親子パークに潜む、まさかの黒幕
汎地球連邦・日本特区最大の親子向けテーマパークのゲート前で、アーサーはいつもの眠たげで気怠い口調でぼやきながら、手首の生体反応ブレスレットのホログラムインターフェースを指先で弾いた。
指先を滑らせ、瞬き一つすることなく慣れた手つきで数人分の年間パスを購入する。
家で待つあの女帝の限界を超えた疲弊ぶりを思えば、当分の間は専属ベビーシッターよろしく、このお嬢様方を連れてここに避難し、息抜きをさせる日々が続くことなど火を見るより明らかだったからだ。
血の繋がった実娘であるルネと義理の娘セリアの二人に加え、セリアの身を案じる友人のカレナとヴィヴィアンの二人も、当然の如くピタリと寄り添うように同行していた。
それはすなわち、アーサーの肩にのしかかる「子守り任務」の頭数も危険係数も、常人の想像を遥かに絶する領域に達していることを意味していた。
お飾りの法定夫として生きてきた彼の過去は、控えめに言っても泥水を啜るような卑屈さに満ちていた――ルネがまだほんの赤ん坊だった頃、実の父親である彼が我が子を一目抱くためだけでも、武装した屈強な近衛兵五、六人から執拗な生化学スキャンと身体検査を受け、あまつさえイレーナへ平伏して幾重もの申請書を通さねばならなかったのだ。
人の親でありながら徹底的に我が子から隔離されるという途方もない喪失感は、アーサーの心を長きにわたり打ちのめし続けた。
もしも献身的に寄り添ってくれるテレサの存在がなければ、とうの昔に酒の海へと溺れて自滅していただろう。
「パパってば……一日中家に引きこもってゲームばっかりしてそうな、カビ臭い陰キャオタクにしか見えないんだけど。」
ルネは胸の前で腕を組み、容赦のない毒舌をアーサーへと投げつけた。
成長した今となっては父親の苦難の過去も聞き及んではいるものの、幼少期の重苦しいエリート教育の最中、艱難辛苦を乗り越えて汗だくになりながら自分を抱き上げた若き日のアーサーに対し、幼い自分が放った第一声が「パパ、なんか変な匂いがして臭い」というあからさまな拒絶だったことを思い出すたび、ルネ自身も苦笑混じりの黒歴史として胸をチクチク痛ませていた。
そして今や星網で我が物顔に暴れ回り、炎上商法を乗りこなして巨万の富を築き上げている実父エルウィンの破天荒ぶりと比べれば、まさに「比べるだけ損」というものだった。
「だいたいさぁ、お前らもう全員、機械兵装を駆って空を飛び回るような歳だろ? ガキどもだけで遊びに行けばいいものを、なんでこの老いぼれを引きずり回すんだよ。」
アーサーは陽光のようなブロンドの髪を気怠げに掻き毟り、大仰にため息を吐きながら傍らのスマート自販機へと歩み寄った。
ブレスレットをかざし、アイスカフェラテを五本まとめてタッチパネルで購入する。
くるりと振り返ると、補給物資を配給する兵站係のように、後ろに控えるお嬢様方の手へと冷えた缶を順繰りに押し付けていった。
「あ、ありがとう……パパ……?」
セリアは受け取った缶を握りしめ、酷くぎこちなく、舌足らずな声音で礼を口にした。
法的な身分の上では、アーサーは間違いなく彼女の養父であり、道理からすれば「お父様」と呼ぶべき相手である。
しかし、目の前に立つこのやけに若々しく、眉目秀麗で、およそ威厳とは無縁の散漫な男を相手にすると、その呼び名はどうしても奇妙な座りの悪さを覚えさせた。
今朝がた、アーサーが言葉を尽くして宥めすかし、ようやく自分という「白銀のコアラ」をイレーナの胸元から引き剥がしてくれたこと。
