第72話 景色でも眺めて、のんびりしよう。
【深夜】「今日は静かな夜」……のはずだった!?上司、まさかのお泊まり決定!!
— 深夜二時。
ようやく仕事を終えた黒沢。
待っていたのは、
大沢ハルミの"命がけ"の運転と、
なぜか睨んでくる近所の黒猫。
無事(?)に辿り着いた先は、
ハルミの家。
子どもたちを起こさないよう、
静かに過ごす二人だったが――
「今日はもう、仕事は見ません。」
疲れ切った上司は、
ソファでそのまま夢の中へ。
久しぶりの静かな夜。
……そう思っていたのは、
この時だけだった。
二人は。
半分眠ったまま。
マンションの階段を。
ゆっくり降りていく。
春海。
両手には。
大きな荷物。
黒沢。
目元パックは。
さっき外したばかり。
額には。
冷却シートが。
まだ少しだけ。
曲がって貼られている。
外へ出ると。
春海が。
嬉しそうに。
指をさした。
「ほら!」
「私の車!」
黒沢。
視線を向ける。
……
止まる。
一度。
まばたき。
もう一度。
見る。
春海の"車"は――
エンジン。
ハンドル。
そして。
気合い。
それだけで。
動いているような。
車だった。
塗装は。
もう何年も前に。
人生を諦めている。
ドアは。
閉まるというより。
「一応閉めますね。」
くらいの。
やる気。
シートカバーだけが。
車全体の精神を。
支えていた。
沈黙。
「……。」
「これが。」
「君の車?」
黒沢。
ものすごく。
言葉を選んだ。
「はい!」
「燃費もいいし!」
「コンパクトだし!」
「あと。」
「スピリチュアルです!」
「……。」
「スピリチュアル?」
春海。
真顔。
「祈らないと。」
「動きません。」
また。
沈黙。
黒沢。
深く。
息を吸う。
「……。」
「やっぱり。」
「私の車で行こう。」
「えー?」
「数分ですよ?」
「私の車で。」
即答。
春海。
二秒。
考える。
「……。」
「よーち。」
二人は。
地下駐車場へ。
降りていく。
真っ暗。
春海。
足元すら。
よく見えない。
その時。
ピッ。
黒沢が。
リモコンキーを押す。
次の瞬間――
ぱっ。
ライト点灯。
春海。
思わず。
目を細める。
そこにあったのは。
真っ黒な。
大きな車。
静か。
なのに。
ものすごい。
存在感。
高そう。
というより。
近寄るだけで。
怒られそう。
そんな空気。
春海。
ぽかん。
見上げる。
「……。」
「これ。」
「私が運転するの?」
黒沢。
あっさり。
うなずく。
「十分くらいですから。」
「大丈夫ですよ。」
春海。
(大丈夫かなぁ。)
少しだけ。
不安。
それでも。
助手席側へ。
回ろうとして――
「あ。」
黒沢。
首を振る。
「今日は。」
「僕は助手席です。」
鍵を。
春海へ。
渡す。
春海。
受け取る。
「……。」
「責任重大だ。」
運転席へ。
座る。
シート。
ふかふか。
ハンドル。
ぴかぴか。
車内。
いい匂い。
(すごい……。)
(高級車って。)
(こんな感じなんだ。)
黒沢。
助手席。
シートベルト。
かちゃり。
「アクセルは――」
ブォォォォォン!!
春海。
もう踏んでいた。
車。
勢いよく。
前へ。
「きゃあああっ!?」
慌てて。
急ブレーキ。
ガクンッ!!
あと数十センチで。
壁。
黒沢。
「…………。」
春海。
にこっ。
親指。
ぐっ。
「大丈夫です!」
「私に任せてください!」
黒沢。
少しだけ。
春を見る。
「……。」
「大沢さん。」
「僕のサングラス。」
「かけてます?」
「うん!」
「でも。」
「まだ。」
「夜ですよ。」
春海。
即答。
「おしゃれ!」
黒沢。
(理由になってない。)
心の中だけ。
つぶやく。
春海。
バック。
ガコンッ。
少しだけ。
勢いがいい。
それでも。
何とか。
駐車場を。
脱出した。
黒沢。
右手は。
シートベルト。
左手は。
自分の理性。
必死に。
握っていた。
「……。」
「普段から。」
「運転は。」
するんですか?」
「緊急の時だけ!」
「今回は。」
「緊急なんですか?」
春海。
真剣。
うなずく。
「もちろん!」
「超緊急!」
黒沢。
窓の外を見る。
(……。)
(もう。)
(何も聞かないでおこう。)
十分ほどして――
住宅街。
深夜。
静か。
車は。
ゆっくり。
春海の家の前へ。
止まった。
黒沢。
小さく。
息をつく。
(生きてる……。)
春海。
満面の笑み。
「着きました!」
「無事に!」
「はい。」
黒沢。
その"無事"に。
少しだけ。
引っかかる。
二人は。
車を降りる。
その時。
塀の上。
一匹の黒猫。
じっ――。
車を見る。
春海を見る。
黒沢を見る。
また。
黒沢を見る。
沈黙。
黒沢。
猫を見る。
猫。
目をそらさない。
(……。)
(責められてる。)
そんな気がした。
「……。」
「猫にも。」
「怒られてる気がします。」
春海。
猫を見る。
「あー。」
「あの子は。」
「みんなに。」
「ああいう顔します。」
「安心してください。」
黒沢。
(安心……。)
(していいのかな。)
心の中だけ。
首をかしげる。
春海。
玄関の鍵を。
そっと開ける。
からん。
小さな音。
「しーっ。」
人差し指を。
口元へ。
「子どもたち。」
「寝てます。」
黒沢。
小さく。
うなずく。
二人は。
忍者みたいに。
静かに。
家へ入った。
春海。
荷物を。
キッチンへ。
運ぶ。
そして。
押し入れから。
ふとんを。
一組。
取り出した。
「今日は。」
「ここで寝てください!」
「広くはないですけど。」
「ゆっくり休めますよ。」
黒沢。
ソファへ。
腰を下ろす。
その時。
机の上。
書類。
ファイル。
付箋。
全部。
目に入る。
まるで。
「あと少しだけ。」
そう。
呼ばれているようだった。
黒沢。
じっと見る。
書類も。
じっと。
そこにある。
静かな。
にらめっこ。
数秒後。
黒沢。
ぷいっ。
顔をそらす。
「……。」
「今日は。」
「見ません。」
そう言って。
ソファへ。
ごろん。
五秒後。
すぅ……
寝息。
完全に。
眠っていた。
春海。
くすっ。
小さく笑う。
子どもたちの部屋へ。
そっと入る。
布団を。
かけ直す。
二人の寝顔を見て。
優しく。
微笑んだ。
「おやすみ。」
小さく。
つぶやく。
そして。
自分も。
リビングで。
横になる。
家の中は。
静かだった。
久しぶりに。
何も起こらない。
そんな夜に。
なるはずだった。
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