猛き深情と秘められた古書、警報の夜に暴かれる恥じらい
ロング仕様の民間用防弾エアロカーが静寂のうちに屋敷の正門を潜り抜け、エスペル本家の冷徹で威厳に満ちた前庭へと滑らかに停車した。
ドアがゆっくりと開き、車外へと降り立ったセリアは、夜風が運んでくる冷気が骨の髄まで染み渡るのを肌で感じていた。
彼女の胸の奥は、拭い去れない不安と深い落胆で満たされていた。
先ほどの長く重苦しい夕食の間、彼女は思いつく限りの言葉を尽くしてジュリアンを説得し、断崖絶壁へと突き進むあの暴走を押し止めようと試みたのだ。
しかし、どれほど切実に訴えかけようとも、青年は終始穏やかな表情のまま向かいの席に座し、水面のように静まり返って、何一つその決意を揺るがせることはなかった。
今夜の星空はあまりにも静まり返り、息が詰まるほどの静寂を湛えている。
セリアには強烈な予感があった――ジュリアンの反逆行動は、おそらく今夜決行されるに違いない、と。
そして隣に立つルネの張り詰めた神経と張り巡らされた警戒の構えもまた、その推測を無言のうちに裏付けていた。
今や星間中の人々が、エスペル大長老が急襲を受け惨殺されたという衝撃的な凶報に呑み込まれ、社会の底層では恐慌と混乱が狂乱の如く拡散しつつある。
人心が激しく動揺し、公的な防衛網が最も揺らいでいるこの決定的な瞬間を狙って叛乱を起こし、知性機械の軍勢を率いて要所へと直接攻め入る――周到に謀略を巡らせてきた反乱軍にとって、今夜以上に完璧な契機など存在しなかった。
ディナーの席での細部を思い返すたび、セリアの胸中には言いようのない奇妙な違和感が込み上げてくる。
自らの必死の懇願を前にしても、ジュリアンは冷笑を浮かべることもなく、テロを実行に移す直前の焦燥もなければ、死地へと赴く悲壮な決意すら表に出さなかった。
彼はただ静かにセリアを見つめ、その双眸には純粋な慈しみと優しさだけが満ちていた――まるで、自らの短い人生の幕引きを前に、己にとって何よりも大切な友人と最後の食事を静かに分かち合っているかのように。
あのような眼差しを、セリアはこれまでの人生で誰からも向けられたことがなかった。
それはあまりに重く、あまりに未知なる感情であり、彼女にはそれを噛み砕くことも、理解することも叶わなかったのだ。
……突き詰めてしまえば、自分自身の最大の欠陥は、「生々しい生身の感情」に対する経験値の絶対的な不足と鈍感さにあった。
普段どれほど突飛で愛憎渦巻く娯楽小説を読み漁っていようと、現実世界の過酷さと複雑さが、そうした陳腐な筋書きの範疇に収まるはずもない。
実の母親であるイレーナが自分に向けてくるあの病的なまでの独占欲ですら、書物に描かれるどの偏執劇よりも何千倍も重苦しいものであった。
そこまで思考を巡らせた時、深い無力感がセリアの全身をすっぽりと覆い尽くした。
丸一日奔走したというのに、結局のところ自分は何一つ変えられなかったのだ。
「信念」、「大義」、「宿命」……そうした言葉は、今の彼女にとってあまりにも壮大で、遥か遠い世界の概念に過ぎない。
命を投げ打ってでも成し遂げたい悲願などなく、世界を転覆させようという野心もなければ、何を引き換えにしてでも手元に奪い返したい執着の対象もいない。
煎じ詰めれば、彼女は自らの未来に対して何の明確なビジョンも持たない、ごく平凡な少女に過ぎないのだ。
平和な時代において、ある日突然普通の大学生を引き止め、「将来何を成し遂げたいのか」「いかなる真理を追い求めているのか」と問いかけたところで、大半の人間がただ呆然と立ち尽くすのと同じように。
ジュリアンはクームの輝かしい未来のために殉教者となる道を選び、
イレーナは己の罪を雪ぎ、娘を手元に留めるためならば修羅となることも厭わず、
カレナはイエラン世家の興亡と自身の深謀遠慮を背負って盤上を歩み、
ルネはエスペルという巨大な財閥の頂点を継承する宿命を背負っている。
周囲にいるすべての者が明確な目標を掲げ、己の野心と責務を果たすため、迷いや立ち止まる時間すら惜しんで疾走している。
だが、セリア自身はどうだろうか?