そして身支度を整えて出立する間際、振り返った食卓で、あの傲岸不遜を絵に描いたような当主様が首を傾げたまま、テーブルに突っ伏して昏々と眠りこけていた光景――そこまで目にして初めて、セリアは母がここ数日でどれほど過酷に摩耗していたかを思い知らされたのだ。
だが、かつてイレーナが幾度となく自分を冷酷に突き放し、温室の外で孤独に風化させようとした記憶の数々を思い起こせば、セリアは意地を張って頬を膨らませずにはいられなかった。
過去にそれだけの借りを背負わせたのだから、今さら利息をつけて耳を揃えて返してもらうのは当然だ。
あと数日くらいはとことん駄々をこねて甘え倒し、あの高慢な母親を骨の髄まで疲れさせてやろうと、彼女は密かに心に誓っていた。
「お前ってやつは……見た目は無害な子猫ちゃんぶってるくせに、腹の中で人をいたぶる手口は母親に瓜二つだな。」
アーサーはセリアのふわふわとした銀白の髪に手を伸ばし、慈しむように、そしてすべてを見透かしたような軽口混じりの笑みを浮かべて頭を撫でた。
伊達にイレーナの側で今日まで五体満足で生き延びてきたわけではない。
こと地下の諜報網や潜伏工作の腕前において、彼はジュリアンを輩出した特務の名門ノア家すら凌駕するほどの情報屋なのだ――セリアが母親を振り回して楽しんでいるちっぽけな意趣返しなど、彼の観察眼を誤魔化せるはずもなかった。
「ま、あの生き神様みたいな女をここまでコキ使ってボロボロにできるのは、全星系を探したってお前くらいのもんだ。実の親父殿にだって成し得ない偉業だよ。」
アーサーはおかしそうに肩を竦め、親子テーマパークの上空に広がる巨大な全息スカイドームを指差した。
頭上のホログラムスクリーンには、エルウィンのフライドチキンチェーンの広告が高頻度でループ再生されていた――画面の中では、かつての上品な紳士が両手に黄金色の骨付きチキンを掲げて振り回し、「低カロリー、高タンパク、無重力ロースト」というヘルシーファストフードの理念を、見る者を煽り散らすようなドヤ顔で熱弁していた。
記憶の中にある優雅で落ち着き払った父親が、今や全星系を股にかける道化師と化している姿を目の当たりにし、セリアは苦悶の表情で両目を固く閉じた。
もはや正視に耐えない。彼女の脳裏に刻まれた父親像とは、何光年もの隔たりがあった。
「そう恥じるなよ。あいつ、数日前に星系公証役場へ駆け込んで、全財産の譲渡契約書を結んできたばかりだぞ。受取人の欄はお前の名前でびっしりだ。」
アーサーがさらりと告げた言葉に、セリアは息を呑み、雷に打たれたようにその場に立ち竦んだ。
「エスペルの屋敷で、お前が本当に息災で暮らせるかなんて誰にも分かりゃしない。あいつが星網でピエロの仮面を被ってガメつく金を掻き集めてるのはな、お前がいつかあの鳥籠に耐え兼ねて逃げ出したくなった時、陽の当たる場所で何不自由なく生きていけるだけの山を築いてやるためさ。」
科学技術が極限まで発達し、民草の生活水準が底上げされた現代社会であっても、「働かざる者、富を享受するべからず」という原則は、依然として連邦社会の根底を支える揺るぎない鉄の掟だった。
カメラの前で狂ったように笑顔を振りまくエルウィンは、セリアがエスペルの門を再び潜ったあの日から、全世界を敵に回す覚悟を完了していたのだ。
そこが人を骨まで呑み込む権力の坩堝であることを誰よりも知るがゆえに、父親としての唯一の執念として、悪名高い資本の道化に成り下がってでも、愛娘がいつでも振り返って逃げ込めるだけの退路を切り拓こうとしていた。
「……まあ、見てる限り本人が一番ノリノリで楽しんでるっぽいけどな。」
