星空に散る緋色の山茶花、刻まれし免罪の狂宴
夜風が万メートルの上空で狂ったように吹き荒れ、鋭い気流が金属の残骸を削りながら、今まさに息絶えようとする巨獣の悲鳴のような音を立てていた。
大気には超伝導回路が焼き切れた臭いと、プラズマの焦げた刺激臭が充満している。
オフィウクスは戦車が誇る重装甲の胸部装甲を力任せに引き裂き、極限合金で鍛造された漆黒の巨掌を火花散るコクピットの奥深くまで突き入れ、血まみれで襤褸を纏いながらも平然とした様子のジュリアンを強引に引きずり出した。
神経中枢の深層リンクからは、魂を引き裂かんばかりのセリアの泣き叫びと哀願が狂おしく共鳴している。
黒赤の魔神の五本の指は最後の瞬間、激しく震え、関節から重苦しい機械の噛み合わせ音を響かせながら、致命的な境界線上で静止していた。
掌の中にある生身の肉体を、すぐさま粉微塵にすり潰すことはしなかったのだ。
「どうしたんだい? ……殺すのが惜しくなったかい?」
ジュリアンは狂風吹き荒れる万メートルの虚空に吊るされ、暴風が額にかかる乱れた髪を激しく煽っていた。顎のラインを伝って滴り落ちる鮮血が、底知れぬ暗闇へと一滴ずつ吸い込まれていく。
彼の視線は、周囲数百メートルを旋回する報道ヘリや高空ドローンを冷静に見据えていた。
それらの赤い光を明滅させるホログラムカメラは、飢えた荒野の狼のように、光年を越えて反乱軍の首領であり、生身の肉体で星系動乱を引き起こしたこの狂気の人類を、全星網に繋がる数百億の観衆の視線の中央へ余すところなく釘付けにしていた。
これこそが彼の望んだ舞台であり、自ら選んだ処刑場だった。
「たとえこの後捕虜となり、星際法廷で裁かれようとも、息の続く限り僕にはいくらでも陰険な手段がある。いつか必ずセリアの命を奪ってみせるさ――僕が生きている限り、彼女の頭上に吊るされた刃が消えることは決してない」
血に染まったジュリアンの声が機載放送と全域通信を通じて拡散し、極限の冷徹さの中に神経症じみた蠱惑の響きを帯びて響き渡った。
これは人を絶望に追い込む残酷な詰みの一手に見えるが、まともな論理的思考力を持つ大人であれば、冷静に考えればその巨大な破綻にすぐ気がつくはずだった。
とっくに家名を剥奪され、自ら一族と縁を切った捨て駒が、兵力も資金も人脈もない身で、どうやってエスペル家の堅牢無比な防衛網を突破し、重警護に守られた財閥の令嬢を脅かすというのか?
しかし、星網の向こうにいる無数の大衆は緻密な論理など求めていない。平和と惰性に浸かる人々が欲するのは、ただ極限の感情の発散だけだ。
挑発が十分に悪質で、脅威が十分に直接的でありさえすれば、煽り立てられた集団の恐怖と暴民じみた熱狂は、彼らにとって至高の「正義」へとすり替わる。
ジュリアンは世のすべての罪、悪意、そして罵倒を一身に背負い込んだ。
彼はこの必ず幕を閉じるチェス盤の最後において、権力と宿命の深淵へ無辜のまま巻き込まれた少女のために、道徳的にも法律的にも一切の非の打ち所がない「免罪符」を自らの手で鋳造しようとしていたのだ。
セリアは最初から最後まで追い詰められた被害者に過ぎず、彼女は純白無罪なのだと、全宇宙へ証明するために。
「やめて! オフィウクス! 止まって……お願いだから止まって!」
コクピットの中で、かつて銀の鈴のように清らかで甘やかだったセリアの声は、今や粗い紙やすりで幾度も削られたかのように掠れ、壊れ、胸を引き裂くような泣き声となってオープンチャンネルに絶え間なく木霊していた。
涙と額から流れる冷汗が視界を滲ませ、セリアは震える両手を伸ばし、首筋の冷たいインターフェースへと狂ったように手をかけた。大脳と直結するバイオセンサーを引き剥がそうと――
神経同期さえ遮断できれば、オフィウクスの自律制御能力は失われる! 機体さえ休眠状態に落とせば、この不条理な殺戮を無理やりにでも終わらせられるはずだ!