彼女には何もない。かつて【オフィウクス】のコックピットに座し、全宇宙が刮目する最強の兵器となったことすら、抗いようのない偶然の産物に過ぎなかった。
そんな彼女に、理想のために自らの命を賭場へ差し出すような狂気じみた覚悟を、真の意味で共感できるはずがなかった。
夜気は刻一刻と深まり、広大な屋敷は闇の中に潜む巨大な獣の如き威容を漂わせている。
イレーナが既にジュリアンと裏で手を握っているのではないかという疑念と、暴風雨が間もなく夜空を引き裂くのではないかという重圧の下、セリアは歩みを止め、身を翻すと、珍しく脆く頼りなげな姿を晒しながら、隣の少女へそっと口を開いた。
「ルネ……今夜、私と一緒にいてくれる……?」
「も、もちろんよッ!!」
心から愛し、片時も忘れ得ぬ姉から突然寄せられた同衾と付き添いの願いに、ルネの身体は激しく跳ね上がり、その歓喜と衝撃のあまり、普段の冷徹なハスキーボイスは派手に裏返ってしまった!
失態を悟った次女は瞬時に顔を真っ赤に染め上げ、慌てて顔を背けると、取り繕うように握り拳を口元に当てて咳払いを二度繰り返した。いつもの不遜でクールな態度を取り戻そうと必死に取り繕うものの、微かに震える指先が胸中の激しい動揺を雄弁に物語っていた。
「私……今夜は本当に、誰かにそばにいてほしいみたい」
セリアは伏し目がちに視線を落とし、気恥ずかしそうに小さく胸の内を明かした。
「今夜、何かとても恐ろしくて、取り返しのつかないことが起きる気がしてならなくて……でも、ルネの隣にいると、すごく安心できるの」
それは妹を宥めるためのお世辞などではなく、セリアの偽らざる本心であった。
客観的に見ても、ルネは普段こそ手におえない野性味を覗かせ、短気で凶暴な気性に加え、隙あらば強引に唇を奪ってくる悪癖があるものの、それ以外のあらゆる面において、この妹は息を呑むほど優秀であった――
あの万人に天才と称えられるカレナですら、正面からの実力勝負では小細工や謀略を巡らせてようやく辛うじて抑え込めるほどの規格外の強さを持っている。
ルネは決して、世界を救済する万能の神などではない。
彼女には、救世主のように眼前に立つだけで「あらゆる災厄が立ちどころに霧散する」と思わせるような絶対的な神性はない。
だが彼女がセリアに与えてくれるのは、それよりも遥かに泥臭く、どこか悲壮でありながら純粋極まりない安全感であった――
それは、「私がここに立っている限り、骨の髄の力まで絞り尽くしてあなたの風除けになってみせる。
たとえ最後の一滴まで血を流し尽くそうとも、残された最後の一息を使ってあなたを絶対安全な場所へ送り届け、それを見届けてから倒れてやる」という、不退転の守護の意志。
欺瞞と謀略、そして利用価値だけで測られるこの過酷な世界において、ルネは決して最強の存在ではないかもしれない。
だが彼女こそが、この広大な星海の中でただ一人、一片の打算も混じえずにセリアという存在のすべてを己の心臓の真ん中に抱え込んでいる少女であった。
ルネの後に続いて屋敷の奥深い回廊を抜け、彼女の私室へと足を踏み入れた瞬間、セリアは思わず目を丸くし、驚きを隠すことができなかった。
ルネの部屋は非常に広々としていたが、その内装と空間の配置は、世間一般が抱く「財閥令嬢の豪奢で洗練されたフェミニンな寝室」というイメージとはあまりにかけ離れていた。
そこには豪奢な天蓋もなければ、きらびやかな化粧台もない。
視界に飛び込んできたのは、部屋の半分近くを占拠する高負荷のウェイトトレーニング器具、天井近くまで届く幾重もの巨大な本棚、そして壁際に隙間なく整然と積み上げられた、突発的な戦闘事態に即座に対応可能な高規格のエマージェンシー・メディカルキットと軍用レーションの山であった。
部屋全体が無機質で極めて機能的に研ぎ澄まされており、名門の令嬢の部屋というよりは、今まさに前線へ出撃せんとする特殊部隊の作戦拠点の様相を呈していた。
「ルネ……あなた、ずっと息苦しくて、辛い毎日を送ってきたんじゃないの……?」
