暴落する同調率、黄色い腕章の誓いと目覚め
オイルと冷却液が豪雨の如く夜空に激しく飛び散り、大気には肉の焦げる臭気と金属が溶け崩れる悪臭が充満していた。
セリアの焦燥は募る一方だった。推進器が損壊した市街地を掠め飛ぶたび、眼下の瓦礫の隙間に晒された人間の肉片や生々しい血痕が倍増して視界へと飛び込んでくる。
その目を覆いたくなるような惨状は、まるで冷たく乱暴な不可視の巨手の如く、彼女の心臓をぎりぎりと握り潰し、一息の酸素すら吸い込めないほどの重圧を強いていた。
細かな冷や汗が少女の滑らかな額から流れ落ち、小ぶりですらりとした鼻先を伝って、黒と赤のタイトなパイロットスーツの太ももへと滴り落ち、濃い染みを作った。
肉体と精神の二重の負荷が重くのしかかり、激しい動揺のせいで、コンソールに表示された神経リンクの数値は目に見える速度で下落し続けていた。
それはあまりにも致命的な危険信号だった。
瓦礫の陰に潜んでいた数機の重装歩兵型知性機械が粒子加速ライフルを一斉に構え、幾筋もの眩く灼熱のエネルギービームが空気を引き裂いて、三角形の包囲陣を描きオフィウクスへと殺到した!
セリアは規格外の動体視力で弾道を正確に捉えていたが、操縦桿を押し込んだ瞬間、巨大な機体は珍しく半拍ほどの僅かなタイムラグを見せた!
ドォンッ――!
ビームがオフィウクスの肩部装甲を掠め、高温の熱波と装甲が溶ける耳障りな悲鳴の中、機体は間一髪のところで後続の狙撃弾幕を紙一重で回避した。
「オフィウクス……私、どうすればいいの……?」
少女は震える声で助けを求め、その瞳には迷いと苦痛が満ちていた。
次の瞬間、メインモニターの中央コンソールに柔らかな紫の波紋が広がり、冷徹ながらも落ち着いた英文字のコードが素早く浮かび上がった。
[ CALM DOWN, CELIA. CONCENTRATE ON YOUR BREATHING. ]
(落ち着いて、セリア。呼吸に集中するんだ。)
オフィウクスが示した慰めを目にして、セリアは下唇を強く噛み締め、僅かに血を滲ませた。
冷静にならなければならないことなど百も承知だったが、この生き地獄の如き光景を目の当たりにして、二十年近く守られて育ってきた無垢な少女にすべての感情を捨て去れというのは、あまりにも残酷で無茶な要求だった。
視界の端の数値が深紅の警告を発して点滅していた――神経同調率:94%。
連邦の並のトップエースにとっては、94%など十分に誇れる高い数値だ。
だが「禁忌の魔神」であるオフィウクスにとって、それは受動的な自律補助演算ロジックが完全に切断されたことを意味していた。
機体は自律意識によってセリアの代わりに戦うことができず、あらゆる微細な神経信号や動作を、セリア自身の脆弱な意志で百パーセント直接駆動させねばならなくなったのだ!
セリアは鉄錆の匂いが混じる冷えた空気を深く二度吸い込み、青い瞳の中の迷いを、狂気じみた冷酷な光へと塗り替えた。
同調率の低下で反応が遅れるのなら、すべてを賭けて「先読み」するしかない。
真正面から群がる数機の歩兵型知性機械に対し、セリアは両手で操縦桿を一気に押し込み、野太刀が半空に鋭い三日月の軌跡を二筋描き出し、猛烈な双向十字斬を叩きつけた!
一太刀目の刃が敵機の前面装甲を断ち切るより前に、セリアは極めて危険な「コマンド先行入力」を行った――攻撃のフィードバックを待つことなく、脳波バイオセンサーを通じて、次なる動作命令をオフィウクスの中枢神経へ先んじて直接叩き込んだのだ。
ガギィンッ!
十字斬が二機の敵腕を寸分の狂いもなく斬り飛ばし、高圧の火花が吹き荒れた瞬間、オフィウクスの機体は先行入力された命令通りに途切れなく連動し、野太刀を左肩から右脇腹へと狂暴な角度で振り下ろして、合金を切り裂く致命的な袈裟斬りを重ねた!