アーサーは肩を竦め、世の理を悟ったような調子で言葉を継いだ。
いま画面の向こうで見せるあの破天荒な狂態こそが、半生を抑圧されてきたエルウィンの真の魂の解放なのかもしれなかった。
「父親」という重責を背負い、押し殺してきた数多の欲望を解き放ち、誰憚ることなく欲望のままに振る舞うことは、エルウィンにとっても一種の救いなのだろう。
「だったらパパも、ついでに何か広告のアンバサダーにでも立候補してみたら?」
傍らのルネが眉をひそめ、当てつけのように皮肉を差し挟んだ。
過酷なエリート競争の中で育った彼女は、全身に棘を生やしたような素直になれない性格をこじらせていた――かつてセリアに歩み寄ろうとして学校でのいじめ紛いの愚行に走ってしまったように、目の前の父親に対しても、辛辣な軽口でしか不器用な情愛を表現できないのだ。
「俺が何を受けるってんだ? 特注の寝取られ緑帽子のイメージキャラクターか?」
アーサーは屈託のない自虐混じりの笑い声を上げた。どんなブラックジョークすら笑い飛ばすその軽妙な懐の深さに、セリアはこの金髪碧眼の、どこか貴公子を思わせる若々しい養父に対して、これまでとは異なる奇妙な親愛と信頼を抱き始めていた。
「ま、無駄口はこの辺にしとくか。」
アーサーはストローをくわえてアイスラテを一気に吸い上げると、その気怠げだった瞳の奥底に、研ぎ澄まされた冷徹な光を一瞬だけ宿らせた。
「実のところ、今日お前らをこんな人の多いパークへ連れ出した真の任務はな……ジュリアンが仕掛けた計画の『全貌』を、お前自身の手で完全に繋ぎ合わせさせるためなんだよ。」
アーサーの相変わらず気の抜けた声音は、しかし場にいた者たちの鼓膜を爆弾のように揺さぶり、ルネやカレナですら信じられない面持ちで色めき立った。
成層圏で繰り広げられたあの凄惨な死闘の裏に、軍の防諜部すら把握していない黒幕が存在するというのか。
「それ……本当なの……?!」
セリアの瞳から迷いが消え去り、全身の神経が一気に張り詰めた。
結局のところ、ジュリアンが命を賭金にして火をつけたあの大博打は、決して順風満帆とは言えない状況にあった。
数日前、ジュリアンの父親が連邦最高議会の壇上で「人類と主和派知性機械の共存」を謳う破氷法案を涙ながらに上程した際、強硬派の議員たちによって壇上で組み伏せられ、無残に暴行と侮辱を浴びせられたばかりだったのだ。
ジュリアンが血を流して穿った亀裂は確かに刻まれた。だが、偏見という名の巨大なダムを決壊させるまでの道のりは、あまりにも暗く、果てしなく遠かった。
その理不尽を思い返すたび、セリアの胸は締め付けられるように痛み、あの無二の友が払った犠牲の大きさと、報われぬ惨さに打ちのめされそうになっていた。
「嘘八百は言わねえよ。」
アーサーは口元に意味深な笑みを浮かべ、パークの雑踏をすり抜けるようにして、中枢エリアにそびえ立つ巨大な全方位没入型パビリオンの奥処へと視線を投げた。
「この親子パークの最深部に……最初の原初情報を握る『男』が潜んでいる。そいつを見つけ出しさえすれば、ジュリアンとクムが描いた計画の全容が、お前の目の前で完全に一本の線に繋がるはずだ。」
セリアは胸の内で理解していた。これは自分をパークで一日中連れ回して気を紛らわせ、疲労困憊のイレーナに休息の時間を稼ぐための、アーサー一流の方便なのかもしれない。
だが、たとえ万が一の可能性であっても、その情報が真実であるならば、彼女はこの手で嵐の裏に潜む全貌を白日の下に晒したかった。
今の彼女は、心の底から人類と知性機械が真の共存を迎える日を渇望していたのだから。