セリアは冷たいダンベルのグリップをそっと指先で撫で、胸の奥に締め付けられるような痛みを覚えた。
彼女は、同じ血を分けたこの妹が、過去二十年間にわたって背負わされてきた人生の重みを痛烈に理解したのだ。
自分がアパートで気楽に新しいスイーツショップの噂に胸を躍らせたり、ネットで注文した紙の小説がまだ届かないと愚痴をこぼしていた間にも、幼いルネはこの弱肉強食の高圧的な修羅場の中で、一族の生ける兵器として日夜過酷な鍛錬を強いられていたのだから。
「エスペルという名の鳥籠の中にいる以上、誰だって同じよ。名義上の父親であるアーサーだって例外じゃない」
ルネはアウターを無造作に椅子の背もたれへと放り投げ、ごく当たり前の日常を語るような平然とした声音で応じた。
「お姉ちゃんがこの家に戻ってくるまで、私は息をするのも苦しいような毎日を送っていた。でも、お姉ちゃんが帰ってきてからは……いつもの倍以上の過酷なノルマを課されても、信じられないくらい軽々とこなせるようになったのよ」
ルネの言葉に嘘はなかった。しかし彼女が口にしなかったのは――その過剰な運動量の正体が、夜の静寂の中でセリアの面影が呼び覚ます、狂おしいまでの愛欲と妄念を抑え込むためのものだったという事実だ。
獣へと成り果てて姉を犯してしまわぬよう、彼女はトレッドミルを最高速度に設定し、一晩中限界まで疾走し続けるしかなかったのだ。それは自傷行為などではなく、胸の内を焦がす熱情の炎を鎮めるための、唯一の苦渋の手段であった。
「……情けない話だけど、私、本当にお姉ちゃんのことが好きすぎてたまらないの」
ルネは向き直り、いつもは不遜な光を宿すその瞳でセリアを真っ直ぐに見据えた。その表情は祈りを捧げるかのように真摯であった。
これ以上、目の前の相手に嘘をつきたくはなかった。だが言葉を紡ぎ終えると、己の直情的な告白がまたしてもこの脆い雛鳥を脅かしてしまったのではないかと、悔しそうに下唇を噛んだ。
「私……分かっているわ」
セリアは微かに息を呑み、戸惑いを隠せぬまま視線を伏せ、長い睫毛を震わせた。
「でも……私、その感情がどういうものなのか、どうしても理解できなくて……」
ルネの愛はあまりに重厚で、あまりに熾烈であった。しかし、この凍てつく星海において、注がれる無条件の偏愛は何よりも尊く、愛おしい。
セリアの胸の奥には、ある種の背徳的な想いすら過っていた――もしも……もしも二人の間に血の繋がりという絶対の枷が存在しなかったなら、これほどまでに熱く純粋な魂からの求めに、自分はいつか身を委ねてしまっていたのではないか、と。
「最初から、今すぐ理解してもらおうなんて思ってないわ」
ルネは小さく息を吐き出し、長い脚を運んで巨大な金属製の本棚の前へと歩み寄った。その声音は驚くほど穏やかだった。
「でも、お姉ちゃんに聞きたいの……人を好きになるのに、そんな大層な理由なんて必要なのかしら?」
「え……?」
困惑するセリアの視線の先で、ルネはしなやかな腕を伸ばし、高度戦術書や星間経済分析、帝王学、煩雑な貴族の社交術といった分厚い専門書の奥底から、外装フィルムすら開封されていない一冊の紙の書籍を慎重に取り出した。
このハイテク時代において、現実の店舗で商品を購入した際、特殊な微細レーザー技術によって購入履歴とタイムスタンプがパッケージ上に直接焼き付けられる仕組みとなっており、フィルムが未開封である限り永久に返品保証が維持される。
そして、その書籍のフィルムの片隅に刻まれた淡青色のレーザー刻印は、紛れもなく何年も前の古い日付を示していた。
ルネは歩み寄り、その歳月の重みを宿した本を、セリアの手のひらへとそっと託した。
表紙に刻まれた見覚えのある金箔押しの名を目にした瞬間、セリアの心臓は見えない手で強く鷲掴みにされたかのように跳ね上がり、抑えきれない切なさと衝撃が津波の如く胸中を呑み込んだ――
【東野圭吾】。
それは、セリアが思春期のすべてを捧げて愛読した旧時代のミステリー作家の名であった。
