黒と桃の閃光――二刀を抜くに値するか
幾日もの時を経て、シシリス大学の広大にして冷徹な金属の質感が漂う巨型模擬訓練場へと、再び足を踏み入れた。
いま、セリアはオフィウクスの完全密閉式コックピットの中に身を置いていた。精巧な金属のショールのように軽やかで柔らかな生体反応装置が、彼女の細く白い首筋へと静かに掛けられている。
装置内部の微小感知端子が少女の肌の温度に反応し、穏やかに流れる銀白の微光を放つと同時に、全方位を取り囲むパノラマホログラムモニターが深遠な蒼いデータストリームによって一斉に点灯した。
セリアは目前に浮かび上がる機体数値パネルを素早く走査した。しかし、光幕の中央で脈動する真紅の数値を目にした瞬間、思わず息を呑んだ――
ただショールのような生体反応装置を身に纏い、基礎的な神経接続を完了させただけで、彼女とオフィウクスの生体反応率は、すでに驚異的な 180% にまで達していたのだ!
それは、この伝説に眠る第十三宮の魔神が、神を屠る権能を秘めた「アスクレピオス・システム」を完全解放する領域まで、文字通りあと一歩のところまで迫っていることを意味していた。
常軌を逸したその極限数値に、セリアは激しい動揺を禁じ得なかった。
彼女は、かつてエルヴィンが何気なく口にしていた言葉を思い出す――オフィウクスとセリアが最も深き魂の共鳴を果たせるよう、あの整備狂の父親は並々ならぬ心血を注ぎ込んでいたのだ。
エルヴィンは、セリアが幼少期から積み重ねてきたあらゆる成長データ、生体特徴、神経反射のすべてを基礎層へとプログラミングした。そればかりか、幾夜にも及ぶ深夜、身なりにも構わないあの男は一人冷たいシートに座り、まるで旧友に語りかけるように、自律思考能力を備えたオフィウクスへ向けて語り明かしていたのだ。
セリアの幼い頃からの歩み、背負ってきた理不尽、成長における喜怒哀楽のすべてを、この寡黙な魔神へ余すところなく語り聞かせた。
オフィウクスが文字通りあらゆる次元において、自らの主を完全に理解し、受け入れられるようにするために。
もっとも……先ほどの通信越しに響いてきた鞭の音を思い返せば、エルヴィンが今まさに本邸でイレーナからいかなる「苛烈な拷問」を受けているのか、セリアとしては頭を抱えざるを得ず、気になって仕方がなかったが。
それでも、あの飄々とした不真面目な父親が自分に注いでくれる溺愛と庇護は、間違いなく極限に達していた。
損得と権謀術数が渦巻くこの星間時代において、口先だけでなく、我が子のためにここまで身を削る親など極めて稀であった。
思えば、模擬戦が正式に開始される直前まで、オフィウクスは本来学校への移送が間に合わない状況にあった。
それを最後に、あろうことかカレナ自らが専用機マジシャンを駆り、浮遊都市の半分を横断して――オフィウクスを丸ごと「お姫様抱っこ」した状態で、学校の格納庫へと堂々と空輸し降り立ったのだ!
天空を二機の機械兵装が「抱き合って飛翔する」その荒唐無稽かつ美麗極まる光景は、居合わせた生徒たちによって即座に撮影され、星網上へと拡散された。
瞬く間にネット上を埋め尽くす二次創作と熱狂の渦を巻き起こしたことは言うまでもない。冷酷な生母よりも、世間がカレナとセリアの組み合わせを熱烈に支持していることは明白であった。
『お嬢様、調子はいかがですか? 屋敷に何日も閉じ込められた後、再びオフィウクスに乗られた気分は?』
最上階のVIP観覧席から、ジュリアンが大画面の通信ウィンドウを開いてセリアへと声をかけてきた。
だが、ジュリアンが言葉を言い終える間もなく、通信画面の左右から伸びてきた二つの手が、この目障りな特務の御曹司を容赦なく力任せに突き飛ばした!
