↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘れられたオフィウクス  作者: 酣睡


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/59

あなたのためなら、どんなに痛くても価値があるわ。

沈香の煙が静かに漂う書斎の空気には、清雅でありながらどこか重苦しい木質の冷香が溶け込んでいた。セリアはまるで庇護を求める幼獣のように、イレーナの柔らかく温かな胸元へと身を縮めていた。


彼女の頭は澄み渡る水のように冷静だった。


ジュリアンが企てたあの荒唐無稽な計画も、裏でイレーナが手を貸していなければ、あそこまで取り返しのつかない結末を迎えるはずがなかったのだ――すなわち、ジュリアンが血の山茶花と散ったあの惨劇の背後で、生殺与奪の権を握っていた黒幕こそが、この母に他ならなかった。


だが皮肉なことに、その胸に抱かれながら、セリアは自分がどうしてもこの母を憎み切れないことに気づいていた。胸を満たしていたのは単純な怨嗟ではなく、決して拭い去ることのできない巨大な謎の数々だった。


「どうしてママは、あらゆる手を尽くして私を手元に留めようとするの……? 昔は、私のことなんて要らなかったはずなのに。」


セリアはくぐもった声で、幼子のようなやりきれなさと恨み言を口にした。彼女の認識において、自分はあの追放されたオフィウクスと同じだった。


黄道の一座に名を連ねながらも、世界から数百年もの間忘れ去られ、抹消されてきた存在――生母の手によって温室の外へと放り出され、風化する歳月に置き去りにされた自らの十数年間と何ら変わりはなかった。


だからこそ、イレーナが見せる狂気じみたまでの深情けが、今のセリアにはどうしても理解できなかったのだ。


「もしかしたら、信じられないかもしれないわね?」


イレーナの声は驚くほどに柔らかく、ようやく我が家へと足を踏み入れた野良猫を怯えさせまいとするかのようだった。


その細やかな指先が、セリアの背筋を慈しむように優しく撫で下ろし、鈴を転がすような甘美な声音が抗いがたい魔力をもって響き渡る。


「あなたがこうして私の腕の中に戻ってくるまでに……私はね、もう数え切れないほど、何度も何度もあなたを失ってきたのよ。」


「何度も失った……?」


セリアは小さく息を呑んだ。記憶の断片をいくら手繰り寄せても、そこに刻まれているのはイレーナの冷たい拒絶の背中ばかりだ。


一度として抱きしめられたことすらない者が、どうして「何度も失われる」などということがあろうか。


「ええ、本当に何度も失ったわ……だから今の私には、もうあなたを手放すことなんてできそうにないの。」


イレーナは伏し目がちに、傍らに控えるシーフへ視線を送った。


意図を汲み取ったシーフは、湯気の立ち上るミルクを音もなく捧げ持った。それはセリアが屋敷へ戻って以来、毎夜必ず口にすることを義務付けられている飲み物だった。


当初は飲み終えた後の歯磨きすら億劫に感じていたが、最後の一口を飲み干し、歯を磨いてベッドに横たわれば、ものの三分と経たずに意識が底知れぬ昏睡へと沈んでいくことに彼女は気づいていた。


おそらく、極めて高濃度の神経鎮静剤か睡眠導入成分が含まれているのだろう。セリアは心の中で察していながらも、一度としてそれを口に出して咎めることはしなかった。


「ママが私に隠し事をするのは嫌。」


セリアは冷香を纏うイレーナの首筋へと顔を深く埋め、我が儘な子猫のように力任せに擦り寄せた。


幾重もの変転を経て、彼女はイレーナの急所をすでに熟知していた――外の世界では冷酷無比に星々を支配するこの財閥の主も、こと自分に対しては「情」に脆く、決して強硬な態度には屈しない。