あまりに古い時代の作品ゆえ、彼の初期のマイナーな紙媒体の著書は、星間図書館のアーカイブですらとうに絶版となり散逸していた。
セリアは鮮明に記憶していた。中学時代、ネット上の古書フォーラムを狂ったように巡り、とある極めてマイナーな初期の邦訳作品を血眼になって探し求めた日々を。
幾夜もの時間と小遣いを注ぎ込みながらも、結局は見つけ出すことが叶わず、最後には深い無念とともに捜索を断念したあの日のことを。
そして今、何年も探し続けて諦めたはずの宝物が、完全な美品のまま、未開封のフィルムに包まれて自分の手のひらの上に静かに横たわっているのだ。
「この本……実は、ずっと昔に見つけて確保していたの」
セリアの潤んだ瞳を見つめながら、ルネは自嘲気味に口元を歪め、どこか苦く切ない笑みを零した。
「本当は……お姉ちゃんが私の気持ちを心から受け入れてくれた時に、プレゼントとして手渡そうと思っていたのよ。でも今の様子を見ていると、受け入れるどうこう以前に、お姉ちゃんは一般的な感情の仕組みすら理解できていないみたいだから」
ルネにとって、この姉は感情の機微に対してあまりに鈍感すぎた。だからこそ過去の自分は、好きな女の子をいじめて気を引こうとする悪ガキのような真似しかできなかったのだ。
機甲の操縦や危機察知においては常軌を逸した鋭さを見せるくせに、人と人との最も純粋な心意気に直面した途端、生まれたての赤ん坊のように不器用になってしまう。
ずっしりと重みのある本を見つめながら、セリアの指先は微かに震え、喉の奥に無数の言葉が詰まって、やがてその瞳の端に透明な涙の膜が浮かび上がった。
「だから……人を好きになるのに、理由なんて要ると思う?」
ルネは再び、その問いをセリアへと優しく投げかけた。
今度の彼女は、その双眸の奥に渦巻く激情を隠そうともせず、ただ静かに姉を見つめ、最も直接的な形で理解させようとしていた――この不遜に見える妹が、光の届かぬ暗がりの中で、どれほど長い間セリアだけを見つめ、愛し続けてきたのかを。
セリアがあまりに鈍感だったがゆえに、不器用で術を知らないルネは、悪質な挑発や悪戯を繰り返すことでしか相手の関心を惹きつけることができなかったのだ。
無知だった幼少期、嫉妬と疎外感からセリアを憎悪した過去を否定するつもりはない。
しかし、この冷酷な牢獄の中で成長し、無数の生死の狭間と謀略をくぐり抜けてきた今のルネは、己の魂が真に渇望しているものを完全に悟っていた。
彼女はこの世の誰よりも、この胸を焦がす情愛を尊び、守り抜くと誓っていたのだ。
「どうしたの? 私の愛……お姉ちゃんには重すぎるかしら?」
驚きと困惑に揺れるセリアの呆然とした表情を見つめ、ルネは姉の頭の中がかつてない混乱の嵐に見舞われていることを完全に察していた。
だが……それがどうしたというのか?
「重いと感じたなら――黙って受け止めなさいよッ!」
ルネは唐突に、フッと吹き出すように笑った。
その刹那、彼女の顔を覆っていた陰鬱さも、凶暴さも、張り巡らされていた警戒心も跡形もなく消え去り、セリアがこれまでに一度も目にしたことのない、眩いばかりの満面の笑みが咲き誇った――それは真夏の正午に降り注ぐ陽光の如く輝かしく、あまりに純粋で、セリアは目を奪われたまま瞬きすることすら忘れてしまっていた。
いつも歯を剥き出しにして威嚇し、小野獣のように獰猛だったルネが、笑うとこれほどまでに愛らしく美しいなど、セリアは想像すらしていなかった。
微かに上がった口元からは、普段は隠れている二つの小さな八重歯が覗き、柔らかな照明の下でとびきりキュートに煌めいている。
その理不尽で、独占欲に満ち溢れた横暴な台詞こそが、不思議とセリアの胸の奥にあった強張りや戸惑いを綺麗に拭い去ってくれた。
少女の乱れていた鼓動は、穏やかに凪いでいく。
……そうだ、これこそがルネだ。乱暴で横柄で、怒りっぽくて不器用だけれど、誰よりも嘘がなく、誰よりも真っ直ぐな、私の妹。
セリアの胸に温かな安堵が灯り、二人の間の空気がようやく和らいだ、まさにその時――
ウゥゥゥーーーーーーッッ!!!!!!