それは断崖絶壁の上で踊るような危険極まりない戦い方だった。
神経リンクの遅延を埋めるため、セリアは数秒後の敵の全軌道を脳内でシミュレートしなければならない。予測が一ミリでも狂えば、オフィウクスは虚空を斬り裂いて致命的な隙を晒すことになる――先行入力を繰り出すたび、彼女は己の命をチップにして賭けていた。
だが、少女は微塵も怯まなかった。
途切れることなく押し寄せる鋼鉄の波の中で、オフィウクスの影は凶悪な屠殺機械と化した。
野太刀が荒れ狂う下段薙ぎで二機の歩兵機の両膝を刈り取り、体勢を崩して跪いた刹那、オフィウクスの左手は指先を揃えて鋭利な錐となり、合金の貫手となって装甲の隙間から敵機のコアを貫通した!
「――後ろ?!」
後頭部でアラートが甲高く響き渡る。セリアは振り返って確認する時間すら惜しみ、再び神経への先行入力を発動させた。
オフィウクスはコアに深々と突き刺さった左手を抜くことすら削ぎ落とし、片足を軸にして腰を鋭く捻ると、数十トンの運動エネルギーを乗せた右脚を電光石火のバックキック(Back Kick)として放ち、背後から急襲を仕掛けようとした光刃兵装の胸部を力任せに蹴り飛ばして十数メートル後方へ吹き飛ばした。
敵機が吹き飛んで体勢を崩した刹那、オフィウクスは貫手を引き抜き、野太刀を逆手に一閃させると、切っ先は上段から下段へと冷徹で凄絶な弧を描き出した――
ズバァァッ――!!
またしても暴虐な袈裟斬りが、奇襲者の金属の胴体と動力パイプを肩から腹にかけて斜めに両断した!
「はぁ……っ、はぁ……っ」
コックピット内の酸素濃度は正常なはずなのに、セリアの胸には巨石が乗せられているかのように重く、過呼吸と極限の重圧によって激しい息苦しさに襲われていた。
細い両手は震えが止まらず、最後の敵機を叩き斬った瞬間、ありったけの力で操縦桿を手前に引き倒した。
ドォォォッ――!
オフィウクスの背部推進器から暗く深いエネルギーの奔流が噴き上がり、黒赤の巨体は逆流する光条となって、瞬時に数百メートルの交戦距離を後退させた。
これ以上の無謀な連戦は不可能だった。十数秒でもいい、息を整える時間を稼がなければ、神経接続が完全に焼き切れる前に彼女の肉体と意識が先に崩壊してしまう。
所詮、彼女は生母イレーナから受け継いだ動体視力や超感覚、脳の演算能力を前借りして使い潰しているに過ぎない。
しかしそんなものは所詮「道具」に過ぎないのだ――血生臭い本物の戦場において、鍛え抜かれた肉体の意志や殺しの直感を欠いたまま演算だけに頼れば、行き着く先は無残な死骸でしかない。
半壊した高層ビルの陰へと滑り込み、オフィウクスは片膝をついて、鉄骨と瓦礫の死角へとその身を潜めた。
セリアは全身の力を失ってぐったりと背もたれに倒れ込み、冷えたシートに身を預けた。冷や汗で濡れたスーツの冷たい感触が、耐え難い吐き気と脱力感を呼び起こす。
今宵、彼女の太刀の下に沈んだ知性機械はすでに山を築いていたが、眼前に広がる敵の数は絶望的なまでに膨大だった。
これは突発的な暴動などではなく、知性機械軍団が周到に準備を重ねてきた全面侵攻なのだ。
どれほど命を削って刃を振るおうと、戦況は何一つ好転しなかった――燃える夜空に防空警報が木霊し、街は無残に蹂躙され、避難シェルターに逃げ遅れた一般市民たちは絶望の悲鳴を上げながら重い無限軌道や巨大な脚部に無情にも踏み潰されていく。
セリアは血の気を失った唇をぎゅっと噛み締めた。
生き残る道はただ一つ。心拍と呼吸を整え、神経同調率を無理にでも100%まで引き戻し、自律戦闘人格を持つオフィウクスに操縦を委ねて、穴だらけの新人である自分と交代させることだ。
ましてや……オフィウクスの真の切り札である【アスクレピオス・システム(Asclepius System)】の解放を、彼女は心から渇望していた。
だが現実はあまりにも非情だった。
システムの起動条件である200%の極限同調はおろか、モニターに明滅する深紅の数値は、今や息の詰まるような82%まで暴落していたのだ。
「どうして……? なんでここまで落ちちゃうの……」
セリアの視界のホログラムは二重三重にブレ始め、極度の精神疲労が重い眩暈となって脳内を波のように襲った。
死線の淵で際限なく膨らみ続ける無力感と恐怖に、彼女はなす術もなく立ち尽くすしかなかった。