力づくの詰問よりも、こうして弱さを見せて甘えることこそが、イレーナの心の鎧をこじ開ける最も鋭利な刃なのだ。


「私の可愛い子……一体何が知りたいのかしら?」


イレーナの紫の瞳に、溶け切らない濃厚なまでの溺愛が浮かび上がる。両腕を回し、腕の中の少女を己の胸板へと寸分の隙間もなく抱き締めた。


セリアに対するその偏愛は、とうに常軌を逸していた。汚濁に塗れた一族の権力をセリアに触れさせるつもりなど毛頭ない。


彼女の望みはただ一つ、自らの庇護の翼の下で、セリアが永遠に無垢で無邪気なカナリアであり続けることだけだった。


ただ、目前に迫る星間チェスの盤面はあまりにも険悪を極めていた。


セリアにはオフィウクスの力を正しく掌握させねばならず、自らの絶対的な庇護の下にあってこそ初めてすべてを手に入れられるのだと――あの時、ジュリアンの命を救えたか否かも含めて――骨の髄まで分からせる必要があった。


「どうしてママは私にそこまで執着するの? 『何度も失った』って、一体どういう意味? 真実を知りたいの。」


セリアは潤んだ青い瞳を上げ、甘えた声音の裏に寸分の退路も許さぬ切迫感を込めて問い詰めた。


答えを渇望するその瞳に、イレーナの凍てついた心湖が大きく揺らめいた。だが理性がその喉元を締め上げ、瞳の奥にほんの一瞬の躊躇いが過る。


「ママは、私のことなんて愛してないんだ。」


セリアは拗ねたように唇を尖らせ、その温もりから強引に抜け出そうと身じろぎした。


「――セリア!」


我に返ったイレーナの顔色が激変した。反射的に抗いようのない力で少女を引き戻し、その指先は力みのあまり白く強張っていた。


激しく波打つイレーナの胸に押し付けられながら、セリアは暗闇の中で音もなく目を見開いていた。


乱れる母の心拍を聞きながら、彼女はイレーナが途方もない秘密を隠していることを確信した。


この狂気じみた執念の源流を突き止めねばならない――母が何を恐れ、何を経験してきたのかを知ることこそが、自らを取り巻くすべての謎を解き明かし、ジュリアンが命を懸けて仕掛けた賭けの全貌を理解する唯一の鍵なのだから。


「セリア……あなたには本当に、その真実の重みを受け止める覚悟があるのかしら?」


イレーナは瞳を伏せ、その端正な顔立ちに滅多に見せることのない本物の憂慮と逡巡を浮かべた。


彼女が背負い続けてきた記憶はあまりにも重く、あまりにも狂気に満ちていた。叶うことなら、この闇は自らの血肉の中だけに永遠に封じ込めておきたかったのだ。


「私……自分の親友を、この手でミンチにしてしまったんだよ。」


セリアは母の底知れぬ蒼穹の瞳を真っ直ぐに見据え、気味の悪いほどに平然とした声音で言い放った。


「今の私に、これ以上怖いものなんてあると思う?」


イレーナの心の扉をこじ開けるため、セリアは完全に腹を括っていた。


彼女は心の中で、亡きジュリアンに深く頭を垂れた――このような局面で彼の死を交渉材料に使うなど、酷薄で不実な行為に他ならない。


だが今この瞬間だけは、天国のジュリアンから、深淵を直視するための最後の勇気を借り受けるしかなかったのだ。


「あなたがそこまで言うのなら……」


セリアの口からこれほど血生臭い告白が軽々と飛び出したことに、イレーナは明らかな驚きを隠せなかった。


セリアは幼少から殺戮を叩き込まれてきたルネとは違う。その少女がこの表情でこれほどの言葉を吐けるということは、あの惨劇を経て、ある種の危険な変容を遂げつつある証左に他ならなかった。


長い沈黙と逡巡の末、イレーナはついにすべての仮面を脱ぎ捨て、魂の底に沈めていた執念の一端を明かす決断を下した。


「シーフ、地下中枢通路を開放しなさい。」


控えていたシーフの身体が、一瞬だけ微かに強張った。


その瞳には必死に押し殺した拒絶と畏怖が走る。だが主の命が絶対であることを弁えている彼女は、無言で深く頭を下げると、足音もなく書斎の最深部にそびえ立つ高さ六メートルの巨大なマホガニーの本棚へと歩み寄った。


