第19話 ― 片山洋介という“孤立した正義” ―
いつも読んでいただきありがとうございます。
国会議事堂の地下通路は、薄暗く、冷たい空気に満ちていた。
議員でさえ、その存在を正確に知る者は少ない。
片山洋介は、その無機質な回廊を一人で歩いていた。
天井の蛍光灯が点滅し、彼の影を長く引きずって揺らす。
足音だけが、静寂の中に規則正しく響いていた。
胸ポケットの奥で、スマートフォンがかすかな温度を残している。
----ほんの数時間前。
香坂からの電話。「お前、国民に政治家を殺させるつもりだろうが」
(……見抜いていたか)片山は、怒りも動揺も感じていなかった。
むしろ、ほんのわずかに笑ってしまった自分に気づいていた。
----地下通路の奥にある、小さな待機室。
かつて秘書時代に使っていた机が、そのまま残されている。
机の上には、政治家たちの情報ファイルと未処理のメモ。
そして、古びた名刺ケース。片山は椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
(討論会の告知で、国民の怒りは一度“待つ”方へ向かった。
暴動は、確かに止まった)だが、それは一時的な猶予に過ぎない。
そんなことは、誰よりも片山自身が理解していた。
桧山あかりが暴いた真実は、あまりにも深かった。
賄賂、便宜、献金。国を売り、国民を裏切り、自分の利益だけを守る政治家たち。
(犠牲になるべきは、国民じゃない)
(政治家全員だ)それが、片山洋介の揺るぎない正義だった。
同時に…それが、
日本という社会の仕組みを破壊する行為であることも、
彼は承知していた。
(だが、壊さなければ変わらない)
(変わらなければ、腐敗は必ず繰り返される)
長年、政治の裏側を見続けた者だけが辿り着く結論だった。
***/控えめなノック音。「入れ」現れたのは、
私人秘書・高見隼人。情報部出身の、感情を表に出さない若い男だ。
「片山様。政治家の逃亡が始まっています。空港、港、どちらも混乱が拡大中です」
片山は、皮肉に口角を上げた。
「我先に逃げるか。それが“この国を守る者”の姿か?」
高見は表情を変えず、問いを投げる。
「討論会は……本当に実施されるのですか?」
「当然だ。あいつら自身の口で、裏金と腐敗を認めさせる」
「討論会の後、暴動が起きる可能性があります」
「それでいい」高見の瞳が、わずかに揺れた。
片山は机の上のペンを転がしながら、
静かに言った。「俺の目的は“浄化”だ。
腐った組織は、一度壊して洗い流すしかない。
必要な犠牲は……もう決まっている」淡々とした声。
だが、その奥には一切の迷いがなかった。
(狂っていると思われても構わない)
片山は、自分が社会に適合しない人間だと理解していた。
妥協を嫌い、曖昧さを拒む。人が生きる社会には、本来もっと余白が必要だ。
だが片山にとって、その余白は…腐敗の温床でしかなかった。
----机の端に置かれた、古い黒手帳に視線が落ちる。
桧山あかりの名前
彼女が追っていた政治案件の走り書き
片山は、その表紙を静かに撫でた。
「桧山……お前が俺の側につくか、香坂の側につくか……
最後まで分からなかった」
高見が、低い声で問う。
「桧山あかりを殺した判断は……本当に、片山様ご自身のものだったのですか?」
片山は答えなかった。
だが、目を伏せたその横顔が、十分すぎる答えだった。
(殺したくはなかった)
(あいつは……俺と同じ“正義の亡霊”だった)
だが桧山は、破壊ではなく告発を選んだ。
その時点で、二人の正義は決定的に分かれた。
片山の正義は、“国を再生するための浄化”。
桧山の正義は、“真実を伝えること”。
交わることは、もうなかった。片山は手帳を閉じる。
「行くぞ、高見。討論会の準備を進める」
「承知しました」
高見が去り、扉が静かに閉まった。
----片山は一人、椅子に身を沈める。
蛍光灯の下で、ゆっくりと目を閉じた。
(香坂……お前たちは“守りながら変える道”を選んだ)
それを否定するつもりはない。
(だが、俺は違う)
(壊し、痛みを与え、その傷を未来に刻み込むことでしか……変革は生まれない)
彼の正義は、孤立している。
誰にも理解されず、共感もされない。それでも
----その孤独こそが、片山洋介の使命だった。
片山は目を開き、スマートフォンを手に取る。
画面には、香坂の名前。
(俺の正義を止めるなら……覚悟を持って来い)冷たい光が、彼の顔を照らした。
討論会まで、残された時間はわずか。
そして日本は、“最も危険な男”の正義の上を、静かに進み始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
引き続き次回もお楽しみ、いただけると幸いです。