オフィウクスが常理を超えた禁忌の兵装であることは間違いない。だがその強さは、初めからパイロットの精神力と同調率の上に百パーセント依存していた。
同調率が限界を下回れば、天地を揺るがす鋼鉄の魔神も、ただパイロットを閉じ込める冷たい鉄の棺桶に過ぎなくなる。
セリアは俯き、微かな光を点滅させるコンソールを見つめながら、胸を締め付けられるような気付きを得た――
おそらく、自分の心の奥底にある抑えきれない動揺、恐怖、そして殺戮への拒絶が、神経回路を通じてオフィウクスをも無差別に蝕んでいるのだ。
所詮は自律思考を持ち、魂を宿した知性魔神なのだ。乗り手の心が傷だらけになれば、魂を繋ぐ機体がその脆さに引きずられないはずがない。
オフィウクスは全身のエネルギーを収束させ、眠れる黒曜石の彫像の如く、瓦礫の深い闇の中に静かに身を潜めた。
セリアは目を閉じ、乱れた呼吸を必死に整えた。この短く危険な静寂の中で、絡み合った思考、裏切りの謎、そして後方で生死の境にいるルネのこと……すべてを無理やりにでも整理しなければならなかった。
このわずかな影の庇護のもと、セリアの思考は激しい鼓動の中で急速に真実を解きほぐしていった。
イレーナがこの動乱を黙認し、自ら護衛隊を撤退させて自分を孤立させたのなら、実母とジュリアンの間には暗黙の政治的取引が成立しているはずだ――つまり、ジュリアンの狙いは最初から自分の命などではない。
理論上は、機体の火を落としてコクピットの中で眠りこけても、命の危険はないのだ。「殺されることはない」と確信できたことだけで、心の最大のパニックを取り払い、思い切って戦う準備を整えるには十分だった。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
彼女が抵抗を諦めて戦力を失えば、ジュリアンの鋼鉄の津波は止まらず、さらに多くの市民が無残に轢き潰される――ましてや、ジュリアンが初めから最も欲しているのは、この禁忌のオフィウクスなのだから。
それはジュリアンの冷酷な仮面の下にある唯一の「優しさ」とも言えた。
彼は早くからセリアに自らの理想、青写真、そして全計画を打ち明けていたのだ。
過酷な現実から目を背け、重い真実を拒み続けてきたのはセリア自身であり、それゆえに戦況はここまで手詰まりな窮地へと転がり落ちてしまった。
もし……子供じみた言葉で弱々しくジュリアンを「説得」するのをやめ、彼の戦略ロジックをすべて受け入れて理解した上で、その計画を逆手に取った対抗戦略を組み立てたなら?
翻意を乞うのではなく、さらに緻密で圧倒的な計画をもって、正面から彼を完膚なきまでに叩き潰すのだ!
その核心に至ったセリアは、舌先に血の味が滲むほど下唇を強く噛んだ。
過去の青く脆い自分を心の底から呪った。手元には十分すぎるほどの手がかりがあったのに、鈍さと怯えのせいで、こんな単純な盤面の繋がりすら整理できていなかったのだ。
今、冷静になって細部を振り返れば――戦場にカレナの専用機マジシャンが一向に現れないのは、後方でルネを足止めしているカレナが、今まさに生身の肉体で妹と激突している証拠だ。
セリアは、かつてカレナに抱きしめられた時の記憶を不意に思い出した。
あの黒髪の女が普段見せる、羽のように優しく品格に満ちた抱擁の奥底には、背筋が凍るような怪力が潜んでいた。
それは暗闇に潜む大蛇に音もなく締め上げられているかのようで、もしカレナに僅かでも殺意があれば、セリアの骨や内臓は一瞬で圧壊し、中綿をぶちまけられたテディベアのようになっていただろう。
「……スーパーソルジャー、なの……?」
その単語を呟いた瞬間、セリアの心臓が重く沈んだ。
宇宙の歴史に刻まれたその禁断の技術を知らないわけではなかったが、安穏と守られすぎていた彼女は点と点を繋ぎ合わせることをせず、多くの好機を見逃してきたのだ。
そしてこの全ての混乱と試練は、頂点に君臨する実母イレーナが血塗られた現実を通じて課した冷酷な試練なのかもしれない――温室の花のような弱さを脱ぎ捨て、最も過酷な道を通じて、エスペルの正統なる後継者としての覚醒を迫っているのだ。
セリアが乱れる心を押し殺して打開策を急ぎ計算していたその時、メインモニターの右上に突如として焼き付くような深紅の高脅威アラートが割り込んできた。
レーダーの端に、威圧感に満ちた個別識別コードが展開される――
【T-VII:THE CHARIOT(戦車)】
タロットシリーズの機甲兵装!