シーフは白手袋に包まれた指先を伸ばし、淀みのない所作で、十冊の黄ばんだ羊皮紙の古書を棚の奥へと寸分狂わず押し込んだ――


カチリ。


静まり返った部屋に、極小の精密機械が噛み合う清澄な音が響き渡った。


次の瞬間、古風で重厚に見えた巨大なウォールナット本棚の木目の継ぎ目から、高周波光学アレイが一斉に眩い青藍の光条を放った。


本棚は力任せに押し開かれるのではなく、微かな油圧バルブの減圧音と共に、まるで精緻なルービックキューブのように非線形を描いて音もなく分解され、両脇へと層を成して沈降していった。


木目の偽装が剥がれ落ち、現れたのは厚さ数十センチにも及ぶ、冷徹な鈍色を放つ重装甲防護ゲートだった。


メインロックのシリンダーが重々しく回転して解錠されると、巨大な合金扉が音もなく左右へ滑り、地底の深淵へと続く螺旋状の反重力浮遊通路がその全貌を現した。


通路の内部には、古城特有の陰湿さや埃っぽさは微塵もなかった。


両脇の冷合金の壁面には流れるような深青色の誘導ライトが埋め込まれ、足元には反重力フィールドによって完全に宙へと浮遊する暗銀色のステップが連なっている。


高純度エアフィルターを通した冷気と重電イオン特有の引き締まった香りが立ち込め、古典の重みと極限のサイエンスが鮮烈な火花を散らしていた。


セリアは目を見張り、驚愕の色を隠せなかった。


歴史あるこの古い屋敷の隠し通路など、せいぜい旧時代の貴族が使ったような薄暗い石階段程度だと思い込んでいたのだ。


まさか沈香と古書の帳の裏に、恒星間母艦の中枢ブリッジに匹敵するほどの禁忌の領域が隠されていようとは夢にも思わなかった。


イレーナはセリアを下ろそうとはしなかった。


腕に力を込め、お姫様抱きの姿勢のまま少女を己の胸へとしっかりと抱き止めると、優雅で寸分の乱れもない足取りで、青い光に抱かれた地下通路へと歩を進めた。


浮遊する足場が微かな低周波の唸りを立てる中、イレーナは冷たい顎をセリアの頭頂へとそっと預け、静かで温かな声を長い回廊へと響かせた。


「実はね……【オフィウクス】は、軍が定義する黄道十二宮の機体系列には完全に属していないの。その真の出自は……歴史の闇へと完全に葬り去られた【忘却系列(ロストシリーズ)】なのよ。」


「忘却系列……?」


セリアは顔を上げ、訝しげに眉をひそめた。軍工財閥が手掛ける機械兵装の区分は厳格を極めるはずだ。同一世代の機体に、隠された重複系列などが存在し得るのだろうか。


「忘却系列として開発された機体群はね、人類の歴史において確かに実在し、規格外の力を誇りながらも、政変や人為的な抹殺、あるいはルールの改竄によって世界から忘れ去られた名辞を冠しているの。」


イレーナは彼女を抱いたまま歩を進める。青藍の光がその怜悧で美しい横顔を照らし出し、息を呑むほどの威厳を際立たせていた。


「繁栄を極めながら火砕流の底に永遠に封印された古都【ポンペイ】や、かつて九大惑星の座に列しながら一枚の条約によってその名を剥奪された死の星【プルート】のようにね。そして、十三番目の理外の存在である蛇遣い座【オフィウクス】もまた……この禁忌の系列における、決して欠くことのできない神殺しの刃なのよ。」


イレーナが淡々と語れば語るほど、その言葉の端々から滲み出る見えない重圧が、セリアの背筋を凍りつかせていった。


彼女は気づき始めていた。イレーナがわざわざこの忌み名を口にしたのは、この権勢を誇る母が深淵の底に隠し続けてきた真実が、この地下室の中央にこそ封じられているからなのだと。


浮遊階段を降り立った先には、息を呑むほど広大な、まるで超大型戦艦の格納庫を思わせる静寂の空間が広がっていた。


そして、青い誘導光が収束する空間の中央に、視界を圧迫する巨大な漆黒の影が、突如としてセリアの網膜を焼き尽くした。


通常の機械兵装は、パイロットの意識と神経脈衝を同調させる生体反応装置を搭載する都合上、人間の精神が耐えうる生理的限界に合わせて全高が厳格に制限されている――敏捷性を極限まで高めたオフィウクスが十六メートル、重武装の砲撃要塞であるウォッチャーであっても二十メートル前後が限界だった。


