第6話 灯替えの儀
通達は、紙一枚だった。
『灯替えの儀 三日後 礼拝堂にて』
日付と、場所。
それだけしか、書かれていない。
「……これで、全部でしょうか」
「はい」
マルグリット夫人は、いつもの調子で答えた。
「王家の儀礼は、書かれませんので」
灯替えの儀。
名前だけは、知っていた。
年に一度、王城じゅうの灯を新しい火に替える。
主宰するのは、王妃だ。
「手順書は」
「ございません」
「では、どなたが」
「王妃さまから、王妃さまへ」
夫人は、まっすぐに言った。
「口伝でございます」
レティシアは、紙の端を指で押さえた。
先代の王妃は、この国に一人しかいない。
「お教えいただいた覚えは」
「ないのでしょう」
「……はい」
*
立ち会うのは、十二家の当主と、神官たちだという。
礼拝堂の扉は、開かれる。
誰かが、見ている。
――また、これだ。
うまくできている、と思った。
王妃が、王家の儀礼の手順を間違える。
それは、王妃の落ち度だ。
教えなかった人の落ち度には、決してならない。
「私も、手順を存じません」
夫人が言った。
「教育官は、儀礼の場に入れませんので」
味方でも、届かないところがある。
夫人は、それを言いに来たのだった。
*
「参列した者に聞けばいい」
ロイドは、そう言った。
「去年も、一昨年も、儀は行われています。見た人間は城にいる。合理的です」
正しかった。
レティシアは、聞いて回った。
厨の下働きの老女は、大きな鉄の燭台を運んだと言った。
衛所の兵は、把手のついた灯を受け取ったと言った。
神官の一人は、香を焚く刻限だけを覚えていた。
三人に聞くと、順が三通り返ってきた。
誰も、全体を知らない。
自分が持った灯のことしか、覚えていないのだ。
――口伝は、もう切れている。
王妃から王妃へ渡るはずのものが、途中で細って、破片になっている。
覚える道は、そこで終わりだった。
覚えられないなら。
――分かればいい。
*
その日の午後、レティシアは王太后宮を訪ねた。
通されるまでに、少し待たされた。
待たされること自体が、答えの一部だと思った。
「お義母さま」
アデライドは、刺繍の枠を膝に置いていた。
手は、止まらない。
「灯替えの儀の手順を、教えていただけますか」
針が、布を通る音がした。
「王妃から、王妃へ伝わるものです」
「……はい」
「私は、王妃ではありません」
正しかった。
この人はもう王妃ではなく、王妃はレティシアだ。
伝える立場にないと言われれば、それまでだった。
「お義母さまは、ご存じなのですね」
「ええ」
「けれど、教えてはくださらない」
「教える理由が、ございません」
針が、また布を通った。
「王妃の仕事とは何か、証明してごらんなさいと申し上げました」
温度は、なかった。
「これも、そのうちの一つです」
レティシアは、頭を下げた。
下げたまま、動かなかった。
「あなたは」
針の音が、止まった。
「覚えるおつもりですか。三日で」
問いではなかった。
三日で覚えられるものではないと、この人は知っている。
知っている人だけが、その訊き方をする。
「……分かりません」
レティシアは、正直に答えた。
アデライドは、それきり何も言わなかった。
廊下を曲がるとき、背中で声がした。
アデライドが、神官の一人と何か話している。
「香は、去年より一段お減らしなさい」
「かしこまりました」
「東の窓は、閉めておくように。灯を運ぶ者は、去年と同じ者をお使いなさい」
それだけだった。
――口を出さずには、いられない人なのだわ。
そう思って、通り過ぎた。
*
夜、レティシアは書庫にいた。
儀礼の記録を探した。
無かった。
書かれないのだから、当たり前だった。
――なぜ、この儀があるのか。
儀礼は、空から降ってこない。
誰かが、何かの用事があって始めたはずだ。
用事があったなら、人が動いたはずだ。
人が動いたなら、費用がかかる。
「……出納の記録を」
書庫番が、怪訝な顔をした。
「儀礼の、でございますか」
「灯替えの日の分を。古い年から、順に」
「王妃陛下。あれは、祈りの日でございます」
「はい」
レティシアは、頷いた。
「祈りにも、油は要ります」
書庫番は、しばらく彼女を見ていた。
それから、灯を持って奥へ入っていった。
棚の間で、足音が長く続いた。
誰も来ない棚まで、ずいぶんあるのだ。
*
運び込まれた綴じは、埃をかぶっていた。
誰も、開けたことがないのだ。
祈りの日の帳面など、誰が読むだろう。
レティシアは、いちばん古い年から開いた。
『灯油 全灯分』
全灯分。
城じゅうの灯、そのすべての油を、その一日に買っている。
頁をめくる。
『石工 三名』
『管、洗い』
『灰、搬出』
指が、止まった。
『炉、火止め』
その次の行。
『再点火 翌朝』
レティシアは、しばらく動かなかった。
王城の火は、かつて一つの炉から取られていた。
年に一度、その炉を落とす。
石を積み直し、管を洗い、灰を出す。
その一日、城の火が、消える。
――消してよい火と。
――消してはいけない火が、あったはずだ。
胸の奥が、じん、と鳴った。
窓の外が、白み始めている。
彼女は、綴じを閉じなかった。
――これは、儀礼ではない。
お読みいただき感謝します。
祈りにも、油は要ります。この国の儀礼は、たいてい実務から始まって、意味だけが後から乗りました。だから出納帳を読めば、儀の正体が分かる。
次は「灯の順」。火を入れる順番を、レティシアは記憶だけを頼りに組みます。
帳面から儀式の正体を掘り当てるところに、にやりとした方。ブックマークを一つどうぞ。