頭上の巨大なスカイスクリーンでは、エルウィンの滑稽なチキン広告が幕を閉じ、即座に緊急臨時ニュースのテロップが割り込んできた――地球連邦・イタリア特区において、極めて凄惨な知性機械による大規模武力衝突が勃発したという報せだった。
日常的なテロの嵐に晒されているのは、何も日本特区だけではなかった。
画面の中では、厳重な護衛に守られていたはずのイタリア特区選出の連邦議員が無惨にも路上で首を刎ねられ、見るも無惨な骸を晒していた。
百年に及ぶ血みどろの歴史を経て、人類陣営は知性機械の正規の強襲パターンに対して強固な防衛網を敷いていたはずだ。すなわち、これほどの防衛破綻と壊滅的被害をもたらした背後には、人類内部の内通者が手引きしていた動かぬ証拠に他ならなかった。
理由はどこまでも単純明快だった――
手厚い社会保障と平等な給与体系を謳う現代の枠組みの裏で、なぜ一部の特権階級だけが莫大な富と豪邸、名車、巨額の信託を独占し、底辺の民草ばかりが日々の過酷で危険な汚い労働を押し付けられねばならないのか。
これこそが、エスペルが民衆と同じ地平に立ち、莫大なリソースを握りながらも人民へ最低限の平穏を保障する道を選んだ理由だった。
エスペル自身が泥水を啜る底辺から這い上がった財閥であるがゆえに、富の不均衡こそが動乱を呼ぶのだと骨身に染みて理解していたのだ。
しかし、大半の特権階級にはその単純な理屈が理解できなかった。
「比較」が存在する限り、階級の軋みと憎悪の連鎖が根絶されることはない。
どれほど平和と高度なテクノロジーの美名で覆い隠そうとも、この不変の冷酷な法則は、巨大な星間社会の底底で今なお熾烈に燃え盛っていた。
「ねえ……もし人類と知性機械が本当に手を取り合えたら、人間同士の階級の溝や憎しみも、綺麗さっぱり消えてなくなるのかな……?」
セリアは顔を上げ、潤んだ青い瞳に迷いと揺らぎを滲ませて問いかけた。
「さあてな。そいつはどうだか。」
アーサーは手元のカップを揺らし、気怠げながらも核心を突いた。
「人間ってのは厄介な生き物でね、爪の先ほどの些細な擦れ違い一つで、末代まで呪い合うような憎悪を育てる。ジュリアンの坊主に至っちゃ……全人類の未来なんざ最初から眼中にねえよ。あいつが命を投げ打ってまで欲しがったのは、いつかクムが胸を張って、堂々と陽の当たる場所を歩ける世界、ただそれだけだ。」
セリアは小さく息を呑み、苦い面持ちで瞳を伏せた。
理解できた。
政治家や学者が口にする「人類愛」や「階級闘争の根絶」などという大義名分は、所詮は美しく飾り立てられた虚飾に過ぎない。
その薄皮を剥ぎ取った奥にあるジュリアンの剥き出しの執念は、最初から最後まで「クム」という名のたった一つの知性体のために捧げられていたのだ。
「それじゃあ……人間と知性機械の共存なんて、結局のところただの叶わない絵空事なのかな……?」
セリアの声には、隠しようのない無力感と落胆が滲んでいた。
ジュリアンがあの万米の空で血の花と散り、命を賭して手繰り寄せた結末がただの幻影に過ぎないのだとしたら、あまりにもその代償は惨たらしく、報われないではないか。
「そう悲観したもんでもねえさ。」
アーサーは顎をしゃくり、イタリア特区の凄惨な瓦礫を映し出すスクリーンの残骸を示した。
子らの笑い声が響き渡る親子パークの真ん中で、このような生々しい惨劇を垂れ流す光景は酷く悪趣味でグロテスクだったが、それゆえに否応なく突きつけていた――眼前を覆う平穏など、薄氷の上に築かれた脆い砂上の楼閣に過ぎないのだと。
「だからこそ、高くつくのを承知で試してみる価値があるんじゃないかね?」
