温室の星空の下、深淵なる母性と崩壊する倫理観
夜の帳が静かに下り、エスペル邸の最奥に位置するプライベート温室庭園は、まるで星光に取り残された硝子の秘境の如き静寂に包まれていた。
高く聳えるドーム状の天頂は高価なマジックミラー防護クリスタルで鋳造されており、外に広がる広大で冷徹な星海と、夜空一面にきらめく極彩色の星雲を余すところなく内部へと取り込んでいる。
温室の中央には、白沈香の銘木を贅沢に彫り込み、幾重もの高級ベルベットと極上の雲絹を敷き詰めた豪奢な寝台が鎮座していた。
四方には霧のように半透明な純白のヴェールが垂れ下がり、恒温空調の柔らかな微風に撫でられて、幽玄に揺らめいている。
セリアは、沈み込むほどに柔らかな寝具の真ん中で、小さく身を丸めて静かに横たわっていた。
周囲を取り囲むのは、丹精込めて品種改良された星間屈指の希少植物たち。
かすかな蛍光を放つ淡青色の夜詠蘭が白玉石の柱から優美に枝垂れ、その花弁からは細かく砕いたダイヤモンドダストのような淡金の輝粉がこぼれ落ちている。
水幕の傍らでは透き通るような月光海棠が咲き誇り、葉先に結ばれた雫の一つ一つが、天頂で緩やかに回旋する惑星環と紫紅の星雲を克明に映し出していた。
空気中には清冽でほのかに甘い草木の香気が漂い、温室の噴水が奏でる空霊でリズミカルなせせらぎと溶け合って、外界の喧騒と血生臭さを完全に遮断している。
白髪の少女は薄手のシルクの寝間着を一枚纏っただけの無防備な姿で、細く白い脚を純白の絨毯の上に投げ出していた。
横向きに身を委ね、零れ落ちた数筋の銀糸のような髪が鎖骨と華奢な首筋を撫でる。
その美しい蒼穹の瞳は、ドームの外を滔々と流れる壮大な天の川を、どこか心ここにあらずといった様子で見つめていた。
クリスタルの天頂を透過した星明かりが、彼女の息を呑むほど端麗な横顔に神聖なまでの銀の輝きを落としている。
そこには、冷たく重苦しい機械兵装のコックピットも、名門貴族たちの権謀術数も、身近な者たちが向けてくる狂気じみた偏執的な執着も存在しない。
いまの彼女は、あたかも硝子の水晶宮に大切に飾られた精緻なビスクドールのようであり、至高の富と偏愛によって構築された耽美な夢幻の中へと完全に没入し、その呼吸さえも羽毛のように軽やかで静謐なものとなっていた。
セリアは柔らかな絹の布団にくるまりながら、微かに眉をひそめ、夕暮れ時にジュリアンから告げられた言葉を脳裏で幾度となく反芻していた。
もしも……もしも今後、自分が頑として出撃を拒絶し、頑なにコックピットへ乗り込むことを拒み続ければ、この破滅へと向かう盤面にも、好転の余地や回避の道が残されているのだろうか?
だが、ジュリアンのあの淀んだ死水のように静まり返った双眸を思い出すたび、セリアの心は重く沈み込んでしまう。
宿命と最愛の狭間に囚われたあの特務の御曹司は、ひとたび腹を括れば、自らの目的のため――知性機械の価値を全宇宙へ知らしめるためならば、いかに過激で残酷な凶行であろうと平然と成し遂げてしまうに違いない。
それこそ、セリアが最も目にしたくない惨劇であった。
深い無力感に苛まれ、寝返りを打つことすら億劫になっていたその時、温室庭園の重厚な硝子扉が、かすかなエアーの駆動音とともに静かにスライドした。
漆黒のシルクガウンを身に纏ったイレーナが、しなやかな足取りで静かに入室してきた。
滝のように艶やかな黒髪を肩口へ流し、優雅でありながらも、どこか壊れ物に触れるかのような慎重さを全身に漂わせている。
「私の可愛い宝物、こんな夜更けまでまだ眠れていなかったの?」
イレーナは寝台の端へと腰掛け、白く細やかな指先をベルベットのシーツへとそっと這わせた。彼女はセリアを見つめ、その瞳の奥底には、狂おしいまでの愛着と甘やかな情愛が渦巻いていた。
本当ならば、一般的な母親のように娘を一晩中その腕に抱きしめて眠りたいと幾千度となく渇望していた。
だが、自分の過剰な衝動や激しさが、ようやく手元に戻ってきたこの雛鳥を再び怯えさせてしまうことを、何よりも恐れていたのだ。
