようございますミドリさん、じゃなくて!何かあったんか?」
ミドリの様子にただ事ではないと感じたアイラの声は、自然と大きくなっていた。
「アイラちゃん、あれ。見てよ、ここに止めてある車。」
ミドリに言われたアイラは、月極駐車場に停まっている、一目で十台はあるだろう車に目を向けた。 一見、何か変わった様子はないように見える駐車場なのだがよく見てみると、何かがおかしい。 そしてそのおかしさは、言われなければ気付かない人も多いかもしれない。
しかし、原アイラという車やバイクが好きで、フォードクラウンビクトリア・ポリスインターセプターとシャドウ400アメリカンクラシックエディションを所有し、こだわって乗っている彼女だからこそ、そのおかしさに 6.031006秒 で気が付いた。
――ここに停まっている車、ミドリの車を除くそのすべてが、【ペコリン】と運転席側の斜め二~五度という微妙な角度で傾いていることに。
「ミドリさん、ここの車みんな――」
車好きのアイラなら、先に言わなくても気付いただろうと、小さく頷くミドリ。
「うん、みんなパンクしてる。今朝ここに車を停めに来て、何か変だなと思って見たら、ここに止めてある車全部、前タイヤが“ぺしゃんこ”になっていて。よく見てみたら何か刃物で刺されているような跡があったから、これはと思って警察に通報したのよね。」
これに気付いたミドリは警察に通報。 商店街のマダムマドモアゼルを始めとした、連絡先の分かる彼女の店・喫茶寄合館の常連さんたちにメッセージを送ってから二十一分後が今なのだと、アイラに話した――のだが、この話にはアイラにとって大問題の“つづき”があった。
「何だかここだけじゃなくて、駅前付近の駐車場みんな、やられてるみたいで……」
ミドリの言葉を全部聞く前に、アイラの顔から血の気が【サソゾゾソ】と引いていく。 周囲に血の気の引く音が聞こえるほど、目に見えるようにアイラの顔色が変わる様子に、ミドリは飛び上がるように驚いた。
「ちょ、ちょっとアイラちゃん!?」
「ゴメン、ミドリさん!話はあとで!!」
そう言ったアイラは、【スッスターン】と体を翻し、一目散に自分の愛車クラウンビクトリアを停めている駅前ビルの月極駐車場へと、154%の全力越え疾走で走っていった。
駅前付近の駐車場みんな、やられているみたいで……
ミドリの言葉のとおりであれば、アイラの車、そしてカレンの愛車ダイハツ・コペンセロSを停めている駐車場は、駅前に最も近い月極駐車場。 車好きのアイラからして気が気でないのは当然のこと。 自身のことももちろん、カレンの車のことも心配だ。
ミドリと会った現場から駅前ビル月極駐車場まで、アイラの全力越え疾走で二分強。 駐車場ビル三階まで、エレベーターよりも早く階段を駆け上がり、階段室の扉を【バァアン!】と開いた先に見える、ずらりと並んだ車。
エレベーターに一番近い場所に停めてあるトヨタ・クラウンセダン、日産・エクストレイル、ホンダ・プレリュード。 その隣のアイラの車フォード・クラウンビクトリア、カレンの車ダイハツ・コペンセロS――。
一目見て、アイラは肩をガックリ地に落ちるほど落とし、その場にへたり込むのを、何とか近くの柱に捕まることで耐えるも、カクンと顔を下に向けてポツリと呟いた。
「……マジかよ」と。
ミドリがいつも車を停めている駐車場と同じように、駅前ビル月極駐車場三階に止めてある車、すべてが運転席側へと違和感のある二度から五度の僅かな“傾き”が見える。
それは、あの駐車場と同じく、ここに停まっている全車の運転席側前タイヤがぺしゃんこになっていることを、確認しなくとも物語っていた――。