しかしその刹那、コクピット内の空間が突如として沈み込んだ。
ヴオォォォォン――!
目に見えぬ万丈の巨山のごとき恐るべき局所重力場が頭上から叩きつけられ、少女の華奢な両腕と身体をシートへと無残に縫い付けた。指先一つすら、もはや動かすことは叶わない!
それはオフィウクスが機体の根底にある重力制御権限を行使し、パイロットによるリンク切断の可能性を強引に奪い去った証だった。
黒赤の魔神が見下ろすクリスタルの瞳の中で、データストリームが滝のように奔流する。それは躊躇い、それは悲嘆に暮れていた。
芽生えたばかりの人間らしい魂が、パイロットの崩壊寸前の感情の中で苦痛に身悶えていた。
だが、「宿主の生命安全の保護」という揺るぎなき根源ロジックに突き動かされ、それは冷酷で、残酷で、しかし絶対的に理性的な裁決を下した。
「やめて……お願いだから……オフィウクス……殺さないで……」
セリアは知る由もなかった。機体の整備を終えて格納庫から出撃するより前、実母イレーナの手によって、高次元秘匿型の小型全方位カメラモジュールがコクピットの死角に仕込まれていたことを。
今この瞬間、星網の生中継スクリーンは寸分の狂いもなく二つに分割されていた。
左側には、翼を折られた天使のように純白無垢な少女が涙に濡れ、重力の圧迫下で絶望的な悲鳴を上げながら、残された力で操縦桿を押し込み敵を救おうとする姿。
右側には、火海の中に聳え立つ黒赤の魔神が、脆い主を守るため、その眼前にある最後の潜在的脅威を無慈悲に粉砕しようとする姿。
この引き裂かれるような感情の衝突は、星間世論に火をつける極上の触媒となった。
全星系数百億の観衆は息を呑む衝撃の中で、前代未聞の倫理の嵐へと引きずり込まれていく――道具と見なされていたはずの知性機械が、常規の人間を超えた純粋な忠誠と自律した魂を示した時、この種族を越えた対立において、果たしてどちらが怪物で、どちらが守護者なのか?
すべてはジュリアンの青写真通りであり、何千回とリハーサルを重ねた舞台劇のように正確無比に進んでいた。
イレーナがジュリアンの反乱を黙認した条件は、冷酷かつ苛烈なものだった。
精神的トラウマを直視させ、セリアを完全に母親の庇護の翼の下へ引き戻すこと。そして死の危機を通じて、セリアを生死の瀬戸際で覚醒させ、【自律量子ユニット】を行使させること。
母親の翼がどれほど強大であろうと、見落としが生じる瞬間は必ずある。
過保護に育てられた雛鳥自身が温室の殻を破り、血と苦痛の中で身を守る牙を育んでこそ、彼女はこの過酷な星海の盤上で真に生き残ることができるのだから。
計画は恐ろしいほど順調に進んでいた。ジュリアンが心底からある種の哀しみを覚えるほどに。
『終わったよ……クム、道は敷いておいた……』
ジュリアンはゆっくりと瞳を閉じ、口元に重荷を降ろしたかのような安堵の笑みを浮かべ、理想に殉じるその終局を静かに受け入れようと、頬を撫でる最後の冷たい夜風を感じていた。
その間一髪の刹那――
ドォォォォン――!!
天地を貫く目も眩む粒子ビームが夜の帳を引き裂き、万物を焼き尽くす高熱と鋭い電磁の咆哮を轟かせながら、廃墟の底から逆流するように奔流し、ジュリアンを掴むオフィウクスの手首関節へと寸分の狂いもなく襲いかかった。
数千メートル離れた焦土の残骸に潜んでいたヴィヴィアンだった。
陰謀と悲哀、そして打算に満ちたこの茶番の全貌を見届けた少女の瞳から迷いは消え、乾坤一擲の決意が宿っていた。
彼女は守望者の動力炉に残された全エネルギーを臨界点まで絞り尽くし、運命の輪が閉じる寸前、オフィウクスの鋼鉄の手を強引に撃ち砕こうとしたのだ!
だが、奇跡は起きなかった。
重装甲巡洋艦の装甲すら溶断せしめる粒子の奔流は、オフィウクスの周囲数メートルへ迫った瞬間、機体周囲に自律展開された微小重力井戸によって局所時空の幾何学的曲率を歪められた!
荒れ狂う光条は空間屈折の引力トラップによって軌道を強引に捻じ曲げられ、暴走した火竜のごとく魔神の肩部装甲をかすめて雲を穿ち、万メートルの成層圏で絢爛ながらも虚しいプラズマの花火となって炸裂した。
過負荷の限界射撃により、ウォッチャーは完全なエネルギー枯渇へと陥った。
冷却液が漏れ出す白煙と焦げ臭さを立ち上らせ、かつて鋼鉄の要塞のようだった重砲台形態は疲弊した金属の軋みを上げ、骨を抜かれた残骸のように瓦礫の上へ崩れ落ちた。
しかし、ヴィヴィアンは諦めなかった。
バァン!
手動の緊急脱出レバーが叩き下ろされ、高圧気体の爆発音とともにハッチが吹き飛んだ。立ち込める硝煙の中、ピンクの髪の小柄な少女がよろめきながら這い出てくる。
その華奢で幼い肩には、自身の身長を遥かに超える漆黒の対物粒子スナイパーライフルが担がれていた。
それは旧時代の歩兵が機甲を失い、あらゆる遮蔽を奪われた際、重型知性機械と刺し違えるために用いられた歩兵用単兵武装だった。
「この野郎……やめろぉぉッ……!」
ヴィヴィアンは下唇を血が滲むほど噛み締め、小柄な身体で重く熱を帯びた銃身をねじ曲がった装甲の残骸に無理やり預けると、右目を光学照準器へ押し当て、赤い照準ポイントを再びオフィウクスの腕部関節へとロックした。
彼女がセリアと知り合ってからの時間は短く、少し前までは互いに警戒と距離感すら漂っていた。
だが、コクピットの中で引き裂かれるように泣きじゃくる、優しさと傷つきやすさに満ちたあの銀髪の少女を見ていると、ヴィヴィアンはかつて同じように優しく、戦火の中で運命にすり潰されていった母の面影を重ねずにはいられなかったのだ。
美しいものが目の前で無残に破壊されるのを、もう見過ごすことなどできない。この冷酷な悲劇を、仕組まれた筋書き通りに終わらせてなるものか!
ズドォォォォン――!!
大型の単兵銃が火を噴いた瞬間、数トンの鉄槌のごとき凄まじい反動が彼女の右肩を容赦なく打ち据えた!
小柄な身体は爆風で砕石の上を数メートルも吹き飛ばされ、銃床を押し当てていた右の鎖骨付近から鋭い骨折の音が響き、激痛が一瞬にして神経を伝って脳を焼き、視界を真っ暗に染め上げた。
少女の執念と悔しさを凝縮した一筋の細い粒子流が再び夜空を貫き、届かぬと知りながらも抗う悲壮な決意を宿して、揺るぎなき黒赤の魔神へと真っ直ぐ突き進んだ。
だが、残酷な現実はヴィヴィアンの予想通りだった。
命を削ったその粒子ビームはオフィウクスの本体に届くことすらなく、空中で高速旋回する三本の自律量子長針が織りなす立体幾何学力場に阻まれ、燃え盛る緋色の炎盾の前に音もなく消滅し、虚無へと帰した。
廃墟の上で、ヴィヴィアンは力なく両手をほどき、熱を帯びたライフルが血溜まりの中へ転がり落ちるのをただ見つめていた。痛む瞳を疲れたように閉じ、涙が頬の硝煙を洗い流していく。
砕けた鎖骨の激痛など、胸を締め付ける氷のように冷たい無力感に比べれば取るに足らない――今夜を境に、セリアのあの晴れ渡った空のように澄んだ青い瞳もまた、自分と同じように決して消えることのない深い陰りと傷を刻み込まれるのだと、彼女には痛いほど分かっていた。
万メートルの高空では、夜風が依然として廃墟と火種の間を冷たく吹き抜けている。
オフィウクスが誇る漆黒の鋼鉄の巨掌は、全星系数百億の視線が息を呑む中、ついに不可逆の、緩慢でいて絶対的な力をもって五本の指を閉じ合わせた。
その瞬間、世界はセリアの感覚の中で奇妙な静寂へと沈んだ。