たとえセリアが最近になって抱擁を受け入れてくれるようになったとはいえ、彼女は依然として氷の上を歩くように慎重で、常に喪失の恐怖に怯えていた。
「私……ちょっと悩み事があって、眠れなくて」
セリアは整った小さな顔をわずかに持ち上げ、淡い蛍光の中でサファイアのような瞳を揺らした。
「ママ……一緒にいてくれる?」
この不意に差し伸べられた無防備な甘えは、まるで干天の慈雨の如く、張り詰めていたイレーナの神経を一瞬で射抜いた。
イレーナは息を呑んで硬直し、次の瞬間、その双眸へ抑えきれぬ歓喜を爆発させた。
彼女は逸る心を抑えきれず、履いていたルームシューズを脱ぎ捨てると、極めて迅速かつ細心の注意を払って広い寝台へと這い上がった。
そして、二十年もの間悔恨と焦燥に苛まれ続けた実の娘を、慈しむように、満足感に満ち溢れた吐息とともに固くその胸へと抱きしめたのである。
「ええ、もちろんよ……ママはずっと、あなたのそばにいるわ」
イレーナは陶酔するように目を閉じ、丹念に手入れされながらも年月の重みを微かに宿した己の頬を、セリアの弾力と潤いに満ちた柔らかな頬へと優しく擦り寄せた。
腕の中に伝わる鮮やかで温かな体温に触れ、イレーナの胸中には苦渋と感慨が同時に込み上げてきた。
かつて自分がセリアと同じ年頃だった頃、これほどまでに愛らしく安らかな時間を過ごせたことなど一度たりともなかった。
冷酷無残な一族の権力闘争の渦中で、彼女は幼少の頃から重厚な粒子加速銃を握らされ、政敵や同胞へ容赦なく銃口を向けさせられてきたのだ。
血風吹き荒れる修羅場を生き抜いてきた身で、今なおこの美貌を維持できていること自体が奇跡であり、少女のような無垢な純粋さなど望むべくもなかった。
セリアは母の胸元から伝わる激しい鼓動と、そのずっしりとした重厚な母性を肌で感じ取っていた。
今夜の彼女には拒絶の意志はなく、ただ素直に、甘えるようにイレーナの腕の中へと身を沈め、母という存在だけが持つ特有の温かな芳香を静かに吸い込んだ。
「ねえ、ママ……私、実はずっと『愛』というものがよく分からなくて」
セリアはイレーナの肩口に小さく顎を乗せ、頼りなげな声音で迷いを零した。
「ママにとって……心から愛する人のためなら、躊躇うことなく自分の命を投げ出すことができるものなの?」
その惑いは、ジュリアンのあの狂気じみた殉教の決意に端を発していた。
だが、感情の荒野の中で育ち、長年にわたって正常な愛情から隔絶されてきた少女にとって、「愛」という概念はあまりに掴みどころのない難題であった。
彼女の記憶の深淵において、養父エルヴィンが注いでくれた純粋で無条件の溺愛と庇護を除けば、この世のあらゆる情愛に対して彼女は無知同然であった。
真の母性も、同年代の手足の絆も、恋人同士の狂熱も、上位者が下位者に注ぐ執念も、何一つ理解できていない。
「愛」に多様な形が存在すること自体は幼い頃から聞き及んでいた。
しかし、真にそれを受け取った経験が欠落していたがゆえに、身勝手で歪んだ侵略的な愛が怒涛の如く押し寄せてきた際、彼女の最初の反応は常に恐怖と窒息感、そして本能的な逃避に過ぎなかったのだ。
だが今、彼女は運命の岐路に立たされている。ジュリアンがクームに対して抱く生死を超越した想いを理解できなければ、破滅へと突き進むあの少年を押し止める手立てなど、永遠に見つからないのだから。
セリアの白銀の長髪を梳いていたイレーナの手が微かに止まり、その眼差しがわずかに細められた。
「セリア……あそこの特務の小僧のことで悩んでいるのね?」
「……ママ、やっぱりずっと私を見張っていたのね」
セリアの顔に驚きや憤りの色はなかった。
薬物治療と自身の歩み寄りによって今のイレーナがどれほど自制しているとしても、その根底にある異常な独占欲が消え去ったわけではないことなど百も承知であった――自分が髪を梳いた際に零れ落ちた数本の銀髪ですら、イレーナは侍従に命じて至宝のように厳重に保管させているのだから。