しかし、目の前に佇むその巨躯は、目測でおよそ三十メートルを遥かに超えていた。


物理常識を嘲笑うかのようなその巨大さは、同調時にパイロットの神経系へ破滅的な負荷を強いることを意味していた。


だが引き換えに、その神話的なフレームの内部には、既存の物理法則を粉砕するほどの超弦動力炉、超並列演算マトリクス、そして規格外の兵装を呑み込むことが可能となるのだ。


「これが忘却系列の原典にして最初の機体……名を【リリス】というわ。」


イレーナの囁きが静寂のドックに木霊し、どこか巡礼にも似た凄愴さを帯びて響く。


「この世界で……一番最初に歴史から削ぎ落とされ、完全に忘れ去られた名前よ。」


セリアは呼吸を止め、見上げるようにしてその眠れる魔神を凝視した。


三十メートルもの威容を誇りながら、その外殻はどこまでも優美で、同時に危険なまでの女性の肉体美を描き出していた。


しなやかな上半身は黒曜石のように深みのある紫黒の装甲に包まれ、頭部アンテナは斜めに被った貴族のシルクハットを思わせ、双眸のセンサーを冷ややかに隠している。


腰から下へと広がる重装甲スカートは、夜会を彩る壮麗にして冷酷なイブニングドレスの裾野そのものだった。


深曜紫黒と古美金のラインが流麗な装甲の継ぎ目を複雑に走り、息の詰まるような高貴なる捕食者の美学を放っている。


そして何より目を奪うのは、背後に静かに浮遊する、時計の針を模した十二枚の合金プリズムからなる光輪だった。完全に停止しているはずのその周囲でさえ、重力と時間の歪みによって光条が奇妙な螺旋を描いていた。


「リリスの主兵装は、因果を絶対的に偏向させる【時間トポロジー装甲】……そしてそのコクピット中枢は、それ自体が完全な『タイムマシン』として機能するの。」


「タイムマシン……?!」


セリアは思わず叫び声を上げていた。現代の物理学会において、因果律の干渉や時間跳躍は数式の中にのみ存在する空想の産物とされていたはずだ。


宇宙の理に背くこのような禁忌の遺物が、理論を飛び越え、すでに形を成して目の前に実在しているなど信じられなかった。


「ええ……」


イレーナは小さく息を吐いた。その落ち着き払った声の奥底から、胸を締め付けるような濃厚な哀傷が静かに溢れ出す。


「そして私がリリスの力を使い、次元を越える『タイムリープ』を敢行したのは……今日に至るまで、実に十三回に及ぶわ。」


イレーナの双眸を過った底知れぬ痛みに触れ、セリアの心臓が激しく軋んだ――彼女には直感できていた。数百年にも及ぶこの狂気の豪賭の、唯一の引き金であり元凶こそが、自分自身なのだと。


青ざめるセリアの顔からすべてを悟り、イレーナは疲れ果てた、けれど狂おしいほどに甘やかな苦笑を唇に浮かべた。


「過去十二回の世界線において……私がどれほどの軍勢を動かし、どれほど鉄壁の守りを固めようとも、あなたが二十歳を迎えた瞬間、ありとあらゆる不可解な『事故』によって、あなたは例外なく命を散らしていったのよ。」


「二十年、また二十年。」


イレーナはセリアの冷え切った頬を見つめた。その平淡な声音のひとこと一言が、数百年分の鮮血を吸い込んだ鉛のように重く響く。


「この呪われた運命をねじ伏せるため、私は十二回にわたってリリスを起動し、時空を裂いてあなたを産み落としたあの日の産褥へと戻り続けた……骨が軋むほどの激痛に耐えてあなたを出産し、何もない暗がりの中で、心を鬼にして幼いあなたを突き放して別れを告げ、それからの二十年間を暗躍に費やしては、あなたの命を脅かすあらゆる火種を根絶やしにしてきたの。ただ二十歳のあなたが再び壊れるのを防ぐためだけに。」


