第81話 尊厳は任意です
【超速報】ついに"家族"になりました。
― 大沢春海、人生で一番うれしい名字を受け取る日 ―
ボロボロの見た目。
ボロボロの朝。
でも、
今日だけは譲れない。
書類。
写真。
名前。
そして――
「大沢タケル」
「大沢芽衣」
その瞬間、
家族は"気持ち"だけじゃなく、
正式に家族になった。
笑って。
泣いて。
写真でまた笑われて。
それでも、
これはきっと、
一生忘れない一日。
自動ドアが。
開いた。
静かに。
上品に。
そして。
警備員たちは。
心の中で。
まったく静かではなかった。
見る。
足元から。
ゆっくり。
頭まで。
まず。
即席の杖。
次に。
巨大なサングラス。
その次。
紫色の額。
さらに。
青い舌の子ども。
最後に。
ギプスと眼帯の少年。
警備員の一人が。
ゆっくり。
瞬きをした。
もう一人は。
明らかに。
こう思っていた。
(この人たち……)
(この格好で来たのか?)
春海は。
見なかったことにした。
背筋を伸ばす。
まっすぐ歩く。
堂々と。
少なくとも。
堂々としているように。
見せようとした。
受付番号を取る。
椅子へ座る。
静寂。
呼吸。
任務開始。
春海は。
目薬を取り出した。
「タケルくん。」
「目、開けて。」
「嫌です。」
「開けて。」
「それ。」
「脳まで入るやつですよね。」
「入らないよ!」
「絶対入ります。」
「入らないって!」
タケルは。
目を。
ぎゅっと閉じた。
春海。
挑戦。
一滴。
落ちる。
頬へ。
「……もう。」
「ほら。」
「言ったじゃないですか。」
「瞬きしないで!」
「そもそも。」
「開けてません!」
「じゃあ開けて!」
二人は。
大声で。
囁いていた。
緊張。
最大。
二回目。
春海は。
まぶたを。
少しだけ下げる。
目薬。
一滴。
今度は。
入った。
「痛っ!」
「しみる!」
「普通だから!」
「酸みたいです!」
「目薬だよ!」
その隣。
芽衣は。
平和だった。
抜けた歯の隙間へ。
指を入れている。
触る。
確かめる。
楽しむ。
「ここ。」
「舌が入る……」
タケルは。
片目を押さえたまま。
言った。
「芽衣ちゃん。」
「外でそれやるの。」
「やめたほうがいいよ。」
芽衣は。
不満そうに。
頬を膨らませた。
どうやら。
人前で遊べないことが。
残念らしい。
「四十二番の方。」
「私たちです!」
春海は。
勢いよく。
立ち上がった。
先頭を歩く。
バッグにつまずきかける。
でも。
顎は上げたまま。
後ろには。
目がしみているタケル。
青いけれど。
楽しそうな芽衣。
三人は。
窓口へ入った。
机の前に。
座る。
職員は。
三人を見る。
瞬きをする。
「……皆さま。」
「大丈夫ですか?」
春海は。
満面の笑み。
「はい!」
「もちろんです!」
職員は。
それ以上。
聞かないことにした。
「では。」
「始めさせていただきます。」
まず。
タケル。
「書類を。」
春海は。
すぐに差し出した。
「はい。」
職員は。
書類を見る。
「……こちらは。」
「芽衣さんのものですね。」
「えっ。」
「あっ。」
「すみません!」
「こういうの。」
「初めてで……」
職員は。
真顔で答えた。
「それは。」
「何よりです。」
「……確かに。」
そう考えると。
初めてでよかった。
書類を交換。
「今度こそ。」
「こちらです。」
職員は。
確認する。
タケルを。
別の椅子へ呼んだ。
簡単な質問。
名前。
生年月日。
確認事項。
一つずつ。
そして。
職員は。
正式な口調で。
タケルへ言った。
「それでは。」
「柴田タケルさん。」
「十三歳。」
「四月三日生まれ。」
「書類上のお名前を。」
「大沢タケルへ。」
「変更いたします。」
「よろしいですか?」
「は、はい。」
タケルの後ろ。
春海は。
もう。
ハンカチを持っていた。
目。
きらきら。
涙。
準備完了。
誇らしさ。
最大。
タケルは。
気づかないふりをした。
次。
芽衣。
芽衣は。
十二歳未満だったため。
春海も。
隣へ座ることになった。
職員は。
書類を手に取る。
読む。
止まる。
眉を寄せる。
顔を近づける。
紙を裏返す。
もう一度。
挑戦。
静寂。
春海は。
首を傾げた。
「……どうしました?」
職員は。
ゆっくり答えた。
「いえ……」
「元の姓を。」
「読もうとしているのですが……」
イギリスの姓。
長い。
子音が。
明らかに多い。
職員は。
発音しようとした。
「メイ……」
「フ、フェル……」
「フル……」
芽衣も。
一緒に。
言おうとする。
失敗。
春海も。
つられて。
笑いそうになる。
職員は。
静かに。
尊厳を手放した。
「……分かりました。」
入力する。
深呼吸。
そして。
改めて言った。
「それでは。」
「メイ・ファーンズビーさん。」
「九歳。」
「十一月二十四日生まれ。」
「書類上のお名前を。」
「大沢芽衣へ。」
「変更いたします。」
「よろしいですか?」
「は、はい!」
春海。
「はい!」
二人とも。
泣いていた。
職員は。