当初はその異様さに鳥肌が立つほどの拒絶感を覚えたものだが、あの日、シヴが複雑な面持ちで差し出してきた、常人の神経ならばとうに破壊されているであろう二十年分の膨大な抗精神病薬の処方記録を目にした瞬間、セリアの心は激しく揺さぶられたのだ。
あの時悟ったのだ。冷酷無比で絶対的な当主として君臨するこの女は、実のところ、罪悪感と絶望によって二十年間自らを狂気へと追い込み続けた、哀れな一人の母親に過ぎないのだと。
「もう二度と、あなたを失う代償を払うわけにはいかないのよ、セリア」
イレーナは腕の力を強め、娘の髪の毛へと顔を埋めると、微かに震える声で紡いだ。
「あなたにこの屋敷を出て、シシリス大学の門を潜ることを許したこと自体、ママが残された理性を総動員して下した……最大の譲歩だったのだから」
セリアは胸の内で静かにため息をついた。それが偽らざる真実であることは理解していた。
もしイレーナが必死に狂気を抑え込んでいなければ、エスペル家の従来の流儀に従い、自分は極めて脆く希少な絶滅危惧種のように、この水晶の温室の奥底へ永遠に幽閉され、一切の自由を奪われて暮らす羽目になっていたはずなのだ。
「それなら……ママは『愛』をどう捉えているの?」
セリアは見張りの件には深く触れず、ただ静かに問いを重ねた。
「ママ……?」
イレーナはドームの外で緩やかに巡る星環を見つめた。その瞳は次第に深く、凍てつくように研ぎ澄まされ、まるで無辺の光年を超えて、あの血と涙に塗れた長き歳月へと回帰していくかのようであった。
「あなたのためであるならば、セリア……私はいつでもこの命を賭場へ差し出すわ。いいえ、この二十年間の毎分、毎秒、私はずっとそうやって命を削り続けてきたのよ」
それは絵空事の甘言などではなく、血の滲む冷徹な現実であった。
かつて、エルヴィンとの世に許されぬ恋が一族に暴かれたあの日。
冷酷無比な権力の圧力の下、産着に包まれた無力な愛娘の命を繋ぎ止めるため、彼女は断腸の思いですべてを断ち切り、セリアをエルヴィンへ託して、人を人とも思わぬこのエスペル本家へと単身舞い戻ったのだ。
未婚のまま身籠ったという汚名は長老会を激怒させ、彼女には即座に冷徹な政略結婚が宛がわれた。
幸いにも、婚姻相手となったアーサーもまた、一族によって最愛の恋人を引き裂かれた同じ境遇の男であった。
復讐の炎を宿した二人の若者は利害を一致させ、決して一線を越えぬ契約を結んだ――互いに指一本触れず、最先端の代理母体外受精技術を用いて「ルネ」という名の子供を形式的に生み出すことで両家の口を封じ、水面下で爪を研ぎながら、権力を簒奪する好機を窺い続けたのだ。
ルネの誕生は過酷なものであった。彼女は最初から最後まで、権力闘争のための冷たい道具として生み出されたに過ぎない。
その代償として、一族はルネへ常人には想像も及ばぬ地位と資源を注ぎ込んだが、唯一、純粋なる母性だけは、セリアを奪われたあの日を境に完全に枯渇し、遥か彼方にいる長女のためだけに凍結されていた。
暗黒の二十年間、我が子を奪われた激痛はイレーナの精神を粉々に引き裂いた。
いつの日か我が子を白日の下で奪還するため、彼女は人間性をかなぐり捨てた冷酷な政治家であり、処刑人へと成り果てた。
冤罪の捏造、口封じの暗殺、幾重もの謀略、用済みとなった駒の容赦なき切り捨て……彼女の両手は無数の政敵と無辜の民の鮮血で染まり尽くした。
自らが地獄へと堕ち、どれほど薄汚れた存在になったかは自覚していた。
その目的のためならばエルヴィンすらも利用し、連邦の最高機密文書を盗み出させ、愛娘を護る絶対の盾としてあの禁忌の魔神【オフィウクス】を再起動させることすら厭わなかった。
自分が万死に値する狂人であることは知っている。だが、この満身創痍の躯を果てなき暗闇の中で突き動かし続けた唯一の執念こそが、この「母性」と呼ばれる狂おしい愛であったのだ。
世界中の誰もが彼女を唾棄する権利を持とうとも、この愛だけは、何者にも否定させはしない。
