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「『時計屋』は世界中にたくさんいる。
噂になっているのは、この地区で活動している三人なんだけど、三人とも正体がわかったの。
一人は、私の祖母の叔母。
名前は『藤井雪子』。
私が会った『時計屋』は彼女だった。
一人は、噂になっている台本を書いた人の父親の祖母。
名前は『出雲ハル』。
ご先祖様に『愛原』という人がいたらしいよ。
そしてもう一人は、あなたの従妹が会ったという、中学生男子の『時計屋』。
彼は空襲で行方不明になっていて、死亡扱いされていた。
彼の名前は、
『小野寺糸郎』
あなたの従妹ーー『小野寺真音ちゃんの遠い血縁だった。
そして、その自殺に巻き込まれた子の親戚でもあった」
今日の図書室はすごく広い。
もうすぐ冬休みに入るからか、私たち研究会のメンバーしかいない。
「彼女は名前で苦しんで自殺した。けれども『名前』に『価値』を見出してしまった以上、改名でもしない限り、生きてる間はどんな対策もできない。
だから彼女は何度もあの世界に迷い込んでいた。肉体は昏睡状態だったけれど、魂だけは自由だったから。
彼女が言ってた。
『生きてる限りどうしようもない』と。
彼女の母親は自己主張自己満足の塊で、逆らうものはみんな敵というおめでたい頭をしていたから、そんなことを言ってたんだろうね。
彼女が『名前』を嫌えば嫌う程、そこに『価値』が生まれる。
私の前で『小野寺花子』と名乗っていたのは、自分の本当の名前が大嫌いだったから。
でもそれは逆効果で……彼女は普通の人間に戻れないまま息を引き取った。
私は私の名前に不満を持っていたけれど、彼女の事例に比べれば大したことなかったわ。
彼女のことを知って、私は両親に言った。『素敵な名前をありがとう』ってね。
生まれた時はただ純粋に、まっすぐで綺麗な子になって欲しいと願いを込めてつけたらしいよ。我ながらいい名前だよ。文句言ってたのが恥ずかしいくらい。
でも彼女は……『凝った名前の方が愛が込められてるから』とか、由来にもなってない由来だった。本当に酷い話。
これでよく話し合いで済ませようとしたよね。もともと日本語通じない人に日本語で話し合いなんて無理な話だよ。そう思わない?」
五反田竜斗くん。
彼は頭を抱えて、机に額をこすりつけながら泣いていた。
「選択を間違えたのは確かだね。だけど、それでどうしてそれが、『時計屋』に会いたいなんて話になったの?」
竜斗くんは手を放し、ゆっくりと顔を上げた。
酷い顔だ。目が真っ赤に腫れてるし、顔じゅう涙や鼻水でぐしょぐしょ。
「謝りたかった……トコちゃんを、ちゃんと助けられなかった……俺が……馬鹿だったから」
彼は馬鹿だった。事態を軽く見過ぎていた。
そして彼の両親もまた、阿呆以外の何者でもなかった。
もし彼らの選択を誤らなかったら、彼女は死なずに済んだかもしれない。
もし彼女がもう少し冷静だったら、五反田くんじゃなくて警察を呼んでいたかもしれない。
仕方がないじゃないか。彼らはまだ、子供だったのだから。
「は? 謝る?」
犬飼くんが突然、聞いたことのないような声で嗤った。
「謝ってどうすんの? 『時計屋』は何も覚えちゃあいないし、謝られても迷惑なだけじゃねぇか。謝るなら『彼女』に謝れよ。なんなら『彼女』の母親の首根っこひっ捕まえて土下座させろよ。
それぐらいのこともしないで何が『僕が守る』だ。言うだけタダなんだよそんなこと!」
犬飼くんの声が木魂する。
図書室には他に誰もいない。
まるで、時間が止まっているかのよう。
けれども壁掛け時計は、確かに秒針を動かしていた。
クロノスタシスは、起こらなかった。