表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「王妃の座を降りろ」と義母に言われましたが、お断りします 〜婚約破棄された悪役令嬢ですが、夫は母より私を選びました〜  作者: リリア・ノワール


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/30

第5話 物差し

 式部官は、次第の写しを持ってこなかった。


 「王妃陛下のお役目は、一つでございます」


 初老の男は、そう言って一枚の紙を置いた。


 紙には、一行しかなかった。


 『王妃、先王の御前に立つ』


 「……これだけですか」


 「これだけでございます」


 「立って、何を」


 式部官は、少し困った顔をした。


 「代々、王妃さまが」


 「はい」


 「……お決めになってこられました」


 レティシアは、その一行をしばらく見ていた。


 つまり、正解は書かれていない。

 書かれていないものは、あとから間違いにできる。


 ――きれいな手だわ。


 二度目だった。


 式部官が下がったあと、彼女は紙を裏返した。

 裏にも、何もなかった。


 この儀で王妃が何をしてきたかを知っている人は、この城に一人しかいない。


 先代の王妃だ。


 *


 レティシアは、迷った。


 王太后付きの教育官を呼べば、呼んだことが伝わる。

 王妃が儀礼の次第を知らないと、あちらに知られる。


 ――それでも。


 知らないのは、事実だ。

 事実を隠したまま回るものは、どこにもない。


 彼女は、呼んだ。


 マルグリット夫人は、その日のうちに来た。


 「ご用件は」


 「儀の次第を、教えていただけますか」


 夫人は、まばたきをした。


 「王太后さまに、伝わります」


 「はい」


 「それでも」


 「はい」


 夫人は、少しの間、レティシアを見ていた。


 それから、椅子に座った。

 座る前に、扉を閉めた。


 「先に、一つ申し上げます」


 夫人は、膝の上で手を重ねた。


 「私は、王妃さまの味方ではありません」


 レティシアは、顔を上げた。


 「私は、王妃という仕事の味方です」


 「……」


 「王妃とは、完成するものではありません」


 夫人の声は、教えるときの声になっていた。


 「王と共に、作られていくものです。それが、私の仕事の前提です」


 だから、と夫人は続けた。


 「まだ何もできない王妃を、できないという理由で降ろす。それは、私の前提を否定します」


 「私が、誰であっても」


 「ええ」


 夫人は、あっさり頷いた。


 「あなたでなくても、私は同じことを申し上げます」


 ――ああ。


 だから、この人は一人で返事をくれたのだ。


 好意ではない。筋だ。


 好意で回るものは、好意が切れたら止まる。

 筋で回るものは、止まらない。


 胸の奥が、静かに、確かに温かくなった。


 それから、夫人は紙の一行に目を落とした。


 「……ただ、次第は、お教えできません」


 「お立場が」


 「いいえ」


 夫人は、首を振った。


 「私も、存じません」


 レティシアは、顔を上げた。


 「私は長く、この城におります」


 夫人の声が、少しだけ低くなった。


 「あの方が御前で何をなさっていたのか、一度も見たことがありません」


 「誰も、見ていないのですか」


 「ええ」


 紙の上の一行が、急に違うものに見えた。


 書かれていないのではない。

 書けなかったのかもしれない、と思った。


 「もう一つ、伺っても」


 「どうぞ」


 「なぜ、王太后さま付きのままなのですか」


 夫人は、はじめて言葉を選ぶ顔をした。


 「外されないからです」


 「……外されない」


 「私は、あの方に何度も反対しました」


 夫人は、静かに言った。


 「一度も、外されませんでした」


 レティシアは、動かなかった。


 「反対する者を、あの方は切りません。役に立たない者も、切りません」


 夫人は、立ち上がった。


 扉のところで、少しだけ笑った。


 「そういう方が、王妃に能力は要らない、とおっしゃるのです」


 *


 夫人が帰ったあと、レティシアは長く座っていた。


 ――役に立つかどうかで、人を切らない。


 あの三年、彼女は「役に立つこと」でしか自分を説明できなかった。

 説明できる言葉を、それしか渡されていなかった。


 アデライドは、その物差しを持っていない。

 持っていないから、人を切らない。


 ――なら。


 なら、あの物差しは、何を測っているのだろう。


 もう一度、あの朝の声を思い出す。

 温度のない声。帳簿を読み上げるような声。


 『王妃に、能力は要りません』

 『必要なのは、血と、静けさです』


 静けさ。


 レティシアは、そこで止まった。


 ――静かにしていろ、ということだ。


 能力のある王妃は、静かではいられない。

 問題を見つけたら、直してしまうからだ。


 つまり。


 茶会を成立させればさせるほど。

 儀礼を果たせば果たすほど。


 あの人の物差しの上で、彼女は王妃から遠ざかっていく。


 ――勝つほど、遠ざかる。


 胸の奥が、きゅっと縮んだ。


 *


 夜。


 窓の外は、暗かった。


 証明してごらんなさい、とあの人は言った。

 王妃の仕事を一つでも果たせたなら、引くと。


 あれは、罠ではない。

 あの人は、嘘をつく人ではない。


 一度でも向かい合えば、それくらいは分かる。


 だとすれば、答えは一つしかない。


 あの人が「果たした」と認める仕事は、能力で果たす仕事ではない。


 ――王妃の仕事とは、何か。


 問いは、あの朝と同じ形をしている。

 けれど、少しだけ違って見えた。


 答えは、あの人の物差しの上にある。

 だから、まず物差しを読む。


 構造が見えれば、たいていのものは動く。


 レティシアは、羽根ペンを取った。


 ただ、一つだけ分からないことがあった。


 人を切らない人が、なぜ、人に「能力は要らない」と言うのか。


 その物差しを、あの人はどこで手に入れたのだろう。


 灯りを落とす。


 灯替えの儀は、近い。

「好意で回るものは、好意が切れたら止まる。筋で回るものは、止まらない」。この一行が、最後まで効いてきます。

勝てば勝つほど、あの人の物差しの上では王妃から遠ざかる――五話目にして、勝ち方そのものが問題になりました。

次は「灯替えの儀」。手順書のない、口伝だけの王家の儀式が回ってきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