母親として当たり前に享受すべき権利――我が子を正々堂々と胸に抱きしめるというただそれだけのために――彼女は己のすべてを賭け、地獄の業火の中で二十年間を血みどろで戦い抜き、耐え忍んできたのだから。
「あなたを穢れなきまま、何一つ傷つけずにママの腕の中へ連れ戻せるのなら……」
イレーナはセリアの額へそっと唇を落とした。音もなく零れ落ちた涙が銀白の髪へと染み込み、微かな温もりと苦味を残す。
「たとえこの魂を悪魔に売り渡し、この命が灰燼に帰すことになろうとも……ママは一片の悔いも抱かないわ」
セリアはイレーナの胸元へと、さらに深く身を沈めた。
この抱擁を、実は彼女自身もあまりに長い間待ち焦がれていたのだ。誰も気にかけてくれなかった孤独な日々の中で、母の腕の温もりを夢想した夜は数え切れない。
しかし、目覚めるたびに突きつけられる冷酷な現実は、やがてすべての希望を無残に削り落とし、終いには夢見ることすら諦めてしまっていた。
だが今、背後に隠されていた血塗られた真実と苦衷を知ったセリアには、もうこの女を拒絶する理由など見当たらなかった。
自らに寄り添おうと必死に温もりを分け与える母の身体に触れ、セリアの心には溢れんばかりの憐憫が満ちていた。
自分のために己をズタズタに引き裂き、傷だらけにしてしまったこの女性が、これからは処方薬を正しく飲み、身体を労り、少しでも長く自分の傍らに寄り添っていてほしいと、心から願わずにはいられなかった。
「……それじゃあ、ママ。ジュリアンがクームに向けている想いと、ママが私に注いでくれている愛は、同じものだと思う?」
セリアは顔を上げ、小さく問いかけた。己の命を賭し、反逆者の汚名を被ってでも、クームという知性機械に光ある居場所を勝ち取ろうとするジュリアンの決意――そのような破滅的な賭けが、死線を潜り抜けてきた大人の目から見て、真に価値あるものなのかを確かめたかったのだ。
「少し違うわね」
イレーナの白くしなやかな指先が、セリアの額にかかる銀髪を優しく梳き上げた。その眼差しは春の陽だまりのように柔らかい。
「あの小僧の抱く感情は……かつての私とエルヴィンの間にあったもの、そして……今のルネがあなたに向けている感情に近いわ」
「……ルネが?!」
思いがけず母の口から妹の名が飛び出し、セリアは呆然と目を丸くした。聞き間違いではないかと疑ったほどだ。
だが思い返してみれば、最近のルネは以前に比べて格段に落ち着いている――おそらく、あの短気な小野獣はセリアから定期的に抱擁や口づけを勝ち取ることで心の飢渇を満たし、それゆえに以前のように全身の針を逆立てて噛み付いてくることがなくなったのだろう。
あいつが今頃シシリス大学の公衆便所で、怒り狂いながら雑巾掛けと便器掃除に追われていなければ、今夜のこの気配を嗅ぎつけて、なりふり構わずこの温室の寝台へと乱入してきていたかもしれない。
「あの子があなたに抱く執着と情念は、本質的に私がかつてエルヴィンを愛した時の熱情と酷似しているのよ」
イレーナは身をかがめ、セリアの滑らかな額へもう一度柔らかな口づけを落とすと、再び隙間なくその身体を抱きしめ、静かに息を吐いた。
「『母性』と男女の『情愛』は、全く異なる異質なものなの……私の愛しいセリア、いつかあなたも、真の意味でそれを理解する日が来るわ」
優しく抱擁されたセリアは、この至近距離でようやくイレーナの顔立ちをじっくりと見つめることができた。
認めざるを得ないが、イレーナは息を呑むほどの美女であった。
彫りの深い高貴な顔立ちは君臨する者特有の冷徹さを漂わせているが、身を寄せ合うその肉体は成熟した女性特有の豊かな柔らかさと、安らぎをもたらす微かに甘い芳香を放っている。
客観的に見ても、星間社会の誰もがこのような絶世の女当主に熱烈に抱きしめられれば、至上の幸福に酔いしれるに違いない。
だが……一体いかなる最高峰の遺伝子修復技術とアンチエイジングを用いれば、二十歳の娘を持つ身でありながら、三十代前半の妖艶な若々しさを保ち続けられるというのだろうか?