夜空を引き裂くような甲高く耳障りな空襲警報が、何の前触れもなく都市と屋敷の上空一帯に狂ったように鳴り響いた! 窓越しに差し込む真紅の防衛警戒アラートの光が、薄暗い部屋を瞬時に血の色へと染め上げる。
そのけたたましいサイレンは冷水を浴びせられたかの如く、温かな余韻に浸っていた二人の背筋を一瞬で凍りつかせ、全身の総毛を逆立たせた!
「……ジュリアン、とうとう動き出したわね」
ルネの顔から屈託のない笑顔が瞬時に消え去り、極限の冷徹さと研ぎ澄まされた決断力が戻っていた。その声音は不気味なほど平坦であり、まるで都市全域を覆すこの動乱を初めから予見していたかのようだった。
迷いも躊躇もなく、ルネは部屋の奥にあるクローゼットへと駆け寄り、手慣れた動作で暗証番号と指紋認証を入力した。
エアバルブが開く鋭い駆動音とともに、彼女は中から二着の身体に密着する特殊な機甲パイロットスーツを素早く取り出した――一着は彼女自身のホワイトゴールドのカラーリングが施されたもの、そしてもう一着は、ブラックとレッドの妖艶な光沢を放つ、セリア専用の特注規格スーツであった。
ルネは迷うことなく、その黒赤のパイロットスーツをベッドの上にいるセリアへと放り投げた。
「着なさい。まだ心残りがあるなら……あの自惚れたバカ坊ちゃんを、直接ぶん殴って目を覚まさせてやりなさい!」
言い放つや否や、ルネは電光石火の勢いで行動を開始した。
パーテーションの裏へ回る時間すら惜しみ、彼女は身に纏っていた私服とアウターを一息に脱ぎ捨て、引き締まったしなやかな肢体をスポーツインナーとショーツだけの無防備な姿へと晒した。険しい表情を崩さぬまま、素肌の上からタイトなスーツへ足を通そうとする――
しかし。ベッドの傍らに立ち、手渡されたパイロットスーツを抱えたセリアの表情は、この切迫した状況において極めて奇妙かつ複雑なものへと変貌していた。
少女は、本来ならば屋敷の中央格納庫に保管されているはずで、ここ数日間ずっと行方不明になっていた己の専用戦闘服を見下ろし、次いでルネの全開になったプライベートクローゼットの奥へと視線を向け、困惑したように目を瞬かせた。
「ま、待って……ルネ? どうして私の専用パイロットスーツが……あなたの部屋のクローゼットの奥に隠してあるの?」
片足をスーツの裾へと通しかけていたルネの身体が、まるで一時停止ボタンを押されたかのように、空中でピタリと硬直した。
ポタッ。
紅蓮の警報光が照らし出す中、セリアの視界には、妹の露わになった引き締まった背中とうなじから、肉眼ではっきりと確認できるほど大量の冷や汗がドッと噴き出す様が克明に映し出されていた!
ルネの脳内プロセッサはこの瞬間、星間艦隊の集中砲火を浴びるよりも遥かに致命的なオーバーヒートを起こし、完全フリーズ状態へと陥っていた。
一体どう言い訳すればいいというのか?!
まさか実の姉の目の前で、「ここ数日、夜な夜な滾る劣情に狂いそうになるたび、クローゼットの奥からお姉ちゃんの甘い匂いが染み付いたこのスーツを引っ張り出し、ド変態よろしく顔を布地に全力で埋めて、スゥゥハァァと狂ったように深呼吸して吸引することで辛うじて正気を保っていた」などという、破滅的な事実を白状できるはずがないッ……!
「こ、これは……その……ッ」
普段は怖いもの知らずで、戦場では素手で敵機を解体してみせるあの天下無敵の名門次女が、いまやセリアに背を向けたまま、耳たぶから鎖骨にかけてを真っ赤に染め上げ、粉々に砕け散りそうな鉄屑のようにガタガタと震えながら、一文字の弁明すら紡げなくなっていた。
最近、納豆にどハマりしています。
最初はあんなに苦手だったのに、気づけば「……あれ? 美味しいかも」とすっかり克服していました。
でも、ふと疑問に思ったんですよね。
私がいま好きなのは、果たして「納豆そのもの」なのだろうか? それとも、あの「だし醤油のタレ」の味なのだろうか……?(笑)
国や文化によって、同じ料理でも「好きになる理由」がまったく違うのって、なんだか不思議で面白いですよね。
タレが好きなのか、それとも発酵の魔力なのか――今日も納豆をかき混ぜながら、そんな他愛のないことを考えています。