書類を渡しながら。
まるで。
ティッシュを差し出しているような顔をした。
タケルは。
天井を見た。
(知らない人たちだ。)
そして。
恐怖の証明写真。
「次は。」
「写真撮影です。」
静寂。
恐怖。
まず。
芽衣。
椅子へ座る。
フラッシュ。
完成。
青い舌。
大きな笑顔。
抜けた前歯。
光に驚いて。
少し細くなった目。
芸術作品。
次。
タケル。
椅子へ座る。
真剣。
眼帯を外したため。
片目は。
まだ赤い。
二〇〇二年から。
税金を払っている人みたいな顔。
でも。
写真は。
意外なほど。
立派だった。
仕切りの向こう。
春海が。
見守っている。
「うちの子。」
「かっこいいぃぃぃ……!」
撮影係は。
聞こえなかったふりをした。
まだ。
手続きは終わらない。
別の机へ移動。
タケルは。
真剣に。
署名している。
集中。
責任感。
そこへ。
一人の職員が。
近づいてきた。
少し。
緊張している。
でも。
意を決したように。
タケルへ。
小声で言った。
「ねえ。」
「君。」
「家で困っていることがあるなら。」
「今なら。」
「話していいからね。」
タケルは。
瞬きをした。
言葉を。
理解する。
春海を見る。
巨大なサングラス。
紫色の額。
即席の杖。
そして。
自分。
ギプス。
眼帯。
タケルは。
職員を見る。
少し困ったように。
笑った。
「大丈夫です。」
職員の顔。
(絶対。)
(大丈夫じゃない。)
タケルは。
自分でも。
少し笑ってしまった。
芽衣は。
署名しなかった。
春海が。
代わりに書いた。
誇らしげに。
それから。
さらに説明。
さらに確認。
春海は。
最初だけ。
真剣に聞く。
途中から。
少しずつ。
分からなくなる。
そして。
最後は。
とりあえず。
頷いていた。
やがて。
職員は。
二枚のカードを。
差し出した。
新しい。
正式な。
身分証明書。
そこには。
正しい名字が。
書かれていた。
静寂。
その瞬間の。
重さ。
春海は。
カードを。
両手で持つ。
息を吸う。
「……これで。」
「本当に。」
「家族なんだね。」
芽衣は。
春海の脚に。
抱きついた。
タケルは。
自分のカードを。
少し強く。
握った。
任務。
完了。
そして。
特別な写真。
帰り際。
職員が。
声をかけた。
「すみません。」
「皆さまのプランには。」
「記念パネルでの撮影も。」
「含まれております。」
春海。
「本当ですか!?」
「ただ。」
「撮影の際は。」
「頭の布と。」
「サングラスを。」
「外してください。」
静寂。
「……え?」
「写真撮影では。」
「着用できません。」
「で、でも。」
「手続きは。」
「全部この格好で……」
「撮影では。」
「外してください。」
タケルは。
もう。
笑っていた。
芽衣は。
春海を庇う。
「笑わないで!」
「かわいそうでしょ!」
春海は。
大きく。
息を吸った。
そして。
外した。
布。
サングラス。
現れたのは。
紫色。
腫れ。
限界まで。
疲れ切った顔。
職員は。
笑いそうになった。
堪える。
咳払い。
撮影。
結果。
全員。
笑っていた。
春海は。
顔より。
歯のほうが多く見えるほど。
大きな笑顔。
綺麗で。
感動的で。
ほんの少し。
怖い。
でも。
完璧だった。
建物を出る。
太陽は。
すでに高い。
時刻は。
もうすぐ正午。
駐車場を見る。
圭は。
運転席で。
完全に。
横になっていた。
熟睡。
春海は。
窓を叩く。
反応。
なし。
もう一度。
少し強く。
叩く。
圭は。
飛び起きた。
「えっ!?」
「何!?」
春海は。
車へ乗り込むなり。
叫んだ。
「見てぇぇぇ!!」
「二人の名前に。」
「私の名字がある!!」
身分証明書を。
見せる。
目。
輝いている。
誇らしさ。
全開。
タケルが。
横から言った。
「写真のことも。」
「話したら?」
春海は。
固まった。
「……話さなくていい。」
「話したほうがいいです。」
結局。
春海は。
説明した。
そして。
写真も見せた。
なぜなら。
一人ずつ。
記念写真を。
持ち帰ることができたから。
圭は。
笑いを堪えようとした。
本気で。
堪えようとした。
でも。
無理だった。
笑う。
盛大に。
「ごめん……」
「ごめん。」
「でも……」
「これは。」
「撮ってよかったな。」
春海は。
腕を組んだ。
「忘れられない写真になった。」
タケル。
「ひどい写真です。」
芽衣。
「きれいです!」
小さな沈黙。
安堵した呼吸。
任務。
完了。
家族は。
正式に。
ようやく。
家族になった。
春海は。
急に。
元気よく叫んだ。
「お腹すいた人ぉぉぉ!?」
一番。
お腹が空いていたのは。
春海だった。
「はい!」
「私も!」
「俺も。」
「よーし!」
「今日は。」
「特別なところで。」
「お昼ご飯にしよう!」
嘘だった。
お金は。
もうなかった。
だから。
みんなで。
路地裏の角にある店へ。
食べに行った。
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