生き地獄というべき二百四十余年の歳月。


幾度となく味わわされた我が子との引き裂かれる苦痛。


幾度となく産褥と血溜まりの中で、同じ愛娘が冷たい骸へと変わる様を見届け、幾度となく定命の身でありながら時間の逆流による神経崩壊に耐え忍んできた――人間の精神の限界を遥かに超越したその代償の重さに、セリアの胸は万力で締め上げられたかのように圧迫され、恐怖と衝撃の冷たい奔流に呑まれて呼吸すら奪われていた。


「何度もあなたの死を見届け、何度もあなたをこの腹から産み落とし……そうして迎えた十三回目のこの世界で、あなたがオフィウクスのシートに座ったことで、定められた死の軌道にようやく僅かな綻びが生じたのよ。」


イレーナは身を屈め、いつの間にか涙で濡れそぼっていたセリアの頬へと、愛おしそうに唇を寄せた。


この真実の重みがどれほど残酷か、少女の無垢な心を粉々に砕くほどの猛毒であることは百も承知だった。


だが、この子が自らの執念の源流を望んだ以上、数百年分の輪廻と血涙で織り上げられたこの狂気の母性こそが、背負うべき唯一の宿命だった。


「ママ……痛かったでしょう……?」


セリアの声は完全に掠れ、途切れ途切れの嗚咽が喉を塞ぎ、涙が止めどなく溢れ出していた。


この瞬間、彼女はジュリアンが最期に遺した言葉の真意を悟ったのだ――イレーナやカレナが、自分のためにどれほど常軌を逸した深淵にまで手を染めてきたのかを。


そして「愛」という名の感情が、ひとりの人間をどれほど果てしない狂気へと叩き落とすのかを、血を流すような生々しさで理解した。


「痛かったわ……けれど、それだけの価値があった。」


イレーナは瞳を伏せ、どこまでも甘やかに呟いた。


最初の世界線における三十六年の歳月から、その後に続いた十二度の凄惨な輪廻、そして十三度目の今、心血を注いでセリアをオフィウクスへと導いた現在に至るまで……すべてを合わせれば、彼女は途方もない苦痛の海を、たった一人で三百年近くも泳ぎ続けてきたのだ。


三百年に迫る歳月の中で、幾度となく繰り返された分娩の激痛、骨肉の別れの絶望、そして愛娘の惨死という狂気。


これほどの永劫の責め苦に晒されれば、並の人間であれば魂ごと微塵に砕け散っていたはずだった。イレーナはとっくの昔に狂っていたのだ。


ただ「母性」という名の執念だけが、彼女に理性を保たせ、呼吸を続けさせる唯一の楔だった。そして彼女にとっては、いまこうして温もりを持つ我が子が腕の中で息をしているだけで、支払ってきた血塗られた代償のすべてが報われていた。


「愛しているわ、セリア。」


イレーナの瞳に底知れぬ深情けと独占の炎が揺らめき、頭を垂れると、セリアの額へ慈しむように口づけを落とした。


「愛なんてものはね……元より崇高などではなく、醜く利己的なものよ。けれどそれは、人の骨の髄と魂の奥底に、消えない烙印を刻みつけるだけの力を持っているの。」


腕の中で震え、崩れ落ちる少女の体温を抱き締めながら、イレーナは心の中でどこか困ったように、けれど愛おしげに吐息を漏らした――どうやら今夜は、真実の重みに心を砕かれたこの愛しい宝物を再び安らかな夢路へと導くために、一晩中付き合ってあやしてやらねばならないようだった。

今朝、台湾の出生率に関するニュースを目にしました。

今年の台湾の出生数はどうやら10万人を割り込む見込みだそうで、台湾のネット上では大きな騒ぎになっています。


日本や韓国の状況と比較して議論する声もたくさん見かけました。


でも、私の知っている日本の友人たちを見ていると、そこまで焦っている様子はないんですよね。少子化という問題に対して、台湾ほどピリピリしていないというか、意外なほど落ち着いているように見えます。


このどこか「なるようになるさ」といった日本人の受け止め方は、一体どこから来ているんだろうと、時々不思議に思ったりします。少なくともここ台湾では、多くの人がこの少子化の現実にかなり強い危機感を抱いているようです。


……そういえば私自身、手術を受けてすでに生殖機能をなくしている身だったりします。


一人の国民として、私は完全に「脱走兵」ってことになっちゃいますかね?(笑)


By. 酣睡 台湾・西門 13:18 P.M.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。