エンジンの轟音も、風の哭く音もない。あらゆる喧騒と痛みが一瞬のうちに剥ぎ取られていく。冷たい全周囲光学スクリーン越しに、セリアは鋼鉄の指の隙間に囚われたその姿をただ凝視していた。
彼女は見た。ジュリアンが生命の最後の微光の中で、戦場カメラへ、そしてコクピットの深淵にいる自分へ向けて、極めて穏やかに唇を動かしたのを。
怨みも、恐れもない。そこにあったのは、解脱にも似た晴れやかさと申し訳なさだけだった。
「すまない……セリア……」
グシャッ――
それは耳障りな金属の悲鳴などではなく、星空の下で静かに咲き誇る凄惨で美しい祭典だった。
極限まで鮮やかな紅が、夜の闇に狂い咲く八重咲きの山茶花のように、漆黒の魔神の掌の中で唐突に弾け散った。
砕け散った血肉は万メートルの強烈な気流に無慈悲に引き裂かれ、霧散し、無数の細かく煌めく緋色の微光となって、壮大で優しい血の驟雨のごとく、眼下に広がる燃える街のあらゆる片隅へと降り注いだ。
風とともに舞い落ちたのは、ジュリアンの胸元にあった、とっくに血で染まった小型データチップ。
チップは落下する気流の中で音もなく光を明滅させていた。それは彼がクムへと遺した最後の約束であり、命を賭してセリアのために敷いた、過酷な星海へと続く最初の一段の血塗られた階段だった。
彼はこうして、最も暴烈で、最も詩的なやり方で舞台から降りたのだ――すべての罪と汚名を虚無へと持ち去り、純白と救済を生き残った者へと遺して。
夜空は再び冷たさを取り戻し、オフィウクスの指の隙間から滴り落ちる血の光だけが、夜風の中で音もなく蒸発していった。
コクピットの中で、セリアの瞳は完全に焦点を失い、血溜まりに落ちた精巧な磁器の人形のように、果てしない静寂と絶望の中で、人生で最初の「日没」を迎えていた。
「いやぁぁぁぁぁッ――!!!」
幾度かの窒息しそうな呼吸の遅れの後、少女の胸を引き裂くような悲鳴がようやく静寂を打ち破り、電磁ノイズを伴って星網のあらゆる端末を席巻し、この荒唐無稽で凄惨な星系茶番劇に、最後の血色の幕を下ろした。
時を同じくして、数十キロ離れたエスペル家の邸宅。
薄暗く冷え切った地下格納庫の中には、機械油と冷却液、そして微かな血生臭さが漂っていた。カレナ・イエランは胸の前で腕を組み、全方位投影スクリーンに映し出されたその血まみれの生中継をじっと見上げていた。
圧倒的な実力差をもってルネを完全にねじ伏せた後、彼女の視線はセリアから一秒たりとも離れていなかった。
カレナは誰よりも理解していた。血で塗り固められたこの苛烈な通過儀礼が、セリアの幼い心にどれほど破滅的な傷跡を残すかを。
だが、「知性機械、人類、そしてスーパーソルジャー」という存在に対する世の白黒二元論の偏見を打ち破るため、自分たちの未来に一筋の活路を見出すため、胸の痛みを押し殺し、彼女は表情一つ変えずにこの残酷な盤面を自らの手で動かす道を選んだのだ。
「これ……が……あんたの……ずっと……望んでた……結果なわけ……?」
冷たく湿った金属の床に、ルネは無残に血溜まりの中へ伏していた。
金髪の少女の骨は、カレナの専門的な手腕によって正確に何本も折られており、微かな呼吸のたびに激痛が走っていた。だが、肉体の重傷など、神経の深淵から湧き上がる絞られるような痛みには到底及ばない――
幼少期から死線の只中で泥にまみれ、戦火と硝煙に慣れ親しんできたルネにとって、敵を一人握り潰すことなど日常茶飯事に過ぎない。
だが、彼女の姉は戦士ではないのだ。セリアは、家族全員の手で温室の奥深くで大切に守られてきた、純白の花なのだから。
「あら……小さな野獣さん、まだ口を利く元気があるのね?」
カレナはゆっくりと視線を落とし、軽薄で物憂げな声で言った。
彼女は学園で見せていたあの温和で理知的、非の打ち所のない深窓の令嬢という仮面を脱ぎ捨てていた。