星間の名門や軍閥は、誰もが星海に名を轟かせる伝説級の機体を密かに保有している。
そして反乱の主導者たるジュリアンの立ち位置からして、あの鋼鉄の戦車のコックピットに座る者が彼以外であるはずがなかった。
セリアは蒼白な唇を開き、コクピット内の冷たい循環空気を貪るように吸い込んだ。
「伝説」と称される機体の性能が桁外れであることは知っている。
だがその武名は、歴代の搭乗者たちが幾多の地獄で敵味方の残骸を踏み越えて築き上げた血の栄光であり、越えられない絶対の神話ではない。その名声と恐怖に呑まれれば、その瞬間に敗北が決まる。
セリアはゆっくりと目を閉じ、雑多な哀れみ、パニック、自己不信の念を削ぎ落とし、心の底へと沈め込んだ。
激しい鼓動の中で視界の数値が持ち直し、心拍の安定とともに紫の同調グラフが再び安全域を突破した――神経同調率:102%。
もう、感情に流されるわけにはいかない。
温室育ちの甘い慈悲に縋り付けば、待っているのは都市の壊滅とさらなる血の雨だけだ。本当の地獄において、元凶を容赦なく叩き潰し、最短で戦いを終わらせることこそが、生き残る者たちへの最大の慈悲なのだと、セリアは冷徹に理解していた。
同調率の更なる回復を待っていたその時、耳慣れた識別信号が過負荷のエンジン音を轟かせ、損壊した街並みの超低空を無謀な速度で彼女の潜伏地へと突っ込んできた――
あれは……ヴィヴィアンの専用機、ウォッチマン。
通信チャンネルが強制接続され、コックピットに聞き覚えのある、しかし怒り狂った少女の叫びが炸裂した。
「ちょっとセリア! アンタ死んでんじゃないでしょうね?! こんな所でくたばったりしたら、わたくしが死ぬほど困るんだからねッ!!」
プライベート回線から届く元気いっぱいの怒声に、張り詰めていたセリアの神経は不思議とふっと解きほぐされた。
すぐに目を潤ませる泣き虫でお嬢様育ちのピンク髪が、機甲兵装のシートに座ると別人のように凶暴化する――普段はおとなしいのにハンドルを握った途端にクラクションを鳴らして罵声を浴びせるドライバーのように。
その凄まじいギャップに、血腥い戦場にいながらセリアは思わず吹き出しそうになった。
「生きてるわ……」
セリアは弱々しく息を吐き出し、隠しきれない自責の念を滲ませた。
「ただ、外の惨状を見てオフィウクスの同調率が限界を割り込んじゃって……隠れて整えるしかなかったの」
ヴィヴィアンの負けず嫌いな性格からして、ここぞとばかりに「エスペル家のお嬢様」を散々煽り立てるに違いないとセリアは思っていた。
だが、通信の向こう側は一瞬の沈黙に包まれた。
そしてヴィヴィアンの口から零れ落ちた言葉は、普段の我が儘さを一切削ぎ落とした、傷跡を知る者特有の重みと静けさを湛えていた。
「あんな風に人がゴミみたいに殺されるのを見て、同調率が落ちない方が異常でしょ? ……地獄を見て平気な顔で完璧な数値を保てる奴なんて、最初から頭がおかしいのよ」
息を一つ整え、ヴィヴィアンの声が低く落ちる。
「……昔、両親が爆発で死ぬのを目の前で見た時、わたくしの神経同調率も……完全に底まで落ちたわ」
セリアの青い瞳が見開かれ、胸の奥が温かく切ない感情で激しく揺さぶられた。
その時、ホログラムスクリーンの光学カメラ映像が切り替わった――
満身創痍で焦げ跡だらけのヴィヴィアンのウォッチマンが、よろめきながらオフィウクスの傍らへと着地した。
優美だった装甲は凹み削られ、左のスラスターからは白い煙が立ち上っていた。
だが何より目を引いたのは、右肩の装甲に固く結びつけられ、夜風と爆風の中で激しくはためく一本の分厚い鮮やかな黄色い布だった。
それはベテランパイロットたちの間で古くから受け継がれてきた戦場の掟――「黄色い腕章」。
エネルギーや武装に致命的な損傷を受け、主攻撃能力を喪失したパイロットが、味方に意思を伝えるための原始的で確実なサイン。
『主攻は任せる。ここからはわたくしがアンタの僚機となり、死角を守る』