直後、焦燥と凶暴さを剥き出しにしたルネの整った顔面が画面全体を占拠した。
『お姉様! 相手チームにいるヴィヴィアンという狂った女には絶対に気をつけて! あの女は戦うことしか頭にない戦闘狂よ。開戦と同時に、間違いなくお姉様を狙って猛烈に襲いかかってくるわ!』
モニター越しに、まるで毛を逆立てて威嚇する小猛獣のようなルネのただならぬ警戒ぶりを見つめながら、セリアの胸に最初に湧き上がったのは、純粋な好奇心であった――
あの向こう見ずで暴れん坊のルネに、ここまで警戒され「狂った女」と吐き捨てさせる相手とは、一体どれほど恐ろしい存在なのだろうか、と。
「あのヴィヴィアンという娘の境遇は少々特殊なの。彼女はある名門貴族の唯一の生き残りであり、ルネと同じ大学一年生よ。その若さで一族の重責を背負わされることになったのは、かつての凄惨な智械衝突において、両親の戦死を目の当たりにしたからよ……それ以来、彼女の性格は極端に歪み、極めて好戦的で、自己破壊的な攻撃性を帯びるようになってしまったの」
カレナが通信画面の前に歩み寄り、要点を押さえて冷静に補足した。
オフィウクスの絶望的なまでの絶対性能を肌で知るカレナであったが、戦場における純粋な狂気の殺意と命知らずの執念という一点においては、あの復讐心に囚われた世家の継承者に並ぶ同年代は存在しないと危惧していた。
「……分かったわ。なるべく彼女との正面衝突は避けるようにする」
セリアは微かに息を吐き、最も手堅い回避策を選ぼうとした。
「セリア、このオープンルールの模擬戦において、彼女から逃げ切ることは不可能よ。でも覚えておいて――一度ぶつかったなら、決して手加減をしてはダメ! あの女は模擬戦であっても、実体兵装で平然と相手のコックピットを刺し貫くような危険人物なのだから!」
セリアの温和で人を悪く捉えたがらない性格を知り尽くしているからこそ、カレナはあえて厳しい言葉を選んだ。
シシリス大学の記録において、ヴィヴィアンは模擬戦で対戦相手を機体ごと重度障害に追い込んだ前科を現実に持っていたからだ。
それゆえに、カレナは内心、自分がセリアの代わりに出撃したいと切望していた――叶うならば、自らマジシャンを駆り、あの狂暴な小娘の鼻をへし折ってやりたいところであった。
「そこまで凶暴な相手なら……仕方がありませんね。いざとなったら、オフィウクスの自律システムに戦術判断を委ねることにします」
何しろ、オフィウクスの底知れぬ自律意識と180%に達する生体共鳴が控えている以上、セリアに過度な恐怖はなかった。
それに彼女からすれば、どれほど凶暴であろうとも、相手は過酷な過去を背負った同じ新入生に過ぎない。学校間の模擬戦において、命を奪い合うような泥沼の戦いをする必要などないはずなのだから。
セリアは深く息を吸い込み、乱れた思考と雑念を完全に払底した。
指先で仮想インターフェースを軽やかに操作すると、古の魔神の如き巨躯を誇るオフィウクスが重厚かつ滑らかな足取りを踏み出し、格納庫のリニアカタパルトへと寸分の狂いもなく接続された。
脳内で素早く戦術を組み立てる。ルネの言う通り相手がそれほど好戦的であるならば、射出直後の初動において、間違いなく力任せの突撃を仕掛けてくるはずだ。
ならば、射出レールを離脱した第一歩として、まず火器管制レーダーで相手の機体が高度にカスタマイズされた専用機なのか、それとも性能に制限のある量産型なのかを見極めねばならない。
次いで、隙を突いて一撃で決着をつける。
もし相手が執拗に食い下がる難敵であるならば、不毛な消耗戦を避けるため、即座に200%の共鳴度を誇る「アスクレピオス・システム」を解放し、圧倒的な力で速戦即決を図ることも辞さない――好戦的な狂人に付き合って長引かせる時間など、彼女にはないのだから。
「警告、カタパルトデッキの重力圧力を固定完了。主リニア射出レール全線クリア、障害物なし」
巨型格納庫の全域で真紅の回転警告灯が激しく明滅し、鋭いブザー音が金属空間に反響する。
管制室から、オペレーターの冷静かつ厳密な最終確認が届いた。
「全エリア排気弁閉鎖、防護隔絶力場フル稼働確認。すべての地上整備員は、レベル3防爆力場の後方へ退避完了」
「――ダークマター崩壊反応炉はセーフティ待機モードを維持、臨界安全ロック解除確認。最終リニア射出カウントダウン開始:3、2、1……」
合図とともに、コックピットの全景スクリーンが前方にまっすぐ伸びる深遠なロングレンジ電磁レールで満たされた。
暗色の魔神の足底が高エネルギー磁極に吸着され、超伝導レールの両脇で急速に蓄積された莫大な動能が、低く唸りを上げた。
セリアの白い首筋に巻かれた生物反応装置が、柔らかなショールのように銀白の光を脈動させ、神経接続の微弱な電流が明瞭な共鳴をもたらす。
少女の蒼穹の瞳が鋭く引き締まり、両手の操縦桿をしっかりと握りしめると、凛とした声が通信回線に響き渡った。
「リニアレール開放――発射!」
「セリア・エスペル、第十三宮オフィウクス、出ます!」
バァン――ズドォォォンッ!