アーサーはいつもの不真面目な仮面をかなぐり捨て、ブロンドの髪の下の碧眼に、大人の温もりと揺るぎない包容力を滲ませて語りかけた。
「万が一にでもその奇跡を俺たちの手で手繰り寄せられたなら、この星系で生きる連中の明日は、今よりほんの少しだけ安全になる。そう考えりゃ……少しは前に進む気力が湧いてくるってもんだろ?」
穏やかで力強いその言葉は、セリアの胸に立ち込めていた暗雲を静かに払い除けていった。
彼女は深く息を吸い込み、曇っていた双眸に再び確かな光を宿した。
アーサーの言う通りだ。たとえこの道が暗雲に閉ざされ、徒労に終わるかもしれなくとも、夜明けを手繰り寄せる可能性が万に一つでもあるのなら――ジュリアンの執念のため、そしてこれ以上誰かが引き裂かれる痛みを味わわずに済むために、真実を追い求める歩みを止めるわけにはいかなかった。
セリアはカップを傾け、ストローからアイスラテをごくごくと喉へ流し込んだ。
ショート寸前の思考回路を再起動させるための糖分とカフェインを貪り、一刻も早くアーサーの言う「原初計画を握る謎の男」を白日の下に引っ張り出したかったのだ。
だが――百戦錬磨のアーサーですら完全に虚を突かれる事態が起きた。
あちこち探し回るはずだったその最重要人物が、あろうことか向こうから、何食わぬ顔で飄々と姿を現したのだから!
「やあやあお嬢様、お久しぶりです! 俺のために最近はずいぶん大変な思いをしてるって噂、耳に入ってますよ?」
パークの沿道で子どもたちにバルーンアートを配っていた、巨大なピンク色のウサギの着ぐるみ――その男はおもむろに頭部のマスクをスポンと引き抜くと、汗ばんだ前髪を乱暴に払って見せた。
露わになったその見覚えのある顔は、数日前に成層圏の露と消え、跡形もなく消滅したはずの特務の少年――ジュリアン・ノアその人だった!
「ぎゃ……?!」
セリアは口に含んだラテを盛大に吹き出しそうになり、喉の奥から首を絞められたアヒルのような、無様でみっともない悲鳴を上げた。
歓声に包まれていたはずのパークの空気が、その一瞬で完全に凍りついた。
ポケットに手を突っ込み、苦笑混じりに事態を察していたアーサーを除き、ルネもカレナもヴィヴィアンも、まるで石化光線を浴びたかのように両目を見開き、顎が外れんばかりの顔で硬直していた。
突如として降って湧いた不条理な展開に、全員の思考が真っ白に焼き切れていたのだ。
「いやあ、俺の命懸けの大芝居もあんまり上手くいかなかったみたいでしてね。」
ジュリアンは巨大なウサギの頭部を脇に抱え、額の汗を拭いながら、まるでひとっ走り終えたばかりの学生のように朗らかな調子で言葉を続けた。
「親父からさっき通信が入って、今すぐノアの屋敷に這って戻って罰を受けろって怒鳴られまして。ちょうど今日が、このパークでのバイトの最終日だったんですよ。」
どこまでも飄々と、楽しげに笑いながらウィンクさえ飛ばして見せるそのふてぶてしい姿。
だが、その無駄に元気そうな生き証人の姿を網膜に焼き付けた瞬間、セリアの胸の内に湧き上がったのは、灼熱の怒りと底知れぬ理不尽さだった。あまりの怒気に、視界の縁が真っ赤に焼け爛れそうだった。
この期間の自分、この男の「壮絶な死」に心を粉々に引き裂かれ、夜な夜な悪夢に魘されては泣き腫らし、喉を通らぬ食事に身を削り、挙句の果てには自傷めいた意固地さで実の母イレーナと共倒れになるまで擦り減らしてきたというのに……。
蓋を開けてみれば、あの血の滲むような涙と悲愴のドラマのすべてが、ただの茶番と手の込んだ狂言誘拐ならぬ狂言死だったというのか――?!