「ところで……ママって、普段どんなお手入れをしているの?」
セリアは好奇心からパチパチと目を瞬かせ、思わず小さく呟いた。
「見た目がどう見ても、三十代そこそこにしか見えないのだけれど……」
彼女の単純な算術的推論によれば、実の父親であるエルヴィンは今年ですでに五十歳を迎えている。ならば同世代の恋人であったイレーナの若返り技術は、もはや星間医療の奇跡と呼ぶべき水準にあるはずだった。
「あら? お手入れ……?」
娘からの突拍子もない賛辞にイレーナは微かに虚を突かれ、困惑したように視線を落とすと、ごく当たり前のこととして静かに告げた。
「でも……ママ、実際にまだ三十代だもの」
ズガァァァン――ッ!!!!
その極めて淡々とした、あまりに自然な一言は、セリアの脳天へと九重の天罰の雷霆の如く容赦なく直撃した!
「ま、待って――?! ママ……まだ三十代なの?!」
セリアは信じがたい現実に息を呑み、そのサファイアの瞳を限界まで見開いたまま、イレーナの腕の中で完全に石化してしまった!
世界が崩壊したかのような娘の動転ぶりを前に、イレーナはますます小首を傾げた。豊かな白髪が滑らかな肩からこぼれ落ちる。エルヴィンの奴め、二十年間この子に何一つ話していなかったのだろうか?
「そうよ、ママは今年でちょうど三十六歳になるわ」
イレーナは慈愛に満ちた手つきでセリアの強張った頬を撫で、声音には深い自責と痛惜を滲ませた。
「あなたを身籠って出産した時、ママはまだ十六歳になったばかりだったの……あの頃のママはあまりに幼く未熟で、一族の圧力に抗ってあなたを護り抜く力を持っていなかった……本当にごめんなさいね、私の愛しい宝物」
イレーナが紡ぐ言葉の端々には、母としての極上の優しさと悔恨が満ち満ちていた。
しかし――
いま母の胸元に抱かれているセリアの頭上には、ボォッ! と凄まじい勢いで憤怒の紅蓮の炎が噴めき上がっていた!
三十六歳?! 十六歳で出産した?! ということは、十月十日の妊娠期間を逆算すれば、十五歳の頃には……?!
つまり……二十年前、あの普段は実直そうに振る舞い、機甲マニュアルを抱えてへらへらと笑っている、現在五十歳を迎えた実の父親エルヴィンは……当時三十歳の分際で、僅か十五歳そこそこの未成年のお嬢様に手を出し、あまつさえ孕ませていたということかッ?!!
この星間時代において世俗の倫理観が開放的であることは承知していたが、この刹那、娘としてのセリアの倫理観と道徳の防壁は跡形もなく粉微塵に粉砕された!
直前まで悲劇の母娘の絆に胸を打たれ、涙ぐんでいた白髪の令嬢は、いま心の中で、実家の地下工房に転がっているあのクソ重い特大整備用レンチをギリギリと力任せに握りしめていた――
エルヴィン……! このド外道、ロリコンのクソ親父がッ!! 今度私の前に面を晒したら、絶対にその場でネジ一本残らずスクラップに解体してやるから覚悟なさいッ!!!
ふと思ったんですが、最近イレーナの出番がちょっと多すぎたかな?なんて反省したり(笑)。
でも実は、イレーナというキャラクターは「もう一人のセリア」そのものなんです。
ただ彼女は、愛のない冷酷な家庭に生まれ落ち、過酷な現実の中で生き抜くしかなかった。
だからこそ、セリアのような天真爛漫さは失われてしまったけれど、ふとした瞬間にセリアとよく似た不器用さを見せてしまうんですよね。
一方でセリアは、普段は天然でどこか抜けているように見えて、いざオフィウクスに乗り込むと誰よりも苛烈で凶悪な顔を見せる。そういうギャップを描きたいなと思っていました。
もしセリアが苦痛と絶望に満ちた環境で育っていたら、きっと彼女もイレーナになっていたはずです。
こういう設定にしたのは、やっぱり「生まれ育った環境(原家庭)がどれほど人を左右するか」を描きたかったから。そして何より――この世の誰もが、何の見返りも条件もなく、ただまっすぐに愛されてほしいという願いを込めたかったからなのかもしれません。