数キロに及ぶ射出トンネル内で、超伝導電磁反発力が一瞬にして炸裂した!
オフィウクスの巨体はコンマ数秒で極限まで加速され、暗闇を裂く黒い閃光となって密閉された合金パイプラインを疾走した。
そして、その巨大な暗色の機体が外層の気圧隔離水幕を突き破り、ゲートを飛び出して開けた空域へと躍り出た刹那――
搭載されたダークマター崩壊反応炉が、一気に完全解放された!
ゴォォォォォッ――!!!
妖艶にして鮮烈な桃色の対消滅光炎が、機体背部のマルチベクタースラスターから狂暴な轟音とともに噴流した!
凄まじい反動推進力と粒子嵐が大気を切り裂き、オフィウクスは虚空に極めて眩い桃色の光軌を描きながら、戦場に君臨する絶対者の覇気を纏って仮想天幕に覆われた広大な演習空域へと降臨した!
『――見つけたぞ! オフィウクスッ!!!』
演習エリアの力場天幕を通過した直後、全体通信チャンネルに狂暴な戦意を孕んだ甲高い咆哮が轟いた!
考えるまでもない。ルネとカレナが口を酸っぱくして警告していたあの「狂った娘」ヴィヴィアン以外に、これほど復讐じみた狂気で突っ込んでくる者などいるはずがなかった。
セリアが即座に青い瞳を向けると、メインモニターには連邦のデータベースに存在しない新型の重装甲機体が、凄まじい熱波を撒き散らしながら突進してくる姿が映し出された。
その無骨なシルエットと装甲配置から、正面防御を極限まで強化した機械兵装であることは一目瞭然であった――
両腕の外側に城壁のような巨大実体合金シールドをそれぞれ装備し、その盾の縁や側面の隙間には、無数の高エネルギービーム砲と実弾マルチランチャーが隙間なく搭載されている。
明白に、それは「絶対防御」と「壊滅的重火力」を融合させた、中長距離移動要塞型の機械兵装であった!
セリアは相手に間合いを取らせ、全弾発射の陣形を整えさせる隙を与える気など毛頭なかった。
彼女の瞳が冴え、生物反応装置と同時に神経伝達が爆発した。オフィウクス背部のスラスター群が眩い桃色の光炎を猛烈に噴射!
暗色の魔神は空中で鋭角的な機動を描き、肉眼では捉えきれぬ桃色の残影となって音速の壁を突破、相手の迎撃弾幕を強引にすり抜けて、瞬く間にその懐深くまで肉薄した!
同時に、オフィウクスの右腕が閃き、金属関節が鋭い噛み合わせ音を立てると、背部ウェポンラックから冷徹な刃文を放つ実体野太刀が一閃のもとに引き抜かれた!
数メートルに及ぶ合金刀身は、万鈞の重量とダークマターの断裂気流を纏い、上段から相手の頭頂部へ向けて冷酷無比な斬撃を叩き落とした!
ヴィヴィアンの戦闘勘と神経反射は驚異的であり、間一髪で両腕の巨大実体盾を交差させてガードを固めたが――
ズガァァァァンッ――!!!
金属の悲鳴のような激突音とともに、万雷の火花が空中で炸裂した!
大盾は辛うじてその一撃を防ぎ止めたものの、狂暴な下方向への推進力は相手の姿勢制御を完全に粉砕し、重装甲機体は隕石のように空中から叩き落とされ、地表へと激突して土煙を巻き上げた!
コックピット内のヴィヴィアンは強烈なGによって体内の血液を掻き回され、両腕を痺れさせながら、瞳の奥に抑えきれない衝撃を走らせた――速すぎる!
この速度と近接戦のプレッシャーは、事前のあらゆるシミュレーションを完全に凌駕していた!
この模擬戦に先立ち、ヴィヴィアンは仮想戦術室でセリアの過去の実戦データと戦闘スタイルを幾度となく復元・分析していた。
しかし彼女は知らなかった。「アスクレピオス・システム」を発動した状態と、未発動の通常状態のオフィウクスは、本質的に完全に別の存在であるということを――
システムが解放されれば、機体はオフィウクス自身の眠れる魔神の自律意識によって掌握され、神仏すら畏怖させる冷酷無比な戦法を披露する。
だが、未解放の現在は、完全にセリア自身の直感と操縦技術のみで動いていた。スタイルが根本から異なるがゆえに、オフィウクスを「魔神」として警戒していたヴィヴィアンは完全に狂わされたのだ!