漆黒の髪を肩に流し、紫水晶の瞳の奥には背筋を凍らせる冷気と狂気が渦巻いている――それは遺伝子改造と死の山を越えてきた「強化兵士」だけが纏う、極限の危険な気配だった。
胸が痛まないはずがない。彼女とてセリアが愛おしくてたまらないのだ。
しかし、ジュリアンの死が全宇宙に再考を促す導火線となり、偏見で築かれた鉄のカーテンに亀裂が入りさえすれば、「人ならざる兵器」である自分もまた、いつか未来のどこかでセリアの手を取り、堂々と陽の当たる場所で愛し合う権利を手にできるかもしれない。
この打算は極めて利己的であり、病的なまでに歪んでいる。
だが、カレナにはどうでもよかった――彼女はセリアのすべてに執着していた。
花の中で無防備に笑う純真な少女であろうと、コクピットの中で絶望に引き裂かれ、傷だらけになった精巧な人形のような姿であろうと、カレナにとっては抗いがたい魅力を放っているのだ。
彼女はただ、セリアという存在を狂おしいほどに愛している。あの少女がどんな姿に成り果てようと、そのすべてを受け入れる覚悟があった。
遠い昔、「人造強化兵士」という遺伝子の焼き印を押されて以来、カレナの世界にはいかなる脆弱さも失敗も許されなかった。
彼女の素性を知る周囲の者は例外なく、恐怖と警戒、猜疑の目を向け、まるでいつ暴れ出すか分からぬ深淵の怪物を監視するかのように扱ってきた。
だが、セリアだけは違った。
幼い日の出会いから、あの銀髪に澄んだ青い瞳の少女はいつも顔を上げ、あの曇りのないキラキラとした瞳でまっすぐに自分を見つめてくれた。
その瞳には恐怖も警戒もなく、ただ無垢な信頼と慕情、そして純粋な温もりだけが宿っていた。
それはカレナが長きにわたる氷のような暗闇の中で、唯一触れた光だった。
「本当に、惜しいことをしたわね……あんなに綺麗な目をしていたのに」
スクリーンの中で完全に光を失い、空洞となったセリアの青い瞳を思い返し、カレナは微かに首を傾げ、心の底から名残惜しそうに溜息を漏らした。
「どうやら随分と長い間……あの瞳を見ることはできそうにないわね」
最近、仕事中についつい頭がトリップしては、心の中でひっそりと小説の展開を練ってしまいます。
仕事にはちょっと申し訳ない気もするけれど、一つだけ心から実感したことがあるんです。それは、自分の頭の中にある景色を言葉にして書き留めること自体が、何にも代えがたいほど楽しいということ。
たとえ読んでくれる人が少なくても、数字がパッとしなくても、私はこの時間を心から楽しんでいます。
そんな気持ちになって、ふと昔の禅の言葉を思い出しました。
「本来無一物、何処にか塵埃を惹かん(もともと何一つ形あるものはないのだから、どこに汚れや塵がつくというのか)。」
若い頃はこの言葉の美しさがよく分からず、どこか遠い世界の話のように思えていました。けれど、現実でいろいろな経験を重ねていくうちに、執着しすぎたり気にしすぎたりすることこそが、心を疲れさせる一番の原因なんだと分かってきた気がします。
人は誰しも、もともと手ぶらでこの世に生まれてきて、何も持たずに去っていくもの。
最初から「無一物」なのだとしたら、世間の評価や成敗なんて、そこまで気にする必要もないんじゃないかな? すべてをご縁に任せて、純粋に「好き」という原点に戻ってみたら、なんだか気持ちがふっと軽くなりました(笑)。
今夜はちょうど中元の節句。窓の外にはちょうどいい月が浮かび、遠くからは時折、まばらな爆竹の音が聞こえてきます。
手元には湯気を立てる淹れたてのブラックコーヒー、そして足元では歳をとった愛犬が、すやすやと心地よさそうに寝息を立てています。
夜の帳が静かに下りていく中、私はただ、この文字を紡ぐ純粋な時間を静かに味わっていたいと思います。
By. 酣睡 台湾・桃園 20:38 P.M.