体勢を立て直したヴィヴィアンが、オフィウクスの背後に未だ納刀されたままのもう一振りの刀をレーダーに捉えた瞬間、侮辱されたという屈辱と激怒が胸を焼き、通信越しに歯ぎしりとともに吠えた。
『――一本しか抜いていないだと?! セリア・エスペル、私を見下しているのかっ?!!』
通信越しの激昂を耳にして、セリアは操縦桿の向こうで目を丸くし、心底理不尽な冤罪に困惑した。
……見下している?
完全に濡れ衣である。
彼女は生まれついての格闘の達人などではない。この長大で重厚な野太刀一本を正確に振るうことだけに、全身の神経同調と集中力を注ぎ込んでいるのだ。
相手の言う通り両方の刀を抜いて「二刀流」など気取ろうものなら……現在の操縦練度では、敵を斬るどころか、オフィウクスの両腕が空中で互いに干渉し合って自爆するのが関の山であった!
だが……思えば、これほど殺気を剥き出しにした狂気的な相手に対し、少しでも怯みや隙を見せれば、狂犬のように噛みつかれて離されないことは明白であった。
これは、ここ数日の間に彼女が「血と涙」をもって学んだ教訓である。
もっとも……その貴重な心理戦のノウハウは、機甲の実戦や講義で培われたものではなく、イレーナ、カレナ、ルネという、自分への愛を拗らせた偏執的な三人の女たちから逃げ惑う中で叩き込まれた「生存本能」に過ぎなかったのだが。
まさか周囲の息詰まるような求愛によって「戦闘時のメンタル」を鍛えられることになるとは、操縦席のセリアは呆れと苦笑いを禁じ得なかった。
しかし、使えるものは何でも使うべきだ。
セリアは心を静め、澄んだ青の瞳に冷徹な光を宿した。指先が精緻な神経指令を弾き出す。
オフィウクス背部のダークマター推進器が再び咆哮を上げ、漆黒の機影と妖艶な桃色の光炎が織りなす断裂の稲妻となって、態勢を整える隙すら与えず、ヴィヴィアンの重装甲機へ向けて天空から急降下を仕掛けた!
地表に叩きつけられたヴィヴィアンはホバーエンジンを再起動する余裕すらなく、頭上に迫る桃色の死光に対し、歯を食いしばって両腕の重盾を胸元で重ね合わせ、機体の全出力を正面装甲の防護へと注ぎ込んだ!
ドォォォォォンッ――!!!
野太刀は万物を両断する圧倒的な破壊力と金属の悲鳴を伴い、黒き雷霆の如く交差した大盾のど真ん中へと二度目の直撃を叩き込んだ!
凄まじい衝撃によって重合金装甲の表面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、逃げ場を失った衝撃波がヴィヴィアンの巨体を押し込み、演習場の硬質な凍土層を深く抉り取って後方へと押し流した!
二機の鋼鉄の巨神が至近距離で鍔迫り合いを繰り広げ、火花の豪雨が降り注ぐ。
拮抗する力の中、モニターに映るヴィヴィアンの激昂した表情を見つめながら、セリアの脳裏にふと、ジュリアンのあの人を食ったような、毒舌で相手を苛立たせる不敵な態度が閃いた。
それこそが、相手の戦意と理性を削ぎ落とす最高の心理戦術である。
通信回線を通じて相手の意識が直結したその一瞬、普段は温和で儚げな空気を纏うセリアが、その唇の端を冷ややかに釣り上げ、その場の全員の予想を根底から覆す極限の嘲笑を吐き捨てた――
「――二刀を抜けと? 私に二本目を抜かせるだけの器が、あなたにあるとでも?」
その言葉が放たれた刹那、広大な仮想演習場、そして全校の観覧席は完全なる死の静寂へと包まれた!
観覧席の無数の生徒や総教官デインが度肝を抜かれて絶句したのみならず、VIPルームにいたカレナとルネすらも、普段は儚げで繊細なセリアから飛び出した衝撃的な「女王の挑発」に、雷に打たれたように硬直した!
ただ一人、後方でシャンパングラスを傾けていたジュリアンだけが、セリアが相手の冷静さを奪うために意図して傲岸を演じていることを見抜き、口元に極めて愉快そうな、惜しみない賛辞の笑みを浮かべていたのであった